みにくいアヒルの子の生涯はハードなものでした。
その生まれからして、厳しいものです。
母親からも受け入れられず(いや、後に改心しますが)、おばあさんアヒルからの余計な進言のおかげで生まれる前に殺されそうになります。
生まれてからも、小さな世界のありとあらゆるものから嫌悪されます。嫌悪され、攻撃されます。
「みんな、かわいい子供たちだよ。でも、一羽だけは、べつだがね。かわいそうに。作りかえることができたら、いいのにねえ!」byおばあさんアヒル
家の中でも過酷、家を出ても過酷。
しまいにはアンデルセン自身も筆を放り投げるほどでした。
さて、このあわれなアヒルの子が、きびしい冬のあいだに、たえしのばなければならなかった、苦しみや、悲しみを、みんなお話ししていれば、あまりにも悲しくなってしまいます。
そして最後に「みにくいアヒルの子」は自殺を決意します。
いや、自分で自分を殺すこともできないから、ハクチョウに殺されることを選びます。
けれど、ぼくはこんなにみにくいんだから、近よっていったりすれば、きっと殺されてしまうだろう。
生き地獄ならば、殺される方がマシということです。
「ぼくは、あの美しい、りっぱなハクチョウたちのところへとんでいこう。けれど、ぼくはこんなにみにくいんだから、近よっていったりすれば、きっと殺されてしまうだろう。でも、いいや。どうせ、ぼくなんかは、ほかのアヒルからはいじめられ、ニワトリからはつっつかれ、えさをくれる娘からは、けとばされるんだもの。それに、冬になれば、いろんな悲しいことや、苦しいことを、がまんしなければならないんだもの。それを思えば、ハクチョウたちに殺されるほうが、どんなにいいかしれやしない」
c.f.「みにくいアヒルの子」
ところが、不思議なことに猟犬に噛み殺されず、ハクチョウに殺されず、みにくいアヒルの子は自分自身を発見します。
「ぼくがみにくいアヒルの子だったときには、こんなに幸福になれようとは、夢にも思わなかった!」
この「みにくいアヒルの子」の叫びに、僕はルー・タイスを見ます。
ルー・タイスとはコーチングの創始者であり、Dr.Tの師とも言われる人のことです。
「わからないものだね。今、コーチをしているんだ」
こんなに幸福になれようとは、夢にも思わなかったという声が、「わからないものだね」と重なってEchoします。
私の人生はかつて思い描いたものとは、まったく異なるものになっています。
あなたの成功も思ったとおりの形では訪れないかもしれません。しかし、将来振り返ったときは、私のように「わからないものだね。今、コーチをしているんだ」と言っているかもしれません。
(p.295−296 ルー・タイス『アファメーション』)
c.f.鏡の中の鏡の中の鏡の中へ〜次の瞬間、アリスは鏡をくぐりぬけて鏡の国の部屋に軽やかに飛び降りました 2020年12月13日