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Channel: 気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ
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「わからないものだね。今、ヨガマスターをしているんだ」って言いたいものですよね!( ー`дー´)

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「読解ができていない」と言われると、気分を害する人が多いと思うので、社会的知性にあふれた「まといのば」では(冗談です)、「もしかしたらそれは社会的洗脳のせいかも」と優しく言うようにしています。

 

いや、でも本当にそうです。

 

おそらくは小学校の国語の先生がいけないのではないかと、気の毒な国語の先生を勝手に犯人に仕立て上げます。

 

国語の授業で「この文章を読んで、何を感じましたか?」という質問が諸悪の根源なのだと思っています。

 

国語の授業で、聴くべきは、「この文章の構造を何でしょう?」でしょう。

「この文の構造を分析していきましょう」という掛け声をかけるべきです。

 

読解が無い状態で、適当な感想を互いに投げ合うから、糞の投げ合いのような無意味な阿鼻叫喚地獄が現出するのです(どこかのSNSのように)。

 

国語の先生のせいにしておけば、自己評価が傷つくこともありません。卑怯な方法かもしれませんが、プラグマティックな方法ではあります。

 

 

現代人は傷にあまりに脆弱なので、人のせいにしておけば良いのです。パンデミックも誰かのせいにしておけば、良いのです。まさか自分のせいなどとは夢にも思わない方が良いのです。

 

というわけで、国語の先生のせいにしておきましょう。

 

国語の先生が悪いわけではなく、当時の文部省(現在の文科省)が悪いと考え、その指導要領に不備があるとでも言っておけば、どこまでも自分が傷つかずにすみます。

 

 

で、「まといのば」の次の課題としては、その洗脳を解きましょう、ということです。

 

テクストに、あらかじめ存在する「意味」をなすりつけてしまうという読みをやめることです。

単語から連想される「意味」を読み取ってしまうクセをやめることです。

 

やめろと言われて、やめられるほど簡単なものではないので(洗脳なので)、特殊な方法を使って、脱洗脳していきましょう(という半年間の連続講座というか、メンター養成BootCampを開催します)。

 

そこでの課題や問題意識はガンガンここでもシェアしていきますので、ブログを通じて、その輪の中に入ることはできます!(多分!)。

 

 

なぜ洗脳と言えるかと言えば、、、、簡単なテストで分かります。

 

 

たとえば、以下の文章を読んでみましょう。

 

この壁の色は赤いが、しかし、この壁は本当は赤い。

 

 

という文章が何かおかしいということは僕らは容易に理解できます。

 

というか、「ええええええええええ」ってなりますよね?

「こいつ何言っているの?」って。

 

「が、しかし」という逆接の前後を無意識に比較するからです。比較してみて、「あれ?」ってなります。

 

もちろん、このあとにこの矛盾命題に対する謎解きが待っているかもしれないので、次に続く言葉を待つかもしれません。

 

 

いずれにせよ、この文章単独では意味を為していない、もしくは矛盾していることをあえて言っていることが分かります。

 

では、、、、

 

私の人生はかつて思い描いたものとは、まったく異なるものになっています。

 

あなたの成功も思ったとおりの形では訪れないかもしれません。しかし、将来振り返ったときは、私のように「わからないものだね。今、コーチをしているんだ」と言っているかもしれません。

 

これはどうでしょう?

 

「しかし」の前後で意味は逆になっているでしょうか?

 

もしなっていないとしたら、なぜルー・タイスはあえて「しかし」を使ったのでしょうか?

 

いや、ここで「しかし」を使う必然性があったのでしょうか?

(必然性があるから、使っているのですが)

 

 

 

たとえば、主語変わっているという説もあります。

 

私はバレエダンサーですが、しかし、あなたはバレエダンサーです。

 

って、おかしくないでしょうか。

 

時制が異なるという説もあります。

 

私はかつてダンサーを夢見ていましたが、しかし、今もダンサーを夢見ています。

 

これも奇妙です。

「しかし」に続くのが、たとえば、「もはや夢破れて、おちぶれています」なら分かります。

 

 

 

では、、、

 

あなたの成功も思ったとおりの形では訪れないかもしれません。しかし、将来振り返ったときは、私のように「わからないものだね。今、コーチをしているんだ」と言っているかもしれません。

 

これはどうでしょう?

 

ルー・タイスは自分を成功したと思っているのでしょうか?

思っていないのでしょうか?

 

読めば読むほど分からなくなってきた、、、、というのが正しい読解の姿勢です。

 

「しかし」を読み飛ばして、一読明解だと思っているのは、レベル0であり、読んでいるのではなく、見ている(眺めている)だけです。

 

サイモン&ガーファンクルの名曲に「The Sound of Silence」がありますが、その歌詞をもじって言えば、「人々は見ている、読むこと無しに」ですね。

 

People talking without speaking
People hearing without listening

(人々はおしゃべりをしている、話さずに。

人々は聞き流している、傾聴することなく)(←ひどい訳だ)

*でもこの歌詞は一緒に読解したいですね〜。

 

 

c.f.やあ、むかしなじみの暗闇よ、ぼくの友だち、やってきたんだ、またきみと話がしたくなって(サイモン) 2018年05月03日

c.f.♬暗闇の中で踊る。君を腕に抱きながら〜それは何ヵ月ものあいだ闇の中で躓きながらさまよったからこそ 2018年08月15日

 

 

 

レベル分けというのは便宜的なものですが、便利なので使っています。

先のブログをそのまま引用します!

 

 

読解のレベル分けをするとしたら、ホップ・ステップ・ジャンプの3段階になりそうです。

 

その前に問題外レベルがあるので、都合4段階ですね。

 

レベル0が「全く違和感なく読んでいました〜」です。これが一番多いでしょう。

「大きな理想を描くときには、細かい計画をしないほうがいい」って、思います!!

という方ですね。

ルー・タイスに賛成です!という人です(そんなあなたをルー・タイスは反対しますw)。

 

レベル1が「ここで逆接を使うのはとても違和感がある。逆接だと意味が通らない気がする」。眉間にシワがよる感じです。

 

レベル2が「文章の構造は正確に取れてきて、ますます『しかし』の意味が全く不明」。ガラガラと自分が信じてきた世界が崩れる直前の感覚。

 

レベル3が「たしかにここは逆接ではなくてはいけないし、スッキリと読める」という感じです。そこに至れば、もはや別人となります。

 

そのときにこう嘯(うそぶ)くことでしょう。

「わからないものだね。今、コーチをしているんだ」と。

 

 

あ、そうそう、ヨガマスターをされている方から、最新の写真を送っていただきました。

 

気功でこんなに変わるというエビデンスで、使っていただけたら嬉しいです」とのことだったので、喜んで紹介させていただきます!

 

ルー・タイス風に言えば、「わからないものだね。今、ヨガマスターをしているんだ」という感じでしょうか。

 

気功を丁寧に活用されていますね!

 

良いですね!

 

 

 

というわけで、今回も寄せいて頂いた回答を紹介させていただきます!(掲載の許可をいただき、ありがとうございました!!)。

 

 

まず、昨日も回答を寄せてくれたYさんから!

ブログに掲載させていただきました!)

 

 

(引用開始)

おはようございます。
昨日はありがとうございました。

度々申し訳ありません。
鉄は熱いうちに打て時思いまして、
連日回答を送らせて頂きます。
特に、昨日の文法を
しっかり取っている方を
ヒントに考えてみました。

回答は文章をそのまま読むことを
意識しました。
以下は、修飾語や推量にあたると
考えた部分をカッコにしています。

あなたの成功も(思ったとおりの形では)訪れない(かもしれません)。しかし、将来振り返ったときは、私のように「わからないものだね。今、コーチをしているんだ」と言っている(かもしれません)。

しかしの後は、私のようにとの
言葉がありますので、
主語はルータイスで無いですね。
僕は、ルータイスを主語と
頭の中で変換してました。。。

しかしの前後は文章のまま、
しかしの前後も主語はあなたと
読めます。
そして、結局、乱暴ですが、
何が逆説か分かりやすくするため、
文章を変換します。
上記でカッコをつけた、
修飾語や推量を省略しました。

あなたの成功も訪れない。しかし、将来振り返ったときは、私のように「わからないものだね。今、コーチをしているんだ」と言っている。

つまり、あなたに成功は訪れない。
しかし、あなたも
思ってもみない何か
(ルータイスの場合、コーチ)
になっていると読めます。

以下は感想ですが、
自分は、成功したい煩悩を
発火させて読んでたんでしょう。
けど、いわゆる成功って
訪れないのかもしれないですね。
ルータイスは、ソフトではなく、
ハードなんでしょうか。
(僕はやっぱり、ルータイスを
甘く考えてたんでしょう。。。)

以上、正解不正解関係なく、
数日前の自分とは
全然違う読み取り方が
出来たので、
改めて送らせて頂きました。
お忙しいところ、失礼致しました。

 

(引用終了)

 

 

数日前の自分とは全然違う読み取り方が出来た」というのが良いですね。

 

ひたすら考え続けることは大事です!

 

ピース又吉さん扮する国語の先生も「繰り返し読む」と言っています。ともかく繰り返し読み、繰り返し考えることです。それも根拠をいつも提示しながら。

 

続けて、海の向こうのアメリカから!

 

この方は日本にいるよりも長くアメリカにいらっしゃるのですが(きっと第一言語は英語なのですが)、いつも「まといのば」のブログの校正をしてくれています。ありがとうございます!!

 

(引用開始)

 

ルー・タイスの著書からの課題文に関してですが、いろいろ考えて訳がわからなくもなりましたが、シンプルに意識を向ける方向が逆になっているのではと思います。


「思った通りの形」というのは現在から未来方向へ意識を向け道程を想定するイメージですが、「振り返ったとき」というのは文字通り現在から過去方向に意識を向けている状態です。


ただ、課題文全体として見るならば、「思った通りの形」というのはシステム2が司っている領域であり、「振り返ったとき」というのは、私の想定が正しいのであれば、システム1を用いたこのコーチング・メソッドの結果に関するものであるので、その点が逆接になっているのではないかと思います。つまり、「システム2的には想定したようには行かないかもしれません。しかし、システム1的には想定した通りに行くかもしれません。」という事なのではという事です。そう解釈すれば本文の「つまり」の後に続く文章とも整合性が取れるのではないかと思います。


正解とは程遠いかもしれませんが、参加する事(考える事)に意義があると思い送らせていただきます。

 

(引用終了)

 

まさに、参加すること、考えることに意義がありますね!

 

非常に新しい切り口ですね。

 

システム1,システム2というのはカーネマンたち行動経済学者たちの用語です!

 

*お馴染みのカーネマンですね!

c.f.Fast & SlowとTouch me notからTry not、i'm lovin' it 2015年06月08日

c.f.こんちには みさなん おんげき ですか? わしたは げんき です。 2013年02月20日

 

 

 

(引用開始)

 

ブログの課題でルー・タイスが「しかし」を使った理由について考えてみました。

・・・私も回答して良いのか躊躇しましたが、アウトプットさせてください。ぜひよろしくお願いいたします。

+++

全体的に「今のあなた」の未来へのアドバイスであることを考えて、

「(今の)あなたのゴールは(今あなたが思ったとおりの形では)達成できないかもしれない」

と、自分自身の経験談をまじえながら、あくまでも「今のあなた」にとっては、きっと「不満足」な結果となるだろうことを、まるで慰めるような優しさが感じられます。

その気持ちのまま、「しかし」としたうえで、「私のように、想像を超えた成功を得るかも知れないよ。」

と、それは別に悪いことじゃないよと、そのまま未来への期待感を高めてくれているのではないか、と思えてきます。

すると「つまり」の後も、スッキリ読めます。

「細かい計画をしないほうがいいのです。方法や手段を固定するのも良策とはいえません。」

は、「どうせ無駄だから。」という意味合いになり、「想像を超えてしまう未来を期待して、あれこれ考えず動き出しましょう。」

と、言葉はなくともまさに「現状の外」のことを教えてくれていることになり、なんだか自分の目の前でルー・タイスがコーチングをしてくれているような気持になります。


つまり、「私」の過去の経験談を用いた、「現在のあなた」に向けた「未来」へのアドバイスという構造と思いました。

+++

課題をいただくまでは読解のレベルは完璧な0でした。(今も0のままかもですが)

でも、「なんでそう考えてしまったのだろう」と考えたときに、

若い頃からお気に入りだった「人間万事塞翁が馬」とか「終わりよければ総て良し」的な考え方が強く影響しているのではないか、

名言やことわざを自分の都合に合わせ悪用してしまっているのではないかと気付くことができました。

以上となります。ありがとうございます。

 

(引用終了)

 

自分の読解のレベルは完璧な0でした、と言えるのは、そこから脱した人ですね。

 

スコトーマと同じで、スコトーマがあるときはスコトーマは見えず(そりゃそうですね)、スコトーマが外れたときに、かつてスコトーマがあったことが認識できるのです。

 

読解も同じで、自分が読めていなかったというのは、読めるようになったときに痛烈に感じることができるのです。

 

続けて2つ紹介します!!

 

 

(引用開始)


お忙しいところ恐縮です。5月2日のブログの設問が大変興味深かったので、回答を作ってみました。
 

Q 3文目の「しかし」の前後で何が逆接なのかを示しなさい。

 

A.

 

成功が、

 

『思った通りの形では訪れないかもしれない』ことと、

 

必ずしも想定していなかったコーチの仕事をするかのごとく、想定外の手段をとっているかもしれないということが、

 

逆説になっている。 

 

(理由)

 

 ・ この文章は、ルーが語る相手の将来について語っているのだから、常にゴールに向かう過程にある人が、そうなる可能性について語っている。  

 

・ 『わからないものだね、いまコーチをしているんだ』というのは、ルーが話しかけている相手が、将来、そうあるかもしれないと言う仮定でルーは語っている。

 

・  『わからないものだね、いまコーチをしているんだ』コーチをしていることが『わからないもの』なのだから、想定していたのは、コーチ以外の仕事をしていることであり、ルーが語りかける相手が将来そういう感慨を持つ可能性があることを、ルーの体験として語っている(『私のように』)。

 

・  『わからないものだね、いまコーチをしているんだ』 の 後に、『大きな理想を描くときには・・・方法や手段は柔軟に持たせましょう』という文が、『つまり』という接続詞でつながっている。 

 

・ よって、ゴールに向かう人が仮に、彼自身思い描いて無かったコーチをしているという手段をとっていたとしても、それは否定されるべきでなく、方法や手段を柔軟に選択している一環として肯定的されるべきと語られている。

 

・ 思った通りの手段(コーチ以外)をとっているかもしれないことと、思っていなかった手段(コーチ)をとっているかもしれないことが、逆説になっている。

 

・ 『思った通りの形』の『形』が、方法や手段。という言葉に対応していたら・・・と思うのですが、これも勝手読みでしょうか^^;

 

自分の頭のポンコツ具合に悲しくなってきます^^

 

(引用終了)

 

ありがとうございます!!!!

 

ラストはこちらです!!

 

(引用開始)

 

——————————————————————————————————
Q なぜ「しかし」を用いているのか

A 「しかし」の文章の前に、下記一文が隠れているから
→現在、ゴールに向かって計画的に行動を積み重ねている人も多いでしょう。
——————————————————————————————————  

この一文があると「しかし」の文もその次の「つまり」の文にも繋がるかなと思いました。
(この考えた文自体が微妙な気はしてるのですが・・)


が・・・
読めば読むほどよく分からなくなってきました 笑

 

(引用終了)

 

そして、いま掲載許可をいただいた分があったので、それも紹介させていただきます!!

 

(引用開始)

 

今のあなた(読者)はかつての私(ルー・タイス)がしたように、大きな理想を描くときに細かい計画をしたり、良策とはいえない方法や手段を固定したりすると、それが思った通りの形では訪れない可能性がある、と「しかし」の前では主張されている。

そして「しかし」という逆接がここで使われているのは、そのような細かい計画をしたり、方法や手段を固定したりしなければ、ルー・タイス自身が思い描いた結果「コーチをしている」というような一連の流れと類似の流れを読者が発生させることができる、ということを主張したかったから。

(つまり、結果を思い描く際に、手法や手段に柔軟性を持たせれば、ルー・タイスがコーチになったように、読者も、自分が思い描く大きな理想を実現できる。)

(台詞で使われている「わからないものだね」というのは謙遜として使われているとともに、細かい計画をしないで、結果を実現させたときには、こういう言葉が出てくるのであろうと推測される。)

 

(引用終了)

 

 

課題文というか、ルー・タイスの著書「アファメーション」からの一節を最後に紹介します!

 

 

私の人生はかつて思い描いたものとは、まったく異なるものになっています。

 

あなたの成功も思ったとおりの形では訪れないかもしれません。しかし、将来振り返ったときは、私のように「わからないものだね。今、コーチをしているんだ」と言っているかもしれません。つまり、大きな理想を描くときには、細かい計画をしないほうがいいのです。方法や手段を固定するのも良策とはいえません。結果を思い描き、方法や手段には柔軟性を持たせましょう。

 

(p.295-296  ルー・タイス『アファメーション』)(引用終了)

 

 

ヒントというか、補助線として、原文も紹介します!!

 

My life is very different from the way I thought it would be.

 

Your success may not come the way you thought it would either. But if you stop and reflect back, you may say with me, "Well, what do you know, I am a coach." So, be careful that you don't map the way to some of your big ideals. Don't lock on to some method or means. Keep the end in mind, but be flexible about ways and means.

 

 

 

 

Q. 2文目の「Your success may not come the way you thought it would either. 」の文法的構造を解きほぐしつつ、なぜこの次に続くのが「But」なのかを説明しなさい。

 

 

読めば読むほど、分からなくなるのが、正しい「読解の道」を歩いている証拠です!!

 

文字を読むというのは、簡単なことではないのです。

 

でも読解の冒険を繰り返していくと、だんだん慣れてきます。

慣れてきた頃は、読解の筋肉が鍛えられてきます。

そうすると、読書もコミュニケーションもヒーリングも楽しくなってきます!!

 


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