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Channel: 気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ
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これからスマホを使うなら、初代iPhoneでも初代アンドロイドでもなく、6Sから

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もしこれからスマートフォンを持つとしたら、最新型を持つでしょう。
初代iPhoneなり、初代アンドロイド(でもほかのものでも)を持つことはありません。
そもそもいまではほとんど手に入りませんw




気功も同様です。

最新の理論、最新の技術からスタートすべきです。
その最新の気功が学べるのが「はじめての気功」です。はじめての気功とは、気功がはじめての人のための気功教室ではなく、人類にとって「はじめての気功」という意味です。


古いものが良いというのはただの懐古趣味です。

古典が良いのは古いからではありません。それは新しいからです。温故知新の意味は、古典とはいまだ掘り尽くされていない金脈であるということです。
だからこそ、古きをたずねて新しきを知るのです。

新しきを知るのは、自分にとって新しいということだけではなく、人類にとっても新しい可能性があるのです。正確に言えば、その古典を書いた人のみが人類の中でたどり着いた境地に、二人目として登頂できるという意味での新しさです。

伝統がなぜ大事かと言えば、天才から天才へのリレーという意味で大事なのです。
天才と天才の間には長い年月が必要で、その間も伝言ゲームをひたすらに続けなくてはいけません。

非常に身も蓋もない言い方をすれば、天才から天才の間には膨大な凡才がいるということです。

天才A→凡才→凡才→→凡才→凡才→凡才→凡才→→凡才→凡才→→凡才→凡才→→凡才→凡才→天才B

と伝言ゲームが続くのです。これは数十年、数百年にわたる伝言ゲームです。

この場合は途中の凡才くんがその抽象度の低いクリエティビィティもどきを発揮して天才の伝言を改変されると困るのです。ですから、伝統を守ってほしいのです。一言一句違わぬようにです。守っているつもりでも伝言ゲームですので、エラーは起こります。

そのエラーに満ち満ちた古典を読んで、天才Aの意図に辿り着けるのが天才Bです。



*恵果から空海はギリギリのところで、天才同士のバトンが渡されました。その後、青龍寺はつぶされ、密教は途絶えます。そのときは凡才の伝言ゲームも尽きるのです。
*では、キリスト教はというと微妙です。イエスから使徒パウロは何が媒介しているのかを考えるのは大切かもしれません。ペテロは明らかに直系の弟子ですが、パウロはワープしています。


どうやって辿り着けるかと言えば、それは猛烈なIQなのですが、むしろわれわれが理解するIQとはずれたところにあるIQであろうと思います。それはカバラ的なIQであり、魔術的なIQであり、呪術的なIQです。天才的なIQと言っても良いかもしれません。
では、そのIQはどうやって習得すれば良いのでしょうか?

本気で回答するならば、0歳から6歳までの特殊な体験(教育)で決まるという身も蓋もない感じになるのでしょうが、そこは目を瞑ることにしましょうw

ちなみにそのカバリスト的なIQをMiQ(みっきゅー)と勝手に呼んでいます。そのMiQのゆるキャラがみっきゅーさんで、そのハチマキがなぜかメビウスの帯というキャラクターです(誰か描いてくださいw)。

MiQはどういうものかと問われると非常に困るようなものです。

イエスに「永遠の命を得るにはどうしたらよいものでしょう?」と聞いた律法学者のようなものです。
「律法にはなんと書いてあるか、どう読むか?」としか言いようがありません。


*イエスの回答はロゴスではなく、ミュトスをもってするものでした。それがサマリア人のたとえです。絵はおなじみレンブラントの「善きサマリア人のたとえ」です。


逆にここには密教や魔術、カバラの秘伝のすべての回答があるように思います。

「なんと書いてあるか」を正確にまず読解すること、そしてそれを「どう読むか」を徹底的に吟味することです。

多くの人は「こう読む!」というのが意識的にも無意識的にも先にあって、それを文章に押し付けてしまいます。フレームやスキーマは大切ですが、しばしばタライの桶の水と一緒に赤ん坊も流していしまいます。厄介ですよね~。フレームがないと読めないし、あると読めないのです。

ちなみに誤解されがちですが、イエスはディベートの達人ではなく、むしろヒーラーです。
宗教の目的は第一義的には死後の世界の安寧ということがありますが、それ以上にリーダーであり、ヒーラーであり、カウンセラーであり、コーチでした。尊敬される社会の支配者だったのです。

たとえば空海の師である恵果和上は代宗・徳宗・順宗と3代にわたり皇帝に師と仰がれます(3代というとすごいのですが、相次いで死んでいるために時期は短いのですが)。政治のリーダーから師と仰がれているのです(あるマケドニアの王子は世界帝国をつくりましたが、その先生はアリストテレスでした。政治のトップは社会の明確なリーダーですが、その上がいるのです)。

で、イエスですが、イエスは律法すなわちわれわれが旧約聖書と呼ぶ書を徹底的に読み、そしてそれを自分は「こう読む!」と考え(というか、至り)、その結果として圧倒的なヒーリングパワーも宗教的能力も獲得しました(多分)。
イエスがほとんどの返答が聖書の引用であるのは、パクリの常習犯なのではなく、すべてはすでに書かれているということの現れです。
最後の絶命の言葉であるエリ・エリ・レマ・サバクタニ(神よ、神よ、なぜ私を見捨てたもうたか)にせよ(詩篇)、「人はパンのみに生きるにあらず」にせよ、どちらも旧約聖書からの引用です。


*「パンがなければ!」と言っていないのはマリー・アントワネットです(^^)

というわけで、陰陽(おんみょう)という呪術からスタートして、錬金術(アルケミア)、カバラ(ユダヤ神秘思想)、西洋魔術と悪魔召喚と来たスクールでの異説シリーズは、今回の「魔の気功整体」でひとつの完結をみたかなと思います(最終回の今回はイスラム神秘思想のスーフィー、そしてヒンズーのみならず世界の古典とされるバガヴァッド・ギーターに直接触れました。そのきわめて詩的な世界は、実は抽象的ではなくきわめて具体的であり、現実的であり実践的な秘密が隠されているということに開眼できたのではないかと思います。その目で新約聖書や旧約聖書を読み直すと、古ぼけた古典、もう干からびたようにみえたおじいちゃんが、本当は猛烈に動ける武術の達人だった!というような驚きがあります)。


そんなわけで、これから気功を学ぶときは最新のOSで最新の理論で最新の技術で学んでください。


*計算機のおもちゃをつかうのは幼児期まで。

木をこすり合わせて火を起こしたり、火打ち石を使ったり、石炭を使ってからしか、ガスコンロを使えないはずもなく、気功も基礎という名の古いスマホを使うことはないのです。


*かつてのスパコン以上の性能を持つ計算機を使いましょう!!


古ぼけた技術や古いだけで役に立たないスマホを捨てて、最新型へ乗り換えましょう!!



*物理空間を含めた壮大な情報空間を圧倒的な速度で自由にサーフィンするMiQを手に入れるとは、むしろ重い人類の十字架を背負うのに近いとは思います!


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