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Channel: 気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ
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調教師は、練習は人前ではやるが、芸の根切り(仕上げ)は、人前ではやらない〜機械学習って何?〜

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Wiredの企画で「機械学習」って何?というものがアップロードされていたので、紹介します。

 

非常に勉強になります。

 

知識だけではなく、段階別の伝え方が特に勉強になります。

 

 

 

動画と言えば、ようやくサンクチュアリを見終わりました。

 

 

これだけの役者をどう集めて、どう鍛えていったのかのドキュメンタリーとして非常に興味深いです。

雑な脚本や定型的で深みも何もないキャラクター設定には辟易しましたが(演技にも)、それを補って余りある身体の鍛え方が魅力的です。ドストエフスキーやトルストイなどの長編を読むようなマインドセットで最初の方は耐えた方が良いと思います(今のところシーズン1で全8話しかないのですが)。

この作品が瞬間風速とは言え、世界6位(テレビ・非英語部門)は驚き。日本の目新しい風俗が紹介されているからでしょうか。

https://news.yahoo.co.jp/articles/43425462b6e38d433fbba898d24607fbfbbddadf

 

 Netflixシリーズ「サンクチュアリ -聖域-」(全8話)が、Netflixグローバルトップ10(5月8日~14日)のテレビ・非英語部門で6位となった。

相撲ドラマを見たいならば、「のたり松太郎」から「バチバチ」まで素晴らしい漫画があります。

 

 

 

 

 

 

 

 

バチバチ最終章の『鮫島』で言えば、なぜ最終巻の表紙がこれなのかは、最後まで読めば分かります。

フィクションはフィクションである以上にドキュメンタリーなのです(←意味不明)。

 

 

こういう時代が明確に終わりを告げているからこそ、作品として昇華しているのだとは思います。

 

古き良き時代ですし、成長ということがますます難しくなります。

 

ギルドも漂白化を余儀なくされています。

それは時代の流れですし、明確に抽象度が上がっている事象だと思うので、良いことだと思います。

 

根切りという言葉があります。

 

千年続いた猿回しの芸が途絶えたのは差別によるものでした。

失った伝統を復活させるのは非常に困難で、しかしその困難を実現した人がいます。

その方のキーワードが「根切り」でした。

 

調教は、誰にでもできるものではない。猿は猛獣であるから、気力、体力、すべての点で、猿にまさる者でなければならない。弱い人間が調教をこころみたら、あべこべに噛みつかれてしまう。また、調教師は、練習は人前ではやるが、芸の根切り(仕上げ)は、人前ではやらない。根切り法を他人に見せると盗まれる。盗まれたら飯の食いあげである。(p.34)

 

ちなみに僕も根切りは人前ではやりません(RaySalonでやろうとして手痛い失敗を遂げました。共有すれば加速すると思いましたが、早すぎたか机上の空論でした)。

根切りを「仕上げ」というのは非常に良い言い換えだと思います。

 

とは言え、その「仕上げ」はいくら見ても見えてこないものです。人前でやっても、懇切丁寧に解説しても見えてこないのです。

 

たとえば、T理論完全マスタースクールのコア概念(真に驚くべき方法)を「グラフ(図)を描くこと」だと勘違いしている人は多くいます。その誤解を僕は歓迎しています。なぜなら、誤解してくれるからこそ「真に驚くべき方法」の希少性が高いままでいられるです(そこが真の狙いではないのですが)。

「図を描きましょう」と僕も言いますが、それは「練習」であって、「芸の根切り(仕上げ)」ではないのです。その部分までしっかり見抜いてから、人に指導はしましょう。

大丈夫、分かっていなければ、分かっていないことによる因果応報が宇宙から戻ってきます。「なぜ、(自分の生徒は自分のようにT理論が)習得できない」と悩んでも、その理由は考えても出てきません。

 

 

ちなみに、僕自身は一貫して、市場が根切りをしてくれるという立場です。

師匠が善意で行う根切りではなく、宇宙や市場が本人の根切りをします。

 

ただ、根切りに失敗して殺されてしまう猿がいたように(おそらく)、(宇宙による)根切りに失敗して死んでしまうヒーラーも多いでしょうから、メンターとしては老婆心を起こしたくなるのですが、システマチックに考えたら、その老婆心は機能しません。
(小さな根切りはいくつも好意で積み重ねますが、本質的な根切りは自分に対してしか、もうしません)

 

根切りに関しては、T理論完全マスタースクールでも紹介しましたが、僕自身は若い時分に立花隆氏の『青春漂流』で読みました。

 

 

ただ、T理論完全マスタースクールでRayさんが紹介したのは、上記の「青春漂流」の元ネタであるところの猿回しを復活させた村崎義正氏の「猿まわし復活 その調教と芸」でした。

 

 

これはきわめて貴重なドキュメンタリーであり、そして非常に汎用性が高いものです。

 

科学にせよ、芸にせよ、いかにフラジャイルで、そして継続が難しいかが分かります。

そして、科学にせよ芸にせよ、その中心には狂気がいつもあるのです。エブエブのベーグルのように。

 

 

芸と言えば、ここ数年、歌舞伎座を中心に精力的に活躍されていた坂東玉三郎さんが「歌舞伎の本興行から距離を置く意向」を示されました。

 

 歌舞伎俳優の坂東玉三郎(73)が5日、東京・南青山の音楽ホール「BAROOM」で、セルフプロデュース公演の会見を行った。歌舞伎界が、市川猿之助(47)が都内の自宅で倒れた状態で見つかった事態で揺れる中、玉三郎は「体力的に歌舞伎座のような大劇場での公演が難しくなり、今後はこのようにお客さまと近い空間で芸術を届ける活動を軸にしていければ」と歌舞伎の本興行から距離を置く意向を示した。

 

舞台は観れるときに観ておかないとですね。

 

(引用開始)

 ふじ子さんの観音様のような顔が、夜叉に変わっていた。私は、これまで、さまざまな女性の怒り顔を見てきたが、これほどまですさまじい怒りの表情を見たことがない。また、一瞬に、これだけ激しく様変わりした表情も見たことがない。 

 私が、あっ、と息を呑む間の出来事であった。

 ふじ子さんの体が飛躍した。ジローの両耳タブをしっかりにぎったまま、ジローの背中へ馬乗りになったのである。スカートのままである。ぐいっと、一気に地面に圧倒した。その姿は、もはや女性ではない。荒くれ男でも、これだけの力を持ち合わせているかどうか。

 ふじ子さんは、ジローを地面に圧倒して置いて、ジローの顔を、思いっきり地面に叩き付けた。

 「ギャギャギャ」と、悲鳴をあげる。

 「よう覚えちょきいよ。人間にあろうごうたら、こうなるんよ」(p.96)(引用終了)

 

そしてまた夜叉から観音に戻るのですが、これは表層的に暴力による服従だと思うのはあまりに浅はかです。暴力による服従(恫喝法)はどんどん効果が減衰していくのはご承知のとおり。慣れてしまうのです。だから、そのような抽象度には「根切り」は存在しないのです。いや、正確には、その抽象度では見えてこないカラクリがあるのです。

だから浅はかなパクリは真逆なことをする結果になってしまうのです。

 

根切り。昔の人達は、よく適切な言葉を当てはめたものである。盆栽を作ろうと思えば、まず、自然のなかにあるこれという思う少樹木を剪定しておく。次の年には、主根を残して横這い根の根切りをおこなう。さらに翌年、最後の主根を根切りして、鉢植えする。(p.133)

 

というわけで、明日からいよいよ「まといのば」講座再開です!

お楽しみに!!

 

 


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