儚(はかな)い、あまりに儚(はかな)すぎる、、、と今回も思いました。
「記憶の自己」大全盛の時代にあって、時代の流れに棹さしているのが、舞台芸術です。
もちろん舞台芸術も録画され、DVDになったり、配信されるようになりましたが、それでもメインはライブであり、一期一会です。
ダンサーとお客様が一堂に会して、一瞬の芸術を楽しむというのは本当に貴重な経験だと思います。
IBC(Iwaki Ballet Company)の初となるコンテンポラリーダンスのショーケースを観てきました。
若い世代のダンサーと振付家たちによるオムニバスでしたが、非常に良かったです。
ういういしさと弾けっぷりと緻密な鍛錬と即興性が同居していました。
コンテンポラリーというと似た傾倒になりがちなのですが、全く色の違う作品ばかりでした。
(その中に一輪の花のように『ダイアナとアクティオン』が挟まれているという趣向がまた良かったです)。
幸江さんは中村恩恵さんの新作でした。
(中村恩恵さんはコンテンポラリーの世界では知らない人はいない高名なダンサーで、高名な振付家です。ローザンヌバレエコンクールで賞を取り、NDTでキリアンのミューズとして活躍し、退団後は世界的に活躍されています)
ある意味で、全く新しい身体操作の文法をゼロから習得するのはかなり大変だったのではないかと思いますが、見事に習得され、表現に昇華されていました。
思い返せばTOSCA全幕をオーケストラで(オペラ歌手付きで)世界初演するという快挙を成し遂げたあとに、がらっと趣向を変えてのコンテンポラリーダンスというのは凄いとしか言いようがありません。
今回のソロ作品のテーマである「鳥の歌」(パブロ・カザルス)については、また稿を改めたいと思います。
アーティストが時代というものに対していかに敏感で、そしていかに炭鉱のカナリアなのかが伝わってきます。
私はこの40年近く公の場で演奏をしてきませんでした。
今日、私は演奏をしなければいけません。
この作品は「鳥の歌」と言います。
その鳥たちは「ピース(Peace)、ピース、ピース」と歌います。
この音楽は、バッハやベートーヴェンなど偉大な作曲家たちが愛し、称賛したものです。
それは大変美しく、そして私の故国カタロニアの魂でもあります。
(Wikipedia引用開始)
1971年10月24日、カザルス94歳のときにニューヨーク国連本部において「私の生まれ故郷カタルーニャの鳥は、ピース、ピース(英語の平和)と鳴くのです」と語り、『鳥の歌』をチェロ演奏したエピソードは伝説的で、録音が残されている。
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1971年10月24日(国連の日)、ニューヨーク国連本部にて演奏会、国連平和賞が授与される。
1973年、心臓発作によりプエルトリコで死去。遺言によって、遺体は生地ベンドレイの墓地に埋葬された。(引用終了)
パブロ・カザルスはバッハの無伴奏チェロ組曲の価値を再発見したことで有名です(僕自身はヨーヨー・マの功績だと思っておりましたが、その前にパブロ・カザルスがいました)。
チベット密教が曼荼羅を砂曼荼羅にしたのと同じく、ダンサーというのは一瞬一瞬に人生を投影することに賭ける人生を選択した人々です。
創り上げた瞬間に失っていく有様は、あまりに儚(はかな)いとしか言いようありません。
創り上げるのに費やした膨大な時間と労力と奇跡に対して、あまりに贅沢な消費です。
もう少し報われる道が無いのかとは思いますが、彼らはそんなことに頓着せず、また新しい作品に向き合い、ますます自身を美しく磨き上げていくのでしょう。
僕らヒーラーもある意味で似ていると思います。
僕らも日々研鑽を怠(おこた)らないようにしましょう!!