サマータイムレンダや東京リベンジャーズに限らず、タイムループものはたくさんあります。
重ならないはずに時間軸が重なるということで言えば、前前前世の「君の名は」というクリプキ的なタイトルの名作もあります(聖地巡礼するならば、是非四ツ谷周辺へ)。
クリプキ様の主著は「Naming&Necessity」です。名指しと必然性ですね。
サマータイムレンダは繰り返すループで、毎回ベストを尽くさなければいけない理由として、ループのタイムリミットを設定したのが秀逸でした(そこ?)。
いや、ループというと幾度もやり直せるから、努力をやめるというCreativeAvoidanceは存在するのです。何度もやり直せるならば、一度くらいはうまくいくかもというような確率論的期待をしてしまうのです。でも、確率論的期待が全く期待できないから、現状の外なのです。
東京リベンジャーズは、どれだけ過去を修復しても、ラプラスの魔が人間の意図を超えて邪魔してくるという見事な設定。過去が原因ではないのです。
*映画『東京リベンジャーズ』
*主題歌が『名前を呼ぶよ』というのも良いですね。クリプキが喜びそうです。
で、なぜこのような物語が、なぜこのような古くて新しい物語が繰り返されるのでしょう、、、、。
端的に言えば、未来がやってきているからです。
もう未来が待ってくれないからです。
津波の例を出すのは不適切でしょうが、我々の生命時間のうちに明確な津波がやってくるからです。高台へ逃げなくてはいけません。そのままでいれば、波に飲み込まれるという現実が待っています。
未来の衝撃が近づいてきていて(実際はすでにたどり着いている節もあり)、それが明確である以上は、その悲劇を喜劇に変えたいのです。
波に乗り込まれるのではなく、波にノリたいのです。
そのためにはまずは逃げて逃げて逃げて、高台へ上がっていきたいのです。
抽象度の海抜を一気に上げたいのです。
(そのあとに波にノリましょう!)
その意味でも死んで死んで死んで死んで死んで、死ぬことで、生きて生きて生きて生きて生き抜きましょう!!(空海ですね)
死ぬごとに賢くなり、賢くなるということは(知識を得ることも、抽象度が上がることも)、古い自分が死ぬということです(一粒の麦もし死なずば、ですね)。
【映画紹介】
ブログタイトルはこちらの映画から。
*映画『オール・ユー・ニード・イズ・キル(All you need is kill)