戯画化された教養や科学史ではリンゴを巡って、このように習います。
アダムとイヴは禁断の実と言われたりんごを食べて、楽園を追放され、ニュートンは木からリンゴが落ちるのを見て、月もまた落ちていることに気づき、アインシュタインはリンゴの上を這う蟲は果たして、外からの視点無しで自分の歩いている空間の曲率に気付けるかという問題意識を持ちます。
アダムとイヴが食べたのはたしかに禁断の実でしたが、それがリンゴだというのは後年の誤訳であり、ニュートンが木から落ちたリンゴを見て万有引力を発見したという都市伝説の提唱者はご本人だったという研究があります。
アインシュタインの可愛そうなバグ(虫)は十分な知性があれば、外から見なくても空間の曲率についての知識を得られます。
アインシュタインによれば、時空間は曲がっていると言いますが、それはぐにゃりと曲がった何かを外から見ているのではないという点がポイントです。
リンゴの上を歩く虫は、十分な知性があれば、自分が歩いている世界の曲率を正確に計算できるのです。
![]() | Gravitation 6,125円 Amazon |
*名著Gravitationの表紙はこれについて書かれたものです。
普通にお勉強してしまうと、ニュートンはこう考えたと誤解します。
リンゴはなぜ落ちるのに、月は落ちてこないのか?と考えた、と。
これはもちろん間違いで、なぜ両方とも落ちているのに、同じように我々に見えないのかというのが彼の問題意識です。
実際に月は落下しており、その加速度は地上のリンゴのふるまいと同じでした。
*おなじみのプリンキピア・マテマティカの挿絵。投げたリンゴがいかに月になるかについての図です(いや、違いますが、内容はそのままです)。
アインシュタインについても同様です。
「太陽のような大きな質量を持っている存在の周囲の時空は歪む」などと言うと、なにかリンゴを外から見て、その曲率を判定するような感じになります。
いや、もちろん地球だって、地上の生物やモノにとっては十分に大きな質量であり、その時空のゆがみから逃れることはできません(第一宇宙速度を超えない限りは)。
でも、このような図が深刻なミスリードを起こします。
一見、分かりやすい説明なのですが(実際に直感的に分かりやすいのですが)、深刻な間違いをはらんでいます。
すなわち、我々は時空のゆがみを外から超越的に眺めているということです。
虫はリンゴを外からドローンで眺めたりはしないのです。
虫はリンゴの上をはいずり回りながら、その足裏の感覚で空間の曲率を嗅ぎ分けることができます(これは純粋に比喩的な表現です)。
我々も時空の中にいて、内側からその歪みを知ることができるのです。
古代ギリシャの人々は地球が球体であることを知っていましたが、彼らはロケットで月まで行って、地球を眺めたわけではありません。
いやいや、ポイントは月から地球を見て、地球が球体であることを知ることはできないということです(極端な言い方ですが)。
逆に地球の上を這いずり回りながら、古代ギリシャ人のように、地球が球体であることを知ることはできるのです。
下が上であり、上が下であることを知ることができるのです(ブラジルにとっての上は、日本にとっての下であり、逆もまた真なりです)。
逆にNASAでも、JAXAでも映像をいくら見せても「それは合成でしょ」という地球平面説の信者の信仰を止めることはできません。止めることができるとしたら、唯一科学だけです。科学的思考によって、内側に入り、内側から自分の世界を理解しようと務めることだけです。
虫がリンゴの上を這いずり回りながら、曲率を知るのと同じです。
唐突な展開ですが(僕自身は唐突とは思っていませんが)、生きた解剖学も同じです。
リンゴを外から見るのではなく、リンゴの表面を這いずり回って、それでも曲率を知るような作業が「生きた解剖学」です。
「世界を外から見る視点」というのを仮に要請すると、その補助線は世界のあり方を非常に単純化します。それは非常に助かる補助器具なのですが、一方で諸刃の剣でもあります。
世界に対する見方を決定的に歪めるのです。歪めるというか、見えなくします。
アインシュタインの歪んだ時空間は外から観察できません(その意味で「ビッグバンを見た」が途方も無い誤解を前提にしていることを知るべきです。ちなみにこのような体験を否定はしていませんし、実際に「まといのば」の寺子屋ではそれを擬似的に体験してもらっています。ホーキングを使うことで。しかし、それは間違っているのです。ビッグバンは外側から観測するものではなく、内側から体験するものです)。
時空間は内側から見た形状が平坦な空間とは異なっているという意味で歪んでいるのです。そしてそれは計算可能なのです。
地球の表面が歪んでいることを、古代ギリシャ人はロケットを飛ばさずに知ることができました。
この知性をもってしか、知ることができないことを、我々は知ったふりをしてしまうのです。
(NASAの合成写真を確証の根拠にしたりしてw)
そうではなく、リルケではないですが、もっと内に入りましょう。
そして、そこに豊穣な知の世界を見つけましょう!
p.s. というわけで、上腕二頭筋から触っていきましょう!
上腕二頭筋から僧帽筋上部線維へと行くのが飽きたなら、上腕三頭筋、三角筋も触りましょう。
触るのに飽きたなら、動かしましょう。
関節を動かして筋肉を動かすのに飽きたなら、アイソメトリックに筋肉を収縮させましょう。
そして、そのときの内側の感覚をアリアドネの糸としましょう。
ある筋肉を動かすときの、原因となるニューロンの発火すら感じるように(実際に必要です)。
外側から筋肉を触るのは、わかりやすさのためです。そのわかりやすさを利用して、わかりにくい感覚を醸成していきましょう。
その身体と感覚と臨場感を持って、クライアントさんの前に立ち、クライアントさんが感じていることを内側から感じることが「まといのば」の目指す気功整体師です。
内側から感じることで、そこに歪みを見つけます。
リンゴの曲率を、表面を這い回りながらも感じるように、相手の心の内側に入り込みながら、歪みを感じます。
そしてその認知の歪みを、丁寧に取り除くことで、機能を回復させていきます。
ですので、まずは自分の身体を丁寧に触りましょう!!
結局は自分に帰ってきます。
そして、自分の愚かさに自分を呪いたくなるのものです。
何も見えない自分の目を突き、くだらぬことを言う口を縫い合わせ、何も聞こえない耳を切り落としたくなるでしょう。
実際にオイディプス王は真実のみが見えなかった自分の目を自分で突き刺して、こう言いました。
「もはやお前たちは、この身にふりかかってきた数々の禍も、おれがみずから犯してきたもろもろの罪業も見てくれるな!いまよりのち、お前たちは暗闇の中にあれ!目にはしてはならぬ人を見、知りたいとねがっていた人を見分けることのできなかったお前たちは、もう誰の姿も見てはならぬ。
(ソポクレス 藤沢令夫訳 岩波文庫オイディプス王 pp.94-97 1967年)
いまよりのち、お前たちは暗闇の中にあれ!もう誰の姿も見てはならぬ。2014年01月01日
我々もそうしたくなる瞬間が何度も訪れるでしょうが、すべての感覚を遮断して(いや、触覚だけは残してw)、自分の身体を丁寧に触りましょう。運動神経と感覚神経の織りなすダンスを感じながら、丁寧に触りましょう。
そうやって僕らはリンゴの上を盲目のまま這いずり回って、その曲率を足の裏で感じるのです。