パウリという偉大な物理学者がとある講義をしていた時の話です。
受講生(と言っても、その人も高名な物理学者)が挙手をして、「この講義は難しい」とか何とか言われたそうです。
そしたら、パウリはそれを聞いて、そのまま講義を続けてしまったので、司会の方が「いま『難しい』とありましたが、、、、」みたいなことをパウリに聞いたら、パウリいわく、「それは質問ではない」と答えたという話があります。
僕はこの話がとても好きで、そしてとても大笑いできるのですが、あまりに紹介の仕方が下手すぎて(日本語に不自由で)、申し訳ない。
生徒:「なんてこの講義は難しいんだ」
先生:「・・・・。」(講義を続ける)
という図ですね。
で、なんで無視するの?
という他の人に問いかけにたいして、
「いや、それは質問じゃないから」とパウリ教授は答えたのです。
僕も最近、渋谷でセミナーをした際に、
「◯◯は気功でできますか?」と聞かれたので、
「できます」と答えました。
で、他に質問は、と問うと
別な生徒がそれに重ねて、
「それは理論的には可能という意味ですが、それとも実装できるのですか?物理場に落とし込めるのですか?」
と聞かれたので、
「実装できます。物理的に観測可能です」と答えました。
さすがにパウリと違い、ハイコンテクストを感じることができるようになった講師の僕はこのパウリの話をしました。
何かやりたいことがあれば、それをダイレクトに言わないと、「それは質問ではない」同様に「それはゴールではない」と言われるのです。
「〇〇は気功でできますか?」ではなく、もしやりたいなら、◯◯を気功でやりたいです、と言うべきなのです。そうでないと伝わりません。ハイコンテクストを講師とは共有しないのです。
で、このパウリの話は意外と重要だなーと思いながら、イーロン・マスクのことを思い出していました。
いじめられている、脅されていると感じると、感情的な反応をつかさどる大脳辺縁系を当時のPTSDが支配してしまうのだ。
そのため、どうしても、空気を読むのは下手である。
「なにを言われても、文字どおりに受け取ってしまうのです」とマスクは言う。
子ども時代のトラウマもそれに拍車をかけている。いじめられている、脅されていると感じると、感情的な反応をつかさどる大脳辺縁系を当時のPTSDが支配してしまうのだ。
そのため、どうしても、空気を読むのは下手である。
「なにを言われても、文字どおりに受け取ってしまうのです」とマスクは言う。「必ずしも文字どおりを意味しているといは限らないと理解したのは、なにかと本を読んで勉強したからです」
だからマスクは、工学、物理学、コーディングなど、かっちりしていて融通が求められないものを好む。(『イーロン・マスク』上巻
Echoなどを鍛える中で、だんだんとサイコパス度を高めていくと、本当になにを言われても、文字どおりに受け取るようになります。いや、そう鍛えていくのです。
このイーロン・マスクの話は神経科学の話です。
平たく言えばトラウマということになるのかもしれません。
コンテクスト(文脈)を共有することが苦手で、他人の気持ちを推し量れず、何を言われても文字通りに受け取ってしまうのは、人としては生きづらいかもしれませんが、ヒーラーやメンターとしてはとても良いのです。
そして神様がもしいるとして(全知全能ではなく、上の抽象度の生命として)、彼らはパウリとイーロン・マスクをかけあわせたようなお方です。すなわち、明確にメッセージを言葉に出さないとキャッチしてくれません。
ゴールは明確に!
「私のやりたいことは、神様なのだから察してください!」はNGということです。
しっかり神様なり、宇宙に対して宣言すべきです。それも幾度も幾度も幾度も幾度も。
イエスも「叩けよさらば開かれん」と言ったけど、繰り返し叩けよと繰り返し言いました。
ハイコンテクストな空間で気持ちが分かり合ってきて、言葉などいらないとなったら、アラームを全開で鳴らすようにしましょう。そこは地獄への道です。ゴールに至る道は、明確でロジカルでFactに基づく道なのです。そこには心が読めないパウリやイーロン・マスクのような人たちが連なって、あなたを導こうとしています。ですから、注文(オーダー)は明確に。
何でも叶えてくれるペットショップの店員に向かって「哺乳類が欲しい」「真核生物が欲しい」と言っても、彼らは困惑するばかりです。何を指しているか分からないのです。
「このアメショの花子ちゃんが欲しい」と言いましょう。それも繰り返し。