ビル・ゲイツさんとメリンダさんの離婚は驚きました。
*いや、これはJobs
まさにこのタイミングで、、、、、なるほど、、、、と思わざるを得ませんが、、、。
— Bill Gates (@BillGates) May 3, 2021
まあ、是非、このツイートも読解しましょう(メンターBootCampにて)。
丁寧に読めば、世界は広がります。
タイトルにもあるように、ルー・タイスは残念ながら「しかし」を取り下げていません(笑)。
*これは映画監督のヒッチコック
ちなみにそもそもこの問題は当初は、何が「つまり」なのかというものでした。
Q.なぜルー・タイスはここで「つまり」と言っているのか。
(ここで前提とされているのは、「つまり」はふさわしくないよね、ってことです。
その前の「しかし」と同じです)
私の人生はかつて思い描いたものとは、まったく異なるものになっています。
あなたの成功も思ったとおりの形では訪れないかもしれません。しかし、将来振り返ったときは、私のように「わからないものだね。今、コーチをしているんだ」と言っているかもしれません。つまり、大きな理想を描くときには、細かい計画をしないほうがいいのです。方法や手段を固定するのも良策とはいえません。結果を思い描き、方法や手段には柔軟性を持たせましょう。(p.295-296 ルー・タイス『アファメーション』)
本来は、「つまり」のあとは、成功は自分がかつて思い描いたようなものとは全く異なるものとしてやってきますよ、というものであるべきです。
なのに、なんで方法や手段云々なのでしょう、、、、という問題でした。
スクールにおいて、「つまり」で課題をやろうとしたときに、それでピンと来ないようなので、何が「しかし」なのかに切り替えました(詳しくは、シン・メンター養成スクールのヴァーチャル受講を是非。あと一週間で一応販売終了です。期間終了後もメンバーからの要請があれば検討しますがw)。
たとえば、原書で読む方は、
My life is very different from the way I thought it would be.
Your success may not come the way you thought it would either. But if you stop and reflect back, you may say with me, "Well, what do you know, I am a coach." So, be careful that you don't map the way to some of your big ideals. Don't lock on to some method or means. Keep the end in mind, but be flexible about ways and means.
この最後の行の「but」は、何が「but」なのかに留意すると、良いかもしれません。
翻訳の「つまり」とは、原文では「So」にあたりますね。
さてさて回答をたくさん寄せていただき、感謝しかありません。
参加すればするほどに、IQが数ポイント上がります(多分w)。
ご利益(りやく)があります(きっと)。
いや、冗談抜きで、本当の話しです。
「まといのば」に送ってくる以上は、すでに関係性が十分にあるので、相当に考えてから、そして推敲してから文章を送ってくるでしょうし、ある程度の自信もあるでしょう。
それをブログに掲載されることで、多くの人の目に触れる機会も増え、それも大きなRゆらぎとして機能するでしょう。
この先、遠くない未来にルー・タイスの「しかし」を含めた文章が普通に読解できるようになります。この「しかし」はいわゆる読解以前の問題です。
我々が今見ているのは ぼんやりと鏡に写っているもの
そのときにみるのは 顔と顔をあわせてのもの
私が今知っているのは一部分
その時には自分がすでに完全に知られているように
私は完全に知るようになる(コリント書13章)
c.f.むきだしの愛、むきだしの言葉 〜「最も小さい者のひとり」と蜘蛛の糸〜 2013年08月20日
そのときにこのブログに掲載された自分の文章を見返すことで、また強烈なRゆらぎとなると思います。
ですので、今の思考、今の限界、今の読みを開陳しておくことは、自分にとって圧倒的に役に立つのです。
いろいろと書きたいことがありますが、、
まずはミレパラ!
かっこいいですね〜。
セミナーでは紹介したことがあると思うのですが、この方のバレエあるあるは大好きです。ただ、あまりにニッチすぎて、ほとんどの人と共有できないので、こっそりと楽しむものです。
その方が、幸か不幸か、○○に見つかり(この名言は最近ご結婚された有吉さんのもの)、大騒ぎになりましたが(ヤマカイTVも参戦して)、東京バレエ団の上野水香さんとネタをやるまでになったのは本当に良かったと思います。
(この回はコントとしてはさほど面白いわけではないので、他の回等を是非!!いや、ニッチなんですけど)
そしてバレエがらみで言えば、新国のコッペリアは素晴らしかったです。
Rayオイルトリートメントスクールの最中ながら、裏で流していました。
今日も放映しますね!
政治家の無能は今に始まったことでもないデフォルトでしょうし、多くの医療者が暗記しか出来ず、頭がつかえないのも、メディアがフェイクニュースでPVを稼ぐのが専門なのも、大衆が煽られやすくて飢餓が原因の暴動でパン屋を破壊するのがデフォルトなのも十分に理解した上で、人の人生をもう少し邪魔しないで欲しいと心から思います。
とは言え、文字通り凄惨なテロによって、キャリアも人生も破壊されたアリアナ・グランデ姉さんも血の涙を流し続けたあとに復活しています。僕らも妨害を逆風として立ち上がりましょう。
POVのMVが素晴らしいですね!
そして前も紹介したかもしれませんが、アリアナがレコーディングの裏側をチラ見せした動画です。
オイルトリートメントで、手の密着のさせかた、気の流し方、タオルワークの隅々に至るまで、しつこくしつこく注意されて、気が狂いそうなセラピストの卵のみなさんは卓越性というのは、そのような徹底した細部のこだわりにしかないことを知るでしょう。
当たり前のことが、徹底的なこだわりを経て自然に当たり前にできることが、卓越性であり、偉大さなのです。
オイルトリートメントのマネごとなど、泥遊びのように子供でもできます。
それを圧倒的な価値として提供するためには、愚直なトレーニングが必要なのです。気が狂うほどに。
それはプロになってからも同じです。というか、プロになってからのほうが、はるかに厳しくです(全てのプロがそうだとは言っていません。プリンシプルの話しです)。
それこそが、オルテガの言う「愚者と賢者の間に永遠に存在している相違そのもの」なのです。
賢者は、自分がつねに愚者になり果てる寸前であることを肝に銘じている。だからこそ、すぐそこまでやって来ている愚劣さから逃れようと努力を続けるのである、そしてその努力にこそ英知があるのである。
で、このあとに、多く頂いたルー・タイスの「しかし」を巡る回答を載せようと思ったのですが、13時からRay式オイルトリートメントスクールですので、ここでおしまいにします!
考え続けることはとても大切です。
頭で考えても意味がありません。
口を動かし、耳をそばたて、身体を動かしましょう。
ルー・タイスになったつもりで、何度も何度もスクリプトを大きな声で読みましょう。
自分が何を見落としているのか、何を聞き落としているのか、、それが明瞭に浮かび上がってきます。
そのときはヘレン・ケラーのように「Water」と叫びましょう。
そして、そのあとも考え続けましょう。
「すぐそこまでやって来ている愚劣さから逃れようと努力し続け」ましょう。
人生を楽しみましょう!!