ヘビがリリスであるという議論はグノーシス主義の主張です。
「まといのば」が勝手に夢想したわけでも、騙っているわけでもありません。
ブログの1つの記事だけを読んで判断しているわけではないでしょうが、それにしてももう数分ブログ内検索すれば、いろいろと面白い情報を手にし、蒙が啓けたでしょうに、惜しいことをしました(いや、そもそも過去記事のリンクも貼っていますし)。
グノーシス主義については、以前にも幾度も書籍と共に紹介しています。
その記事について、珍しくイラッとするコメントがあったのですが、一旦承認しました(コメントは承認制です)。
コメントを承認した上で、「非常に不愉快なコメントだ」ということを書こうと思ったのですが、いろいろと悩んでコメントごと削除しました。
(ちなみに、同じ人が同じように煽ってきても、今後も承認することはないので、悪しからず。こうやってネタにはしますが、日の目を見ることはありません)
何も生産性が無いからです。ただ、後述しますが、以前は一定の生産性がありました。
あまり言いたくないのですが、このような場で何かを書くと、この先二度と関わることが無いであろう人が絡んでくることがあります。
インターネットがまだ新しい空間で治外法権的なアナーキーな空間だと思われているからです。
もちろんアナーキーな空間など存在しませんし、本人の勘違いです。バイトテロと似ています。
世界はますますフラットになっており、パノプティコンになってきています。良いか悪いかは別として、それが時代の流れです。
以前は、不思議と絡んでくる人がとても多くて、そのような人々と論争していました。そうすると、火事と喧嘩は江戸の華と言わんばかりに、その喧嘩に注目があつまり、PVが集まり、そのことで心あるまともな人がここを知る機会となっていたので(そしてその多くが我々の仲間となりました)、せっせと炎上商法をしていました。
ただ本当にこちらが求めたいのは、そのような方々と対話することでした。
その不愉快な絡み方をしてくれる人と、本当は腹を割って話したら、面白いのではないかと思っていました。
できれば彼らと仲間になりたいとは思っていました。
妙に尖っていたとしても、それは才能があるのに鬱屈しているだけなのではないかと以前は思っていました。BreakingDownの試合前の煽りみたいな感じです(ちょっと違うか)。
でも、今は考えが変わりました。もし、彼や彼女がそうだとしても、そこから救い出すのは「まといのば」の仕事ではないと思っています。
その闇から救い出すことは「まといのば」の仕事ではないし、喧嘩を売ってきたことに対して報酬を与える行為は、それを助長します。そのような未来を描きたいと思っているわけではないので、漂白社会の最大の武器であるミュートを行使することにしました。
ランダムに降りてきた蜘蛛の糸を燃やしたり、馬鹿にしたり、食いちぎったりする人に、蓮の花の間から救命ロープをおろしたり、人を派遣する意味がありません。
最低限の礼儀と社会的知性を持って、人に接することができることが、対話の基本と考えます。
もちろん、どこかの国の最高指導者ですら、ネットの書き込みのような失言を繰り返してしまう現代ですが、それが許されるのは横暴な支配者だけです。それは権力の醜い側面であって、我々のロールモデルではありません。
「まといのば」としては、真摯に学ぼうとする人に対しては、真摯に対応したいと思っていますが、そうでない人にはそれなりに対応します。