寺子屋「はじめてのクリプキ」において、重要な概念は可能世界です。
我々の目の前に広がる様々な未来をクリプキは可能世界と言いました。
これはゴール設定のための議論ではなく、様相論理学の完全性定理を導くために、クリプキが導入した考え方です。
様相論理学とは、フレーゲが打ち立てた命題論理学、述語論理学に、可能性と必然性という論理記号を足したものです。命題論理学では、And or, not, if-thenです。述語論理になるとそこにAllとExistがたされます。様相論理学はそこに可能性と必然性が加えられます。
まとめると、、、
命題論理学・・・And, or, not, if-then
述語論理学・・・命題論理学+All, Exist
様相論理学・・・述語論理学+可能性と必然性
となります。
完全性定理とはSyntaxとSemanticsが完全に一致することです。
統語論と意味論が一致することを僕らは自然なことと考えていますが、これは奇跡のようなものです。
たとえば、1個のりんごに1個のりんごを足すと2個のりんごになります。これが意味論。
1+1=2 これは統語論です。Syntaxとは平たく言えば記号操作です。
この記号操作と我々が認識する意味の世界(意味論)が一致するのが完全性です。
様相論理学は統語論が非常に発達し、そして各種の公理系が乱立しました。
その公理系たちをひとつにまとめる理論が18歳のクリプキ様が提唱した可能世界意味論(Possibe Worlds Semantics)です。
平たく言えば、必然性や可能性とは何かということを再定義したのです。
必然性とはすべての可能世界において命題が真であること、そして可能性とはある可能世界において命題が真であることです。
そう再定義することで、様相論理学の乱立する公理系と意味論の間を架橋するばかりか、完全性まで示したのです。完全対応で、完全に架橋されたのです。
ここで面白いと思うのは、数学において演算子が2つに分類されるように、論理学の論理記号も2つに分類されます。
数学においては、足し算と引き算が重要な逆関数のペアです。
そしてこのペアが最後までグループをつくります。
たとえば、足し算は繰り返すと掛け算となり、無限に分割した短冊を足すことで積分となります。
同じく引き算を繰り返すことを割り算と言い、無限に分割して差を測ることで微分となります。
まとめると
足し算 → 掛け算 → 積分
引き算 → 割り算 → 微分
です。
記号で考えるとより面白いです。
+ → × → ∫
− → ÷ → dy/
です。足し算を45度回転させると掛け算ですし、∫(インテグラル)はSum(和)のSを伸ばしたようなものです。全部足し算なのです。
引き算に点と点をつけると割り算となり、 dy/
同じような関係が論理記号にも
それがAndとOrです。連言、選言などとも言いますが、このAndが集まるとAllとなり、Orが集まるとExistになります。
同様に考えると、すべての可能世界において成立する(すなわちAll)が必然□であり、可能世界のどれか1つ(に存在する)だと可能◇となります。
And → All → □(必然)
Or → Exist → ◇(可能)
そう覚えるとスッキリとつなげて覚えられます。
それはさておき、我々はなぜこのクリプキ様の可能世界意味論を学ぶかと言えば、量子論における重要な確率という考え方、そしてゴール設定において重要な可能世界という考え方が一体何を表しているのかを知るためには、クリプキをくぐるしか無いからです。
さて、こうした確率の練習問題を学校でやらされることによって、われわれは実際、年少時に一組の(縮小版の)「可能世界」に引き合わされたのである。
(引用開始)
二つのありふれたサイコロ(それらをサイコロAとサイコロBと呼ぶ)を振って、二つの目が現れる。各々のサイコロにつき、六つの可能な結果がある。したがって、目の数に関する限り、一対のサイコロには三六の可能な状態があることになるが、現実に降られたサイコロの現れ方に対応するのは、これらの状態のうちただ一つだけである。様々な出来事の確率の計算方法を(諸状態の等確率性を仮定して)、われわれは皆学校で習っている。(略)
さて、こうした確率の練習問題を学校でやらされることによって、われわれは実際、年少時に一組の(縮小版の)「可能世界」に引き合わされたのである。世界に関して、二つのサイコロとそれらが出す目以外のすべてのことを(仮に)無視する(そして片方または両方のサイコロが存在しなかったかもしれないという事実を無視する)限り、そのサイコロの三六の可能な状態は、文字通り三六の「可能世界」だと言える。これらのミニ世界のうちただ一つだけーーサイコロの実際の出力に対応するミニ世界ーーが「現実世界」なのであるが、現実の結果がどれだけ確実ないし不確実であったか(あるいは、あるだろうか)を問う時には、他の諸世界も関心の的となる。(クリプキ『名指しと必然性』 pp.17-18)
クリプキを学ぶといわゆる縁起の思想が、分析哲学の存在論に通じるという理解の萌芽を観ることもできます。いや、むしろ安倍晴明たちの陰陽師の技の基本に立ち戻るようにも思います。
そして面白いことに同じことをリガルディやエリファス・レヴィたちも声を揃えて言います。
それが「名指し」です。
名指しが定義ではないことを、クリプキは非常にわかりやすい方法で説明します。
親がつけた名前が様々な種類の会話と出逢いを通じて、どんどんと社会に広がり、その伝達経路の最終地点として我々の耳に(もしくは目に)触れるのだ、と。
これは(名前の)縁起のネットワークそのものです。
風説の流布によって、取り付け騒ぎなどの最初の原因が探っていけるように、伝達経路は時間を逆戻しするようにして、探ることができます。その経路をたどると、本人にたどり着けるのです。
それが「名指し」であるとクリプキは言います。
面白いことに「自分の書斎でこっそりと、(宣言する)儀式によって確立されたわけではない」とも言います。
(引用開始)
誰か、例えば一人の赤ん坊が生まれたとしよう。その両親は彼をある特定の名前で呼ぶ。両親は、彼のことを友人たちに話す。他の人々が彼に会う。様々な種類の会話を通じて、その名前は結節点から結節点へとあたかも鎖のように広がっていく。この連鎖の末端にいて、市場かどこかでたとえばリチャード・ファインマンにことを聞いた話し手は、たとえ最初に誰からファインマンのことを聞いたのか、あるいはいったい誰からファインマンのことを聞いたのかさえ思い出せないとしても、リチャード・ファインマンを指示することができるだろう。彼は、ファインマンが著名な物理学者であることを知っている。最終的にその人自身に達する一定の伝達経路が、その話し手には実際に届いているのである。だとすれば、たとえファインマンを一意的に同定できないとしても、彼はファインマンを指示しているのである。彼はファインマン・ダイアグラムが何であるかも知らなければ、ファインマンの対発生・対消滅の理論が何であるかも知らない。のみならず、彼はゲルマンとファインマンの区別にすら困難を感じるであろう。それゆえ、彼はこれらの事柄を知るには及ばないのであり、その代わり、ファインマン自身に辿り着く伝達の連鎖は、彼が結節点から結節点へとその名前を受け渡す共同体の一員であることによって確立されたのであって、彼が自分の書斎でこっそりと、「『ファインマン』によって私は、これこれしかじかのことをした男を意味しよう」という儀式によって確立されたわけではない。(引用終了)(クリプキ 名指しと必然性 pp.108-109)
クリプキを学ぶことで我々は文字通り世界が広がります。
我々が「必然」や「可能」と言ったときの後ろにあるキリスト教的な世界観(時間は一直線に流れる)を哲学の方法で破壊することで、我々は大きな武器を手に入れるのです。
今日のクリプキ講座も楽しみましょう!!
そしていよいよ待望の気功整体師養成スクールも開校間近です!!!
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