来週追加開催される「強運と幸福のレシピ」(ビデオ受講も可能です!)のベースには、マクベスのあの3人の魔女たちの冒頭の言葉がこだまします。
「きれいはきたない、きたないはきれい(Fair is foul, and foul is fair.)」
マクベスって何?という人は、、、うーん、シェイクスピアです。
シェイクスピアの作品です。
余談ながら、、、、人生の中でかならず読んでおいた方が良い本というのはあります。
シェイクスピアはその1つです。聖書もやアリスも。
最近、話題になったもので言えば、漱石や芥川や鴎外も是非!!
で、簡単にこれらの古典名作をガツガツ読み進める方法はないものでしょうか、、、、。
というか、「かならず読んでおいた方が良い」けれど、なかなか面倒なことってあります。そのうち内なる悪魔くんが耳元でささやきます。
「しなければいけないことなんて何もないんだよ」と。
まあ、そうなんですけど、これって「読んでおいた方が良い」ことが、いつのまにかHave toにすり替えられているのが、悪魔くんの上手なところです。
話が飛んで申し訳ないのですが、昨日の「エレガントな魔境への入り方」でもやりましたが(入ってはダメですが)、理性的な声を模して、悪魔は耳元でささやきます。偉人の言葉をパクって、もしくは常識的な顔をして、また科学的な装いでささやきますが、99%は正しくても、1%嘘がまじります。
というわけで、読んでおいた方が良い古典がたくさんあって、読みたいけど読む時間が無いという人は、古代ローマの皇帝ネロの家庭教師であったセネカのこんな言葉を思い起こしましょう。
「困難だから始めないのではない。始めないから困難なのだ」(セネカ)
まあ、うまいこと言いますよね。
日本で言えば、「案ずるより産むが易し」というやつですね。
ちなみにヒーリングやヒーラーの道に関しては、「困難だから始めないのではない。始めないから困難なのだ( ー`дー´)キリッ」とはなかなか言えず、始めたあとのほうが、そして続けることのほうがはるかに困難です。その困難を喜んで引き受けたいという覚悟がある人だけが飛び込むと良いと思います(いや、どんな業界もそうだと思いますけど)。
で、話を戻して、様々な古典をあっさりと読破していく方法は、、、、、
オーディオですね。音声教材です。
舞台で観たり、映画で観たりするのも良いですし、テープでも、DVDでも!
*最近観たのは、劇団☆新感線のメタルマクベスでした。
Disc1は終わりましたが、Disc2と3が始まりますね!
幸いにも僕自身は子供の頃に、親戚のおじさんから漱石や芥川の小説が吹き込まれたカセットテープをもらって、それを繰り返し聞いていました。ですから、坊っちゃんとか、羅生門とか杜子春などはいまでも文章を思い出すというより、音声が思い出されます。
大学の授業でもアメリカ人の教師が繰り返し言っていたのは、聖書は耳で読むものだということです。親や教師や牧師が子供に読んで聞かせるものであって、眼で読むものではない、と。
それは全く同感です。
僕にとっても、多くの聖句はそれを言った教師の表情や情動と一緒に強く思い出されます(一番は多いのはおそらくは父からです。特に聖書とヘーゲルは)。
祖父が僧であったこともあり、仏教説話の多くを彼の口から散歩しながら聴いたのも、今思うと非常に良い経験だったと思います。
シェイクスピアは友人が出演する舞台でどんどん観ることができたのはありがたいことでした。よくあれだけのセリフを覚えられるなーと関心しつつ、読まずに演じながら語られるのを聴くのは本当にありがたいものです。
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というわけで、マクベスは演劇でもDVDでも良いので、読むのではなく観て楽しむと良いです。
ちなみに日本の近代文学も同様です。
たとえば、森鴎外「舞姫」の中から、舞姫に会ったときの描写です。
今この処を過ぎんとするとき、鎖したる寺門の扉に倚りて、声を呑みつゝ泣くひとりの少女あるを見たり。年は十六七なるべし。被りし巾を洩れたる髪の色は、薄きこがね色にて、着たる衣は垢つき汚れたりとも見えず。我足音に驚かされてかへりみたる面、余に詩人の筆なければこれを写すべくもあらず。この青く清らにて物問ひたげに愁を含める目の、半ば露を宿せる長き睫毛に掩はれたるは、何故に一顧したるのみにて、用心深き我心の底までは徹したるか。
これはまさに高岡先生の弟子が言うように「声に出したい日本語」です。
音にしない限り味わえないのです(黙読は音にならないのです。声に出すというのは心の中で読むのとはまたぜんぜん違うリアリティーがゆらがされます)。
耳から、味わいましょう!
というわけで、前置きが長くなりましたが、今回のセミナーのテーマは「きれいはきたない、きたないはきれい」でしたということでした!!
二元論や二項対立は確かに理解の速度が上がります。
「あいつが敵だ」と言ったほうが、結束は固まりやすく、思考も整理されます。
でも、「敵は内にあり」とか「裏切り者は自分かも」となると、深く考えることを要求されます。
たとえば、イエスの「人はすべて地獄の火で塩漬けられていなければ」という言葉も混乱を生みます。
地獄は悪いの良いの?と悩まされます。でもそのときに人は何事かを考え始めます。
呪いや蟲(動物霊)や勿怪(妖怪)なども同様
です。
いや、悪魔や天使も同じです。悪魔は悪くて、天使は良いのでしょうか?
善意は善なのか、悪意は悪なのか。
というわけで、前置きだけで、十分に長くなったので、肝心のコンテンツは、、、過去記事を紹介するにとどめます!
きれいはきたない、きたないはきれい(マクベス)〜コッホとダーウィンという偉大なスコトーマ 2017-04-07
ちなみに、ダーウィンのスコトーマというのは、ダーウィンのころには見えていなかった水平方向の進化の話しです。突然変異と自然淘汰が想定しているのは時間軸に沿った縦糸です。進化には地域的な進化の方向があります。
遺伝子の水平伝播(Horizontal Gene transfer)です。
縦糸と横糸で美しい織物が織り上げられていきます。生命の多様性という美しい織物が。
そして、植物の錬金術を暴いたアルケミストのヤン・ファン・ヘルモントの話がこちらの記事です。
トポロジカルに考えて内側の内側が外側ならば、腸の内側は植物の根の外側か? 2017-04-05
植物はあのセルロースは水と光と空気だけから創り出すのです。まさに錬金術。
また今回のセミナーではリチャード・ドーキンスを批判的に扱いました。
ドーキンスが間違っているのではなく、その上の階層があるということです。
ダーウィンの進化論があり、ワトソンとクリックの偉大な発見があり、ドーキンスによる解釈があり、そしてヒトゲノム解析が終わって十分時間が経ったいま、風景はまた変わってきています。
ただドーキンスの視点がなければ、次も見えてきません。
私たちが幸福になろうが不幸になろうが、彼らのしったことではありません。私たちはただの手段に 2018-08-02
美しい村上春樹さんの文章で我々はドーキンスのエッセンスを知ることができます。
そして、最後に、なぜ勿恠(もっけ)や蟲などの呪い系の技術で深く心地よい瞑想が可能なのか、という質問に答えてくれるのが、こちらの記事。
陰陽の暦のひとつ、物忌み(ものいみ)という生まれ変わりの儀のカラクリは霊の発酵と熟成? 2017-05-07
One more thing,(最後にもうひとつだけ)
イエスの不思議な言葉については、こちら。
地獄の業火を自らの内に持てと読める聖句についてです。
♬暗闇の中で踊る。君を腕に抱きながら〜それは何ヵ月ものあいだ闇の中で躓きながらさまよったからこそ 2018-08-15
ちなみにこの話題は全く同じことを4年前にも、、、。
いまよりのち、お前たちは暗闇の中にあれ!もう誰の姿も見てはならぬ。 2014-01-02
オイディプス王の悲劇と並べるところも全く同じです。
ワンパターンなんです、「まといのば」は。
最近ひたすらに過去記事を紹介していますが、このワンパターンさ(良く言えば一貫性)を観て欲しいと思っています。逆に言うと、「日の下には新しいものはない」のです。
「まといのば」にも新しいものはないのです(ほとんどw)。
ということは、ブログを過去にさかのぼって読んでいけば、すべてのコンテンツは書かれているということになります。
先にあったことは、また後にもある、先になされた事は、また後にもなされる。日の下には新しいものはない。
「見よ、これは新しいものだ」と言われるものがあるか、それはわれわれの前にあった世々に、すでにあったものである。(伝道の書1章9−10)
逆に長く残った叡智を丁寧に学ぶ方が良いのです。
まさに、「見よ、これは新しいものだ」と言われるものがあるか、それはわれわれの前にあった世々に、すでにあったものであるので、我々は過去の膨大なコンテンツを古典の形で享受しつつ、せっせと落ち穂拾いするだけで、幸福になれるのです(多分)。
陽は絶えず豪華に捨てている
夜になっても私達は拾うのに忙しい
人はすべていやしい生まれなので
樹のように豊かに休むことがない(谷川俊太郎『空の青さをみつめていると』)
余裕があれば、こちらの記事も面白いと思います。
「こういうことを言ったドイツの哲学者がいるーー「神にすら地獄がある。すなわち、人間に対して抱いている愛だ』とね(パウロ・コエーリョ『悪魔とプリン嬢』)
マシュマロ・テストは決して我慢できるかのテストではなく、貪欲度をはかるテスト 2016-03-22
ニーチェですね!
おのれの感情をよく抑えておかなくてはならない。感情に流されるなら、すぐに頭脳も流れ去ってしまう。
ああ、同情する者たちがしたよりも大きな愚行が、この世にあるだろうか。同情する者たちがした愚行よりも苦しみを与えたものが、この世にあるだろうか。
同情を超えた高みを知らぬ、愛する者にわざわいあれ。
かつて悪魔がわたしに語った。「神にも地獄がある。人間への愛だ」。
つい最近も、悪魔はこう語った。「神は死んだ。人間への同情のゆえに、神は死んだ」ーーー。(フリードリッヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』)
8月も終わりました!!
来月も2019年も2020年もその先もがんばりましょう!!
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