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Channel: 気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ
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僕は死ぬということを信じていない。起こった時にはいないからわからないからだ(アンディ・ウォーホル

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「情報空間ってどんな風に見えるのですか?」とよく聞かれます。

嘘です。

 

聞かれたことはほぼ無いか、多分皆無です。

 

聞いてくれればいつでも答えますし、情報空間なるものを主戦場にしているのだから、教師に聞けば良いのに、、、とはいつも思います。

 

聞けば良いのにと思うことはこれだけではないです。

 

逆に、聞かなきゃいいのにということは盛大に聞いてくるのは不思議です。それを俺に今、聞いたら自分の首が絞まるだけだよ〜と思うのに、「Skinに聞きます!」とかタレブも真っ青な発言をして、猛スピードで走るトラックの前に飛び出して「僕は死にません」とやってしまいます。

 

 

 

で、確率論的に死にます。

 

自然も運命も宇宙も世界も不注意と愚かさに対しては容赦ありません(そりゃそうか)。

 

*「僕は死にません、僕は死にません。あなたが好きだから。」(『101回目のプロポーズ』1991年、平均視聴率は23.6%、最終回では36.7%

誰も知らないと思いますが、昔トレンディ・ドラマなるものが一世を風靡した時代がありました。「非モテの非モテによる非モテのための非モテ」とも言うべき惨状で、ストーカーとミソジニーを足して二で割って、積分に積み上げたような作品ばかりでした(楽しいですけどね)。

 

「僕は死にません」の理由が「あなたが好きだから」というのは笑止、というか、ほぼ支離滅裂。

それが理由になると考えているのでしょうか?

(恋人をまた失うのが怖い(死別が怖い)というメンヘラ女に対して、自殺未遂をするというのはトラウマを再発させる悪行)

 

同じ「死にません」でもエピクロスのそれとは全く違います。

死はわれわれにとっては無である。われわれが生きている限り死は存在しない。死が存在する限りわれわれはもはや無い」(エピクロス)

 

 

 

またアンディ・ウォーホルはこう言いました。

 

"I don't believe in it(death), because

you're not around to know that it's happened.

I can't say anything about it because I'm not prepared for it."
僕は死ぬということを信じていない。起こった時にはいないからわからないからだ。

死ぬ準備なんかしていないから何も言えない。

 

 

 

まあ、それはさておき、情報空間の話しです!

 

結論から言えば、

 

情報空間とかけて、闇夜のカラスと解きます。その心は、、、、

 

という感じです!

 

 

全く何も見えないのです。

 

真っ暗闇です。

 

(見者には闇ですが、そうでない人には光です)

 

 

 

 

真っ暗闇の中に真っ黒なカラスがいても、何も見えません。

 

ですから、気功技術というのは畢竟(ひっきょう)「闇夜の鉄砲」になりかねません。


これは僕だけが言っているのではなく、多くの人が同じ意見です。僕らの脳内アテナイの学堂に集うような賢人たちはほぼ同じ意見です(多分)。

 

 

サイモン・シンが「フェルマーの最終定理」でも描いていました。

 

あ、そのサイモン・シンの「フェルマーの最終定理」をよびのりさんが解説していました。

 

 

 


「最初の部屋に入ると、そこは暗いのです。真っ暗な闇です。それでも家具にぶつかりながら手探りしているうちに、少しずつ家具の配置がわかってきます。そうして半年ほど経ったころ、電灯のスイッチが見つかるのです。電灯をつけると、突然に部屋のようすがわかる。自分がそれまでどんな場所にいたかがはっきりとわかるのです。そうなったら次の部屋に移って、また半年を闇の中で過ごします。突破口は一瞬にして開けることもあれば、一日、二日かかることもありますが、いずれによせ、それは何ヶ月ものあいだ闇の中で躓きながらさまよったからこそ到達できるクライマックスなのです」(p.364 サイモン・シン フェルマーの最終定理)

 

 

 

 

電灯のスイッチが見つかり、スイッチを入れた部屋は完全に見えるようになりますが、その部屋にもう用は無いのです。

 

我々が今見ているのは ぼんやりと鏡に写っているもの
そのときにみるのは 顔と顔をあわせてのもの
私が今知っているのは一部分
その時には自分がすでに完全に知られているように
私は完全に知るようになる(コリント書13章)

 

 

 

その真っ暗闇の中にあって、一筋の希望の光がガイドです。これがゴールであり、ビジョンであり、Want toです。

それも本当に小さな光すぎて、妄想なのか現実なのか分からないレベルの光が存在します。

 

この光と闇の相克、いや圧倒的な闇の勝利こそが情報空間です。

(だから、地獄一定なのです)

 


*これはほぼリアルタイムの(心象)風景!(掲載許可をいただき、いつもありがとうございます!!)

 

でも、光は差し込みます。確実に。

どんなに真っ暗闇であっても信じるしかないのです。

そしてイエス様が腰巻姿で向うから走ってきて(メロスのように走ってきて)、「見ずして信じるものは幸いなり」と言い捨てて走り去っていきます!


イエスは彼に言われた、「あなたはわたしを見たので信じたのか。見ないで信ずる者は、さいわいである」。(ヨハネ20:29)

 

 

 

僕らもメロスのようにパリピの集うパーティー会場を駆け抜けましょう!!
ワインとチーズと楽しい会話をたっぷりとじっくりと味わいつつ。

 

路行く人を押しのけ、跳とばし、メロスは黒い風のように走った。野原で酒宴の、その宴席のまっただ中を駈け抜け、酒宴の人たちを仰天させ、犬を蹴とばし、小川を飛び越え、少しずつ沈んでゆく太陽の、十倍も早く走った。(太宰治『走れメロス』

 

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