暴力や攻撃性が漂白され(死が漂白され)、そして性が漂白されていくと考えるのですが、一方で情動も漂白され、ゴールやビジョンや理想の世界もゆっくりと漂白されていくと考えます。
「最後に人を殴ったのはいつですか?」という問いに対して、若い受講生のお一人は「自分は人を殴ったことはない」と答えていました。そういう子供達が時代と共に増えていくのでしょう。
同様に、暴力と同じく、死も僕等の目からは避けられるようになりました。自宅で看取るということが少なくなり、死は病院の中に閉じ込められ、不可視になっています。
それと軌を一にするように、いやそれより以前に監獄の誕生があります。刑罰が不可視にされたのです。これもまた漂白と言えます。さらし首や市中引き回しということは無いのです(ネット社会自体がそうではないかという批判はその通りです。ネットではリンチも非合法なことも可能です。裁判無しに罪人扱いで、プライバシーがさらされます。その意味で近代以前の野蛮な世界なのです。ですが、最近ようやく法的な整備とCivilizationが始まったところです。その意味で岡田斗司夫さんのおっしゃる「ネット社会の終わり」というのは意義深い予言です)。
このホワイト化の流れ自体は良くも悪くもなく、ただの時代の流れですので、我々としては時流の先に移動して、時代を待つくらいで良いのです。
ただ、ホワイト化の暴君は僕等から重要なものも奪う気がします。
それが「情動」と「ゴール」です。
最後に心から泣いたのはいつでしょう?
泣くことが少ない時代に入ってきています。激怒することも少なく、なぜか絶望だけが広がる社会です。情動も漂白されていっているのです。情動は本来はきわめて大事です。大事な生理現象です。ただし、情動を発散するのは1人になれる空間でするべきというのがT理論の結論です。生理現象はトイレでね、と。でも、生理現象が止まってしまったり、少なすぎるのも身体に悪いのです。便秘のようなものです。
また「まといのば」のメンバーにはコーチも多いのですが、彼らがひそかに懸念しているのは、「ゴールがない」問題です。ゴールがスコトーマに入っているとか、自分が描いているのがゴールだと思わなかった、、とかではなく、ゴールが無いのです。ゴールもまた漂白されているのです。
夢を見て、Crazyにその夢に突っ走るということが、おかしいと思われる社会が到来しつつあるのかもしれません。
ホワイト革命を我々がグロテスクに思うのは、パラダイムシフトだから当然としても、その新しい枠組みに慣れてもなお奇妙というか、問題点はいくつも見つかります。それは次のパラダイムで解消されるのでしょうし、そこまで我々が生きているかも分かりませんので、受け入れていきましょう。
ですので、我々は白とも黒とも決別して、極彩色な世界を自分の内に持ちましょう。表現と感覚だけを白くしておけば大丈夫です!(多分)
その極彩色な世界は心をゆさぶり、感情をゆさぶり、そして身体を突き動かします。
突き動かされるままに、踊りましょう!!
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【受講料】 30,000円(PayPal決済可能です。請求先アドレスを記載してください)
【受講資格】 「まといのば」スクール修了生、OnLine MenTor受講生・修了生
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c.f.【募集開始】六条御息所ではなく、優雅な野獣を目指そう。〜漂白された社会で生き残るための解毒法〜 2022年01月22日
*映画「シンプルな情熱」
この予告編で使われているOnly youという曲で大昔(大学生の時分)に踊ったことがあります。