オルテガはシニカルにこう言います。
飢饉が原因の暴動では、一般大衆はパンを求めるのが普通だが、なんとそのためにパン屋を破壊するというのが彼らの普通のやり方なのである。
「普通」が二通りの使われ方をしていて、読みづらいですが、、、飢饉であれば、本来は空腹を満たすためにパンを欲しがるのが通常であるはずなのに、そのパンを提供するシステムであるところのパン屋を破壊するのが、一般大衆の暴動のあり方であるという意味でしょうか。
この行動は明らかに矛盾しているようですが、彼らの中では筋が通っているのです。
何の話かと言えば、アメリカの暴動についてです。
ジョージ・フロイドさん46歳がミネアポリスで警察官に首を膝で押さえつけられ、息が出来ず、数分後に意識を失い、その後、搬送先の病院で死亡します。酷い事件です。
(偽札を店で使ったという犯罪の容疑に対して、膝で首を絞めるというのは、どうかと思います。その上、死に至らしめるとは)(ここにはアイヒマン事件、そしてスタンフォード大学監獄実験で示された構造的な問題がいつもつきまといます)。
ここに人種差別を感じた人々が抗議行動をはじめ、それが次第に暴徒化しました。
関与した警察官は解雇、FBIが捜査に乗り出し、市長はコミュニティーに謝罪しています。
*誰かが壊したガラスは、誰かが掃除し、誰かがお金を出して、誰かが張替えねばなりません。当然ながら、自然に元通りになることはありません。
世界中の政府が行っている様々な給付や貸付によるばら撒きも同様の絵に見えます(真水の注入によって、バブルはまた膨らみます)。
ばら撒くこと自体ではなく、それが当然の権利だと思ってしまう大衆の側のブリーフシステムについてです。
天災というか、むしろ人災によって起こった不況に対して、多くの人が政府に責任があると考えており、政府が保証すべきと考えているようですが、、、、その根拠はどこにあるのでしょう?
政府による保証が当然のように感じるのは、我々がオルテガの言うように大衆だからです。
つまり、彼らの最大の関心事は自分の安楽な生活でありながら、その実、その安楽な生活の根拠には連帯責任を感じていなのである。彼らは文明の利点の中に、非常な努力と細心の注意をもってして初めて維持しうる奇跡的な発明と構築とを見てとらないのだから、自分たちの役割は、それらをあたかも生得的な権利ででもあるかのごとく、断乎として要求することにのみあると信じるのである。飢饉が原因の暴動では、一般大衆はパンを求めるのが普通だが、なんとそのためにパン屋を破壊するというのが彼らの普通のやり方なのである。
(p.82 オルテガ・イ・ガセット『大衆の反逆』)
大衆の最大の関心事は、自身の安楽な生活であるとオルテガは言います。
しかし、その安楽な生活を保証してくれる現代文明に関しては、あたかも自然物のように感じているのです。
しかし、現代文明は自然物ではなく、人工物です。
「非常な努力と細心の注意をもってして初めて維持しうる奇跡的な発明と構築」なのです。
たとえば現代文明が滅びるためには、不思議な爆発によって、人類がすべて石化する必要はないのです。
c.f.昨日までは全てのトラブルは遠くに感じたのに、、なぜ、彼女は去ってゆかなければならなかったのか 2019年10月14日
今日の最も偉大な物理学者の1人で、アインシュタインの同僚であり継承者でもあるヘルマン・ヴェイルは、友人との対話の中でつねに次のようなことをいっている。つまり、もし特定の十もしくは十二人の物理学者が突然死んだとすれば、今日の物理学の奇跡が永遠に人間から消え去ってしまうことはほとんどまちがいないだろう。人間の知性を物理理論の複雑な抽象性に適合させるには、何世紀にもわたる準備期間が必要だったのである。なんらかの突発事件がかくも驚異的な人間の可能性ーーしかも、それは未来の技術の基礎でもあるのだがーーーを抹殺してしまうことさえありうるのである。(pp.72-73)
*ヘルマン・ワイル
「私の仕事は、常に真実を美と統一しようとするものであった。しかし、どちらか一方を選ばざるを得ない時には、美を選んだ。」
ここではオルテガは可能性について語っていますが、我々は「今日の物理学の奇跡が永遠に人間から消え去ってしまうこと」というようなことは、有史以来、繰り返し起こっただろうと断言します。起こり得ることは起こり得るのです。時間さえかければ、それは確実に起こること、いや起きたことになります。
たとえば物理学者のカルロ・ロヴェッリはデモクリトスの全著作の散逸は、アリストテレスを失うより酷いと考えています(僕が先日のセミナーでタレブと間違えたカルロ・ロヴェッリですね)。
わたしはよく自問する。デモクリトスの全著作の散逸は、古代文明の崩壊のあとにおこった、人類の知をめぐるもっとも大きな悲劇ではないだろうか。(略)残念ながら、わたしたちに残されたのはアリストテレスばかりである。西欧の思想はアリストテレスを基礎にして再建された。そこにデモクリトスの居場所はない。おそらくデモクリトスの著作がすべて残り、アリストテレスの著作がすべて散逸した方が、わたしたちの文明はより良い知の歴史を築けただろう。(カルロ・ロヴェッリ『すごい物理学講義』)
ちなみデモクリトスの主張(原子論)は「気難しく落ち着きのない25歳の青年」によって証明されます。
「大学で物理学を修めたものの、研究職に就くことはかなわず、ベルンの特許庁に勤めながら、先行きの見えない生活を送っていた」青年によって。
とは言え、別にデモクリトスとアリストテレスをトレード・オフにしなくても良いですし、デモクリトスが残っていたら、早々に原子力エネルギーが発見され、世界が普通に滅びて、石器時代(ドクターストーンの時代に)に舞い戻っていたかもしれません。
エネルギーは質量と等価であるという式は、そのまま原子力エネルギーの式でもあります。
脱線したので、話を戻します!
大衆の最大の関心事は、自身の安楽な生活であり、しかし、その安楽な生活を保証してくれる現代文明に関しては、あたかも自然物のように感じており、恩義を感じていないのです。
しかし、現代文明は自然物ではなく、人工物です。誰かの労働によって贖われています。
「非常な努力と細心の注意をもってして初めて維持しうる奇跡的な発明と構築」なのです。
たとえば現代文明が滅びるためには、不思議な爆発によって、人類がすべて石化する必要はないというところまでが、これまでの議論でした。
ですので、そのありがたい現代文明を「あたかも生得的な権利ででもあるかのごとく、断乎として要求する」のは狂っていると思うべきです。大きな声で言えませんが「働けない分は国が払え」というのは何かがおかしいのです。
しかし大衆はあくまでも生得的な権利と感じ、その権利の行使を断乎として要求するのは、彼らにとっては自然なことなのです。だからこそ、飢餓が原因の暴動でも、パン屋を破壊するという謎行動をするのです。
我々も国にせよ、地球環境にせよ、ある程度サイズ以上のものに対する想像力が極端に無くなります(厳密には家族にせよ、夫婦にせよ、親子にせよ、会社にせよ、小さなコミュニティーでも同じですが)。
そうすると、その幼稚な甘えによって、自分の依って立つ根源を破壊するのです。
衝動の赴くままに放置されれば、大衆というものはーーそれが平民であろうと「貴族」であろうとーー生きることに懸命なあまり、自己の生命の根源を破壊する傾向をつねに示すものである。
(p.83 オルテガ・イ・ガセット『大衆の反逆』)
ですので、僕らは創造する少数者でありましょう
(でも、お金は受け取りましょうw
借りる必要があるなら、借りられるだけ借りましょう。
しかしブリーフシステムだけは調整しましょう)。
暴徒に破壊されることをいつも想定しながら、創造する少数者で。