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Channel: 気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ
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新米の癖に伝統を汚しやがってby最澄『新米ノ真言家、則チ筆授之相承ヲ泯ス(最澄「依憑天台宗序」

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明日から気功整体師養成スクールです!

駆け込み受講も歓迎です!!

25日(火)のまといのば講座では、3月に開催する超能力系大全スクールのイントロダクションとして、「ホルスの目、ミケランジェロコード、サードアイ」をやります!

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*来月の予定です!!

 

・ヒーラー養成スクール「超能力大全」3月14日(土)15日(日)

(これはかなりヤバい企画です!)

 

・はじめての気功「(未定)」3月17日(火)
・まといのば講座「(未定)」3月19日(木)

・3月20日(金・祝) 気功整体(ソルジャー養成)Boot Camp講習会(第2回)

お申し込みフォームはこれから作ります。LINE@でのお申込みも可能です!

 

互いにリスペクトがあった最澄と空海が最終的に分かりあえなかったのは、深い深い次元の断層があったからではないでしょうか。

 

「恋愛は誤解から始まり、理解で終わる」という芳しい言葉がありますが(だからこそ、ずっと恋愛関係を維持したければ、誤解を続けることです。麗しい誤解を(笑)

それを誤解ではなく、大いなる勘違いとするならば、O・ヘンリーがよく描いたようにそれが叶ったりするのです。大いなる勘違いとは「ゴール」の前身の表現です

気功技術としては、ARですね。この勘違い力というのはきわめて重要です。ヒーラーにとってもコーチにとっても、人間にとっても)。

 

二人が盛り上がっているときはお互いを誤解しているのです。

それも自分にとって都合の良い誤解です。

そして、次第に熱が冷めてきて、クールになってきて(文字通りw)、そして理解が始まると、誤解を前提にした脆い砂上の楼閣であったことに気付き、別れます。

 

「君の膵臓をたべたい」はお互いの誤解で始まり、誤解のまま終わり、終わって理解が少し始まるという作品で、、、(個人的にはどうしても良い作品とは思えないのですが。趣味ではなかったということで)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

フロイトはユダヤ人以外の心理学者が欲しく、ユングはフロイトに理想の父親を観ました。それぞれの政治的立場があり、誤解の霧の中で相思相愛となり、理解のすきま風が吹いて、二人は慇懃無礼に断絶していきます。ユングの愛人はフロイトとユングの仲を取り持とうとしますが、失敗します(そして、ユングのもとを離れて、フロイトの弟子となります)。

 

 

最澄と空海も同様です。

 

最澄はスーパーエリート、空海は雑草です。

 

日本に最初に密教をもたらしたのは?

 

というクイズがあっとしたら、正解は空海、、、、ではなく最澄です。

 

最澄は雑密ながら密教の経典を持ち帰っていますし、最初の密教伝授も行っています。

日本の最初の密教僧は最澄です(雑密は伝わっていますが)。

 

ただ最澄は経典をコピペして持って帰ってくれば良いとしたのに対して、空海は身体で覚えない限り、それは知識ではないと考えました。

 

立体曼荼羅結界で言うところの「次元の断層」が明確にあるのです。

クリプキのGlue Bleenと同じですね。同じものを指していても、違うものを示しているのです。

シニフィエとシニフィアンは恣意的であり、一致しないのです。

 

ここで言えば知識に対する考え方が、空海と最澄では異なるということです。

 

最澄にとっては、知識とは文字情報であり、重要なのはコピーすることです。そのあとでゆっくり解釈すれば良いと考えます。空海は身体で覚えるものであり、文字は楽譜のようなもので、重要なのは演奏であり、その技量を磨くことが大事と考えます。

 

それは司馬史観ではないかという反論はあるかと思います。実際に司馬遼太郎さんの影響は(学校教科書から大河ドラマに至るまで)大きいと思いますw

 

ただ、たとえば最澄は空海をこう悪し様に罵っています。

 

新米ノ真言家、則チ筆授之相承ヲ泯ス(最澄「依憑天台宗序」)

あいつは筆授で外来文化をうけ入れるという日本の伝統をほろぼしてしまった

(司馬遼太郎「空海の風景」)

 

「新米の真言家でしかない空海の野郎が、筆授で中国の文化や学びを受け入れるという日本の大事な伝統を滅ぼしやがった」と最澄は悪し様に書いているのです。

 

それに対して、空海は「筆授之相承? は?(なにそれ、美味しいの?)」と返しています。

 

空海が最澄に対してのいわば絶縁状になったお手紙にこう書いてあります。

 

 モシ心ノ理趣ヲ覓ムレバ、汝ガ心ノ中ニ有リ。別人ノ心ノ中ニ覓ムルヲ用イザレ。

 

お前は理趣釈教などというが、お前の三密がすなわち理趣ではないか。同じ意味で、私の三密も釈教なのである。私がお前のからだを得ることができないように、お前も私の身体を得ることができない。繰り返すが、お前は理趣釈教という。お前は誰にそれを求めるのか、求めようがあるまい。また私も誰にそれを与えるのか、与えようもないことだ

 

理趣釈教というのは、理趣経の注釈の書です。

 

注釈と言えば、以前空海(弘法大師)の書を見たことがあります。

 

空海は三筆とも言われ、書でも有名です(書だけではなく、土地土地で様々な奇跡を起こした超能力者というか異能者としても有名です。一人で寂しくコスプレスタンプラリーに参加していると隣についてきてくれたもします。同行二人ですねw)。

 

日本で始めて正式な伝法灌頂伝授をするときの式次第のようなものでした。

トップには一番弟子の最澄の名前が書いてあり、結縁を結ぶ仏様の名前もそれぞれに書いてあったように思います。

 

その書が、、、、達筆というよりはなぐり書きでしたwww

 

というのも、空海にとってはそんなセレモニーは全然重要性がなくて、伝授の朝に弟子からせっつかれてダッシュで書いたのではないかと思うくらいのなぐり書きでした。

もちろん僕に書を見る目がないので、これは正当ななんたらなのかもしれませんが。

 

実は別な書との比較があって、なぐり書きに見えたのです。

それはまさに釈教でした。空海が経典に注釈を書き込んでいるのです。

本当に僕らが本に書き込みをするような汚さで書き込んでいるものもあるのですが、一方で極小フォントでものすごく綺麗に書いてあるお経と釈教もありました(冒頭に三蔵法師の名前がありました。そう、あの孫悟空を連れてインドに経典を取りに行った三蔵法師ですねw)。

 

その達筆さというか美しさを見たあとだと、なぐり書きにしか見えませんでした。いや達筆でしたけど。

 

リアルなモノって本当にその人が息づいています。書を通じて、なぐり書きしている空海が見えるようです(リアルなモノということで言えば、ルノワールが最後に使っていたパレットと眼鏡の実物を見たことがあります。「あ〜目が悪いからあんな絵なんだ。見たまま書いたんだな〜」と思いましたというのは冗談ですが。リアルなものリアルな息遣いが感じられました)

 

 

リアルさというのは、フラクタルです。フラクタルというのは、本来はどこまで細かくしていってもシンプルさが出てこないというものです。

フラクタルの単純なものは、同じものの繰り返しです。曼荼羅もそうですが(正確には曼荼羅が描こうとしている世界もフラクタルです)、四角形を9分割して、そこでできた四角形を9分割します。

 

 

これを三角形にしても同じです(パスカルの三角形というか、シェルピンスキーのギャスケットですね)。

 

 

でも、実際は同相反復ということではなく、どんなに細かくしていっても複雑なのがフラクタルという数学的概念の意味です。

 

セミナーで紹介したマンデルブロー図形です。

c.f.ホメオスタシスのカラクリに迫る!天使か悪魔か、はたまた、、、 2017年01月26日

 

数学宇宙があっさりと物理宇宙のオーダーを超すのが分かります。

しかし、そのオーダーは一行の数式から無限に生み出される数学宇宙なのです。

 

とは言え、リアルはもっと複雑です。予測可能な数学宇宙よりも複雑です。

 

c.f.ホレイショー、天と地の間にはお前の哲学などには思いもよらぬ出来事があるのだ(ハムレット)」

c.f.寺子屋は「音楽と芸術から観る『美学』〜剽窃と変奏〜」 2015年06月25日

 

 

その複雑さを体感すると、畏敬の念に打たれたり、神秘を感じたりします。それがフラクタル感覚です(いま、適当に造語しましたw)。

 

そこがお前にはわかっていない!!と空海は最澄を諭(さと)します。

 

 モシ心ノ理趣ヲ覓ムレバ、汝ガ心ノ中ニ有リ。別人ノ心ノ中ニ覓ムルヲ用イザレ。

 

お前は理趣釈教などというが、お前の三密がすなわち理趣ではないか。同じ意味で、私の三密も釈教なのである。私がお前のからだを得ることができないように、お前も私の身体を得ることができない。繰り返すが、お前は理趣釈教という。お前は誰にそれを求めるのか、求めようがあるまい。また私も誰にそれを与えるのか、与えようもないことだ)(司馬遼太郎「空海の風景」)

 

最澄が「筆授」にこだわったのに対して、空海は「からだ」なのです。

 

汝ガ心ノ中ニ有リ

(お前の心の中に理趣釈教はあるではないか)

なのです。

 

これはもちろん自分の心の浅瀬を漁っても真理などは出てくるという話しではありません(スピ注意です)。

そんな浅薄な話しではありませんし、空海自身も経典は求め、教えも求めます。

ただ、それは文字を書き写せば良いのではなく、頭で解釈すれば良いのではなく、自分の血肉化せよと言っているように聞こえます。

読んだだけで、分かった気になるな、と。

いや、読んで覚えて、それを人前でペラペラと話せるだけで、分かった気になるな、という空海の声が聞こえます。

それを血肉化するまで、身体に落とし込め、と。

 

それが「汝ガ心ノ中ニ有リ」ということです。

 

この両者は言葉は交わし合っていますが、次元の断層があり、分かりあえない位置にいるのです。

アンジャッシュさんのコントのように。

 

 

 

c.f.抽象度の上がり方が前よりもエレガントになった感覚があります 2011年08月21日

 

 

 

ただ空海も最澄も天才ですので、その生き違いをメタで認識して、それぞれの政治的立場というか、重要性関数で批判しています。

 

それが最澄の罵りであり、空海の戒めです。

 

新米ノ真言家、則チ筆授之相承ヲ泯ス(最澄「依憑天台宗序」)

あいつは筆授で外来文化をうけ入れるという日本の伝統をほろぼしてしまった

(司馬遼太郎「空海の風景」)

 

 

 モシ心ノ理趣ヲ覓ムレバ、汝ガ心ノ中ニ有リ。別人ノ心ノ中ニ覓ムルヲ用イザレ。

 

お前は理趣釈教などというが、お前の三密がすなわち理趣ではないか。同じ意味で、私の三密も釈教なのである。私がお前のからだを得ることができないように、お前も私の身体を得ることができない。繰り返すが、お前は理趣釈教という。お前は誰にそれを求めるのか、求めようがあるまい。また私も誰にそれを与えるのか、与えようもないことだ)(司馬遼太郎「空海の風景」)

 

お互いにアホかと思っているのです。

 

そして、皮肉にも顕教方式の最澄がその伝言ゲームの破綻の少なさゆえに、のちの天才を幾人も輩出します(法然も親鸞も日蓮も天台です。ほとんどは天台宗から派生します)。ここは面白いパラドックスですね。

 

ですので、OnLine MenTorも最澄方式です。

福音書方式であり、教科書方式です。

気功をとことん精製して単純化していますw

(ただし、OnLine MenTor2期は密教編で相当に空海方式ですけど)

 

というわけで、次元の断層を意識しつつ、我々は顕密の良いところ取りをしていきましょう!

顕教はやはり高速道路です。

素早く移動できます。しかし、密教のゲリラ的な強さが手に入りません。

そして、あまりに同じ金太郎飴で差別化もできませんし、オリジナリティも生まれません。

両方の良いところ取りをしていきましょう!

 

明日からの気功整体師養成スクールもお楽しみに!!

 

 

 

【気功整体師養成スクール 〜名人・達人への道と解剖直観〜】
【日時】 2月22日()13:00~18:00 

     2月23日()13:00~18:00

【場所】 四ツ谷のセミナールーム(丸ノ内線四谷三丁目駅、都営新宿線曙橋駅が最寄り)
【受講料】  230,000円(PayPal決済可能です。請求先アドレスを記載してください)
【受講資格】 「まといのば」セミナー受講生(もしくはそれに準ずる方、他で「まといのば」の主宰のセミナーを受けている方もOKです)
【持ち物】 情熱とゴールと筆記用具と動きやすい服装
【お申し込み】お申し込みはこちらから。

 


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