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Channel: 気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ
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サッカーでも一人でドリブルで突破するより、パスしあったほうがGoalへは早く移動できると思うので

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怒られている当事者たちはわけも分からずに怒られているという気分になり、その周りの人間は何が起きているのか戦々恐々とするという状況は、支配の一形態として使う人はいたとしても、僕はこの状況は不健全だと思います。

 

ですので、できる限り分かりやすく解説をしたいと思います。

 

「まといのば」では、メンタリングにせよ、ヒーリングにせよ、本質的には「謎解き」だと考えています。

もちろん単なる気功技術の組み合わせで機械的に解決する問題も多くあります。しかし一步踏み込むなら、Jobsの言う通りそこには複雑な問題が絡み合っているのです。一筋縄では解決できず、とは言えゴルディアスの結び目のように一刀両断もできず、というピュリダンのロバの気分になります。とすると、方法は1つしかありません。淡々と読解しながら、自分が知っていること知らないこと、分かっていること分からないことを腑分けしつつ、一步一步ジャングルを分け入っていくしか無いのです。

そのときにそばにいるのは当のクライアント自身であり、クライアント自身しか持たない情報があり(それはバックグラウンド情報などではありません)、一方でこちらからよく観えている情報があります。

その両方の鍵(情報)が無いと開かない未来の扉があるのです。

どちらが欠けてもうまくいきません。

クライアントのWant toやGoalだけでも、セラピストの技だけでも足りないのです。

核ミサイルのスイッチが2つ必要なように、未来の扉の鍵も2つセットで、それも同じタイミングで開(ひら)かないと、開(あ)かないようになっています。

ですから同行二人です(あ、違うか)。

 

僕はかつて勘合貿易と呼ばれていたシステムを思い出します。

 

 

室町幕府3代将軍の足利義満は、博多商人肥富より対明貿易が莫大な利益を生むことを聞いていた。義満は1401年(応永8年)に、肥富と僧祖阿を明へ遣明使として派遣し、彼らは翌年に明の国書を持ち帰国する。明使の在日中に靖難の変で永楽帝が即位すると、明は再び国書を送り、日本と明の間に国交と通商の合意が成立した。

 

1401年(応永8年)から1549年(天文18年)まで、19回に渡り交易が行われた。1404年(応永11年)以降は勘合を所持した者に限られるようになり、1432年(永享4年)に宣徳条約で回数などが規定される。 勘合とは、公文書となる勘合底簿の上に料紙をずらして重ね、両紙にまたがるように割印もしくは墨書したもので、「日字勘合」と「本字勘合」の2種類が存在した[1]。「日字勘合」は明→日本の使行に、「本字勘合」は日本→明の使行に使われ、持参した料紙とそれぞれが持つ底簿を照合したと推測されている[1]。

 

今日(こんにち)でも、「勘合とは、公文書となる勘合底簿の上に料紙をずらして重ね、両紙にまたがるように割印もしくは墨書したもの」と同じシステムは用いられますね。ランダム発生装置による偽造防止です。今後はブロックチェーン技術を利用したNFT的なものに切り替わっていくのでしょうが、割り印は今でも有効です。

 

いや、割り印の話しではなく、勘合の話なのですが、いずれにせよ鍵が2つ必要ということです。

 

 

いや、話しがズレているな。

 

 

先日の「シン・TENETの物理学」の冒頭でも話しましたが、空間と粒子というモデルは「場」というモデルに切り替わりつつあります。

それは実はニュートンが「生命を持たぬ野卑な物質における遠隔力などありえない」と言ったとおりです。実は遠隔力など机上の空論で、実際はTouchしてMoveするのです。それを媒介するのが中間子。

中間子と言えば、例の中学生のときの塾講師のエピソードを開陳してくださったメンバーさんが、こんなこぼれ話というか笑い話を紹介してくれました。

ノート:修士 命名にまつわる逸話

「学士」と「博士」の間に新たに「修士」が出来る事になり名称を決めるとき、湯川秀樹が「『中間士』はどうだろう」と言った(湯川は「中間子」理論でノーベル賞を受賞した)、というのは有名な逸話(というかジョーク)だと思いますが本文には書きにくいのでこっちに書いておきます。 By 健ちゃん 2006年11月3日 (金) 10:13 (UTC)[返信]

矢野健太郎氏の本に載ってましたね。 「修士」だと坊さんみたいで変な感じなので、他の名前も案に挙がっていたそうで。--以上の署名のないコメントは、222.228.157.94会話/Whois)さんが 2008年5月7日 (水) 02:13‎(UTC) に投稿したものです(Type20会話)による付記)。

 

博士と学士の間を中間士というのは修士よりも良かったかも(^o^)

それはさておき僕らが情報空間を失踪もとい疾走するために使うのがキャッチボールです。

ヒッグス粒子や光をキャッチボールするのではなく、我々は情報空間の存在にふさわしくLogosをキャッチボールします。

キャッチボールしながら、いやすることで情報空間を素早く遠くまで移動できるのです。

ですので、キャッチボールしなければその場に永遠にとどまることになります(とどまることすらできませんが、それはまた別の話)。

 

サッカーにおいてもドリブルで進むよりも、パスのほうが早くゴール(ポスト)へ移動できます(よね?)。

 

で、このキャッチボールは正確にやりましょう、というのが「まといのば」の方針です。

 

指針はFactとLogic(Logos)です。

 

事実に基づいて話しましょう。できたらエビデンスを出して欲しい。
論理的に詰めていきましょう。そこに反省とか逡巡と羞恥とかいらないので、という指針です。

 

そこから演繹されるのが、たとえば「謝罪ではなく理解」であったりします。

「ごめんなさい」は不要で(言っても良いのですが)、むしろ何が問題でどこをどうすれば良かったかを具体的に理解して(それを示して)くれればOKなのです。

 

またこちらが伝えたことに対しても(投げたボールに対しても)、これを受け取りました!ときちんとボールを投げ返して欲しいのです。

 

たとえば、、、

AをBにしておいてね!

と僕が伝えたら、

 

承知しました。
AをBしておきます!

 

と答えて欲しいのです。

なぜなら(信じられないでしょうが)、AをBしておいてというオーダーに対して、多くの人がBをAします。それは真逆。
AをCする人もいます。
もしくは似ているからという理由でアルファをベータにする人もいます。

なぜ?

と思いますが、人間はそういうものです。

ですので、自分の言葉で自分を縛るためにも「復唱」して欲しいのです。

承知しました!

AをBしておきます!

 

と。

 

それでも間違えますが、そのときに自分がどこで何を間違ったかが分かります。

 

あ、私はAをBするつもりが、AをCしてしまったのですね、と。

で、これが理解です。

これが謝罪ではなく理解です。

僕らが求めているものです。

 

謝罪して、情報空間を移動できるならば、100万回謝罪すれば良いですが、僕が知る限りそのような効果効能は無いので、理解することを勧めています。

 

こちらが間違いを指摘しているのは怒っているのではなく(いやしばしば怒っていますが)、自分が何か間違えたことを理解して欲しいからです。起きたことは起きたことです。そこを責めているわけではなく、この先の未来の間違える可能性を全て潰しておきたいのです。

すなわち、重要なのは今後同じミスを起こさないこと、もしくは同じミスを起こさないようなシステムを構築することです。そのための第一歩が「謝罪ではなく理解」です。

 

「もう間違えません!」とか宣言すれば、間違えないというのはさすがに傲慢です。

Skinになると決めればSkinになれると思うほどに傲慢です(そんなわけないだろ、少なくともお前等に)。

人間は変わらないからこそ、心にハッキングしてシステムに介入するのです(それを気功と呼ぶ)。

その方法を教えているときに、なぜ片っ端から否定するのか分かりません(二言目には俺が言ったことをことごとく否定する癖をやめろって幾度も言っていますが、、、「そのつもりはありませんでした」がまた始まります。つもりがあるか否かではなく、行動を見ろって思いますけどねー。もしくはLINEのログが残っているなら、そのログをつらつらと読めば分かります。いや、分かるはず)。

 

これをシンプルに言うと、「謝罪ではなく理解」ということになります。

 

でも、この理解がなかなか難しいようです。

 

理解以前にたくさん湧いてくるのが言い訳です。

 

 

いや、そんなつもりじゃなかったです。

 

そんな指示はもらっていません(これを防ぐために指示書をスクショで見せても、、、ダメです)

 

そんな風に読めませんでした。

 

そんな意図はありませんでした。

 

そんな意識はありませんでした。

 

 

いや、別に心などの内面の話しなどは何も問題にしていません。

 

内面のことを「心」とか「意識」とか「意図」と言い換える人もいますが、それは単なる「気分」と「言い訳」です。意識とか意図について、「それはCreative Avoidance(創造的回避)だよ」と正確に指摘すると怒り出すので、面倒だなーと思っています。

僕らは表に出てきた言葉と行動だけを問題にしています。

 

そして、表に出てきた言葉と行動だけを正確に丁寧に具体的に個別にCorrection(修正)していけば良いのに、、、、、と思っています。

 

たとえば、、、ピアノでミスタッチしたときに、「その意図はなかったです!」とか、「これでも一生懸命にやっているんです」とか教師に噛み付くでしょうか、振付を間違えたダンサーに教師が「そこ間違えたよ」と指摘したときに、どこを間違えたか分からずに「ごめんなさい」だけを連呼するでしょうか?

 

でも、それすらも伝わらないらしい。

 

どこをミスタッチしたのかをお互いにチェックし、振付のどこを間違えたのかをお互いに確認した方が建設的です。

 

そんなに自分の気分とEgoが大事なら、それを抱えて水の底に沈めば良いです。

いや、Egoと気分があなたを放さないのでしょう。僕はそこから逃れる方法を知っていますが、聞く耳を持たない人に話すのはやめました。

 

 

 

ですので、伝わる人とサクサク移動したいと思います。
(ちなみに僕も無謬性を誇っているわけではなく、同じシステムで間違いは修正します。当たり前ですが、一応言い添えておきます)。

 

 

まあ赤ん坊に「すぐにしゃべれ、すぐに立って歩け」と言ったとしたら、それを言う方がおかしい。それは僕も分かっています。だからとてもとてもとても長期的には見ています(少なくとも一量子単位が人生と言えるくらいの感覚で)。でも、学ぶ側は「秒で変える」くらいの気概を持ちましょう。そして、実際に実践しましょう!!


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