EcoSystemという新しい概念と新しい気功技術はあまりに抽象的で観念的なので(たとえば、共生と弱肉強食のLUBとか)、それをリアルに体感し、腹落ちさせるためには(腑に落とすには)、似たような技術を経由して場を移動していくしかありません。
それをEcoSystemのホップ・ステップ・ジャンプと呼んでいます。
(と、書いてきて、「ホップ・ステップ・ジャンプ」自体が何か分からずピンと来ない可能性もあるかもしれないとふと思いました。三段跳びですね。今でも学校体育でやるのかな?)
(バレエの人であれば、トンベ・バドブレ・グリッサード・グランジャンプと言った方が良いかもしれません。4段階になってしまうけどw)
で、そのホップ・ステップ・ジャンプの第1段階(ホップ)が深いトランスでした。
c.f.EcoSystemのホップ・ステップ・ジャンプ。第1段階は深いトランス。深い変性意識状態! 2023年08月31日
そして第2段階(ステップ)が陰陽師の技の気功技術化である「物忌(ものいみ)」でした。
c.f.♫歌を忘れたカナリアは 象牙の舟に銀のかい 月夜の海に浮かべれば 忘れた歌を思い出す♫〜物忌 2023年08月31日
c.f.「大神(おおかみ)たちの恩頼(みたまのふゆ)の蒙(かふが)り奉(たてまつ)りて」 2023年08月31日
そしてとうとう第3段階目にあたるEcoSystemに入ります。
今回は最終回!!
この8月の講座を通して、このEcoSystemに到達するための遠い遠い道のりを受講生と共に爆走してきました。
そしてようやく最終講座で「約束の地」へ行き着いたときは感無量でした。
で、EcoSystemのイメージは深いトランスに入った上で、「物忌」的に情報の交換を感じることです。そのとき分厚い鎧のような自我をどんどん薄くしていき、プランク定数サイズまで薄くすることです(プランク定数サイズは比喩ですwめっちゃ薄くするということです)。
自我を無くすという言葉の意味を自我を消すのではなく、薄くすると捉えているところがEcoSystemのポイントです。
「気を出さない」ワークもそうでしたが、気をゼロにするのではなく、無限に小さくしていき、無限には小さくならないので、最小単位にするイメージです。最小単位のドミノを倒していき、それが倒れ続けて、大きな結果に繋がります。大きなドミノを倒そうとがんばらず、小さなドミノをそっと倒します。
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ロバート・フロストの言うとおりです。
良き境界は良き隣人をつくる、のです。
逆に境界がなければ、酷いことになります。それは自我も同じとEcoSystemでは考えます。ただその境界が分厚いと呼吸(代謝)ができず、(細胞膜が)無いと細胞は維持できません。
ですので、ドーシャスクール[理論編]では(まといのば講座でも)、身体の界である肌を見つめることを勧めました。美肌クリームではお馴染みの議論ですね。
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自分の身体の物理的な境界はどこでしょう?
肌と呼ばれる場所でしょうが、じゃあ肌とは何でしょう?
身体と世界の境界である肌とは何かを考えると、玉ねぎの皮むきのように(涙で)何も見えなくなるのがオチです。
たとえば角質は死細胞であり、角質に覆われていると考えると、角質は身体なのか、それとも身体から離れたものなのか分からなくなります。機能的に考えれば、皮膚免疫は身体そのものであり、免疫がなければ人間は1秒たりとも持ちません。ですから、皮膚免疫である皮膚常在菌は自分であるとすれば、角質表皮の上に乗っている皮膚常在菌もまた自分(身体)であると言わざるを得ません。
身体の堺とは、角質の下の表皮の部分が境目なのか、それとも角質なのか、それとも皮膚常在菌なのか、、、境界線は物理空間ではなく、情報空間にあると考えた方が良く、そしてそれは曖昧なものなのです。曖昧だからと言って存在しないのではなく、機能レベルで存在します。
そして角質が分厚いと機能レベルが落ちるように、境界線は適切な薄さであることで機能します。それは皮膚常在菌も同様です。増えて暴走するならば、それは感染と呼ばれます。
世界との境界線である壁であっても、過ぎたるは猶及ばざるが如しなのです。
とすると、境界は曖昧で薄いものです。
自我もまた同じです。
明らかに境界線は存在するものの、薄く半透膜のように呼吸しています。
自我の境界線を薄くしていくと、健全な形で情報の呼吸をします。
情報を吐き出し、情報が入ってきます(吸います)。
邪魔な情報を邪気とか蟲などと言いますが、T理論の基本的な考え方(いや、ほぼ裏Tなのか)である「邪気などない」に通じます。この考え方の一層目は「大周天という水浄化装置で浄化すれば、ただの気になり、生命エネルギーとなる」というものです。
汚い水など存在せず、水が汚いのではなく溶け込んでいる不純物が汚いので、きちんと(米軍の持つような)浄化装置で濾過すればお小水ですら飲料水になるというのが初期のT理論でした。
その気における巨大浄化装置のことを「大周天」と呼んでいました(これが大周天の別の顔です)。
で、もうひとつ上に行くならば、一見すると邪気に見え、呪いに見え、蟲に見えるような情報達が我々のために機能してくれていることが分かってきます。
これを僕はごんぎつね症候群と呼んでいます(嘘です。いま命名しましたw)。
「ごん、お前だったのか」
「ごん、お前(まい)だったのか。いつも栗をくれたのは」
ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、うなずきました。
兵十は火縄銃をばたりと、とり落しました。青い煙が、まだ筒口(つづぐち)から細く出ていました。
c.f.青空文庫『ごん狐 新美南吉』
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これをまた「禍福は糾える縄の如し」と言ったりもします。
何が幸運で何が不運であるかは分からない、いや絡み合っているということです。
「人間万事塞翁が馬」でもありますね。
不運に見えることが、幸運であったりします(いや、高い抽象度から見たらという限定付きですが)。
そのときは気づきませんでしたが、アップルから追い出されたことは、人生でもっとも幸運な出来事だったのです。
(I didn't see it then, but it turned out that getting fired from Apple was the best thing that could have ever happened to me. )
c.f.「ハングリーであれ。愚か者であれ」 ジョブズ氏スピーチ全訳 米スタンフォード大卒業式(2005年6月)にて
なぜ蟲がわくのか、蟲は何も意思が無いかもしれませんが(そうは思いませんが)、EcoSystemには意思があるわけです。それは「人生でもっとも幸運な出来事」なのかもしれないのです。
不運に思えることも必然的で幸運につながることなのかもしれないのです。
それを裏Tで言えば「全ては必然」「全ては最善」となり、ルー・タイスが「Yes, I'm good」と言うわけです。
とすると我々がするべきことは、薄いけど明確な境界線を引いた上で(情報達と良き隣人になるために)、情報の交歓(交換)を押し進めることです。任せるとか委ねるが近い感覚でしょう。もしくはその様を眺めることです。
ゴールという強い磁力があれば、ベクトルがバラバラな鉄もベクトルが揃った磁石になるように、身体の細胞も多くの微生物もそして生命素粒子レベルでもベクトルが揃えば、ゴールへ向かう大きな原動力になります(ベクトルがバラバラで自分で自分の足を引っ張ってしまうのです。もしくは逆向きの磁石というCreative Avoidanceになるわけです)。
このような観念的で抽象的なことを、リアルに具体的に体感するのが気功技術の強みです。
実際に見てしまえば、体感してしまえば、その強烈なショックと共に身体に刻み込まれ、そして理論が立ち上がるのです。ただの言葉から、言葉が肉体を持ちます。
そうするとその観念がまるごと自分のものとして使えるようになるのです。
Veni, vidi, vici,(ウェーニー・ウィーディー・ウィーキー:「来た、見た、勝った」)
(共和政ローマの将軍・政治家のガイウス・ユリウス・カエサルが、紀元前47年のゼラの戦いの勝利を、ローマにいるガイウス・マティウスに知らせた言葉)
セミナーでも繰り返し申し上げているかと思うのですが、EcoSystemが分かってしまったあと(体感できたあと)は、その体感にとても近いのが美肌クリーム・美肌壺(ダイナミック版)です。これもまた切り込んでいきましょう。非常に面白い世界が広がっています。
楽しみつつ、己を知り、己と世界を知ることで、ゴールに向かって、ますます加速していきましょう!
いよいよ今週末日曜日開演!
壮大なスケールの「くるみ割り人形」初演です!!
Don't miss it!!
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