プロしてヒーリングをするにしても、ヒーリングを教えるにしてもしっかりと理解しておくべきなのは、「仕掛ける側」と「仕掛けられる側」がいるということです。
考えてみれば当たり前のことです。術者がいて、クライアントがいます。
内部表現を書き換える側がいて、書き換えられる側がいます。
「奇跡も魔法も、あるんだよ」(美樹さやか『魔法少女まどか☆マギカ』)
奇跡はどこにあるのかと言えば、関係性の中にあります。
魔法もどこにあるのかと言えば、関係性の中にあります。
ダレン・ブラウンの言葉で言えば、「それは観客の頭の中にしか存在しない体験」なのです。
それは観客の頭の中にしか存在しない体験で、その体験はきみの技術が導き出したのかもしれないが、技術そのものと体験は同じではない。それは観客の体験の中にあり、マジシャンが使っている手法の中で見つかることはないのだ。つまり何よりも大切なのはプレゼンテーションということになる。(ダレン・ブラウン)
*マジックのほとんどはトリックが終わってから起こる。(ダレン・ブラウン) 2018-12-24
これは重要な考え方です。
(もっと言えば、全ては我々の「頭の中にしか存在しない」のですが)
仕掛けられている側であることを理解せずに、自分自身が奇跡や魔法の主体だと思ってしまうのを妄想と言います。
それをそのまま教えれば、何もできない人を量産するだけです。
より具体的に言えば、ヒーリングを教えているにも関わらず、ヒーリングができない人を量産するということです。
いやいや、もちろんそれが悪いわけではありません。
悪い意味でふわっとした夢を見たいだけの人はたくさんいます。
不思議が好きで、憧れているだけで、ふわっと楽しみたい人はたくさんいます。
その人のニーズを満たすために、何もできない人を量産するというビジネスのスタイルはあると思います。
ただ「まといのば」はそのような意味での使えないエンターテインメントを提供する気はないので、違いを理解しましょうねと伝えています。
違いは何かと言えば、奇跡も魔法もなくて、種も仕掛けもありますし、トリックが明確にあります、ということです。
ただそのトリックは一般に非常につまらないものです。
「なんだそんなことか」というようなものです(まあ、でも僕らはその「つまらない」トリックに興奮するのですが)。
それをアーサー・C・クラークはこう言いました。
「十分に進歩したテクノロジーは魔法と区別がつかない」(アーサー・C・クラーク)
*何度も紹介していますが、初出は気功は携帯電話!? 2010-08-22です!
蛇足ながら、解説すると、このとき物理学者や工学者にとって「魔法」は存在せず、それ以外の人にとって「魔法」(と区別がつかない何か)があります。
「奇跡も魔法もあるんだよ」とは、「君の頭の中にね」、という限定付きなのです(まどマギはSFなので、現実世界にも奇跡も魔法もありますが)
(ちなみに、これは魔法少女まどか☆マギカで、美樹さやかが言うセリフ。彼女は視点の移動を失敗したので、魔境に落ちたのかも)
術者とクライアントが当然ながら、見ている世界は違います。
たとえて言えば、クライアントが見ているのは、舞台上で展開されているもの。
術者が見ているのは、バタバタした舞台裏であり、それを支えているのは長く積み重ねてきたリハーサルです。
もちろん入念に準備され、計画されたものでありながら、舞台では何が起こるか分かりません。舞台には魔物が住んでいるなどと言いますが、ヒーリングのセッションも同じです。
ランダムネスが強烈に働き、ブラック・スワンが出現することがあります。
偶然に起きたことが、全体を大きく左右するのです。
その大きな意味を持つ偶然性を強引に自分たちのゴールに引き寄せていくのが腕の見せ所です。これは純粋にテクニックであり、論理です。
ですので、鍛錬を欠かさずに、実戦を積み重ねることで自分自身を鍛えましょう!
というわけで、整理しましょう。
シンプルに言えば、「仕掛ける側と仕掛けられる側がいる」ということです。
露悪的に言えば、「騙す側と騙される側」ですね。
奇跡も魔法もと言った時に、どの視点から見てそう言えるのかを理解しましょう。
(ちなみに、日本語の使い方として、誰かが主体的に判断したことであっても、自然現象のように記述することがあります。
「すごく行きたかったのですが、いけなくなってしまって、、」とか、日本語では表現します。いやいや行かないと主体的に判断したのは自分であるにも関わらず、自然に起きたように、もしくは外部要因で仕方なくと表現します。
ですので、多言語を習得するということは、ダイレクトに脳力を習得することでもあります。それはあたかも魔術のようなので、文法=GlamourはGrimoire=魔導書なのです)
言語は脳を規定します。しかし、規定されてばかりではアウトなので、その規定を逆手に取りましょう。奇跡や魔法という客観的な実在があるのではなく、どこかに生じます。
それはクライアントの頭の中に存在します。
逆に言えば、マジシャンにとって、不思議は存在しません。気功師にとっても同じです。
気功師は一緒に驚いて見せますが、それはマジシャンが驚いて見せるのと同じです。
たとえば、Fismでグランプリを取ったEric Cheinは自分が起こしている現象に驚いて見せますが、本当に驚いているわけではありません。これは気功師も同じです。
「奇跡も魔法もあるんだよ」とつぶやいても良いのですが、それがどこにあるのかを理解しながらつぶやきましょう!!(ただしラプラスの魔は殺して、傲慢は避け、ブラック・スワンはいつも恐れつつ期待しつつ、すぐに対応できるように)