ゴール設定というのは一種の能力みたいなところがあって、早い人は子供時代には身につけています。
逆に身に着けていない人は、どんなに理論を学んでも難しいところがあります。
学校のお勉強ができすぎると、試験のように覚えたことをクイズ形式で聞かれて、それを解くのが「思考能力」だと思ってしまうようです。
それはただの閉じたゲームのプレイヤーでしかなく、そのプレイがどれほどうまくなっても、どこにも行き着きません(もちろん学校のお勉強は大切です。でも、それを汎用化できないというだけです)。
ゴール設定においても、ふわっと大きなことを言う人が多いのですが、その中身がスカスカなことに本人は気づいていなかったりします。
逆に思いっきり知識もなくふわっとしているように見えるけど、サクサクとゴールを達成して、次々と進む人もいます。
その違いはどこにあるのでしょう。
漫画の「映像研には手を出すな!」の中にこんなセリフがありました。
我々が何を言っても彼らは完成形を想像する回路が未発達だから
不安に駆られて自分の感情を支離滅裂に解説するばかり。
いや、本当にそのとおりだなーと思います。
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「完成形を想像する回路」って大事です。
すごく荒唐無稽に見えても、すごくふわっとして見えても、この回路があれば、なんとなく叶ってしまいます。
逆にすごく賢い感じで(見る人から見ればただの小賢しさですが)、立派なことを言う人は、そのどこからか引っ張ってきただけの御高説は立派なのですが、単に「不安に駆られて自分の感情を支離滅裂に解説するばかり」に見えます。
ただ論理的には見えて、本人はハリボテの中身が充填されているように見えるみたいなので、何を言っても聞きません。
まあ、そういう人には「縁なき衆生は度し難し」ということで、お別れすれば良いだけです。
気功でもゴール設定でも何でも同じですが(というか、同じことを別の表現型でやっているだけ)、「完成形を想像する回路」をつくることができれば、面白いように夢が叶います。
というか、どんどん夢が叶っていけば、それは「面白い」ではなく、普通になります。
そうすると、夢を設定することに躊躇(ちゅうちょ)を覚えるようになります。
なぜなら叶ってしまうからです。
この感覚が分からない人が、たとえばゴール設定のやり方を指導していたりすると、見る人から見ると笑ってしまうのです。身体ができていない人がトレーニングを教えるようなものです。
余談ながら、僕が習ったトレーニングの学校では、筋トレを完全に否定するひょろひょろの教師がトレーナー試験の指導をしていました。生徒のほうがガチムチで、ボディビルの大会で優勝したり、トレーナー歴の長いマッチョたちでした。
それはそれは本当に漫画的状況でw
笑い話のようですが、その教師たちの不誠実さにはイラッとします。自分たちがエアロビクスを教えるのは自由ですが、トレーナー試験の教師をつとめるなよ、と思います。
まあ、返す刀で言えば、ヒーリングも整体もしていないで、ヒーリングや整体を教えるなよと思うセミナー教師はたくさんいます。
ゴールを達成したことのないゴールを教える専門家の皆さんも同じです。
自分ができないことを教えてはいけないw
というか、最近セミナー講師のことをスピーカーと言うらしいです(最近知りました)。スピーカーってうまいネーミングだなと思います。彼らは頭を使わず、自分が聞いたことを増幅して、次に伝えているだけです(彼らは誇りを持ってネーミングしているのでしょうが)。
A・ピアスの悪魔の辞典の中の「大学の講義」みたいな項目にこんな風にありました(いま書籍の中を探しても出てこないので、記憶の捏造かもしれませんが)。
大学の講義:教師のノートから生徒のノートへのコピー、誰の心も通らずに、と。
スピーカーも同じです。
自分の心を通らずに、自分の実践も経ずに、言われたことを右から左へと移して、偉そうに社会に機能を果たしているつもりになっています(件のスピーカーの解説もそのままそのとおりでした。前日に立ち読みした内容を偉そうに話せば良い、と。むしろだから誰にもでもできる仕事だから、目指せ、と。もう滅茶苦茶です。同じ論法で、スピーカーがプロデューサーになったり、カウンセラーっぽい仕事になったりするわけで。希少性が価格を決定するって小学校で習わなかったのでしょうか)。
まあ、とりあえずいまは需要と供給があるなら、良いのでしょうが。
で、僕らの業界も同じで、自分ができないことを、習ったように再生産すれば、良いと思っている頭の不自由な詐欺師ばかりです。
以前、さすがに「まといのば」を出禁にしたのは、まだ習っていないコンテンツを自分のセミナーの集客に使ったアホです。
昼間にスクールを開催したときに、その人は夜に同じコンテンツで自分のセミナーをしました。
「一度聞けば分かるから」と豪語していました(その件のあとにもう1つ粗相をして、出禁にしました。数年後に謝罪と復帰のお願いをしてきましたが、人はそうは変わらないという信念を持つ僕としてはスルーしました)
いやいや、気功は実践が全てです。
学校のお勉強のように教科書を音読するか、大学の勉強のように自分が書いた下手くそな教科書を生徒に買わせて、それを音読すれば良いわけではありません。
できないことを、さも偉そうに話して、受講生が気功を実践できないのは、受講生の感覚や能力が悪いとか言うのは、勘弁です(そう言われたという苦情がわんさか来ます)。
*範馬勇次郎にも叱られますw
一方で、一度学んだことを狂ったように実践する猛者が「まといのば」にはたくさんいます。
自分に対してもたくさんやりこんで、その上で自分のクライアントにもガンガンやってフィードバックを取ります。
そんなシンプルなことで、道は開けてくるのです。
詐欺師たちがビクビクと情弱を騙して、小銭を稼ぐのに比べて、まっとうな方法のほうが、はるかにやりがいもあるし、楽しいし、結果的にお金もついてきます。
「まといのば」のメンバーで、フェロモン気功の理論と気功技術を学んで、きっちりたくさんの彼女をつくって、そこから一年してそういうセミナーをしている人がいます。
この人は理論も理解し、自身で実践もしているから良いのです。むしろ素晴らしいです。
でも、、、、明らかなコミュ障の非モテ君が、、、、、(以下、自己検閲)。
トレーニングが嫌いなら、トレーニングを教えなければいいのです。
書いてあることを単に話せば良いと思っているなら、講師をやめればいいです。社会にとって、害悪です。ラッセルもお金のためにやる仕事なんかやめちゃえと言っています(冗談ではなく、本当に)。
気功も同じです。
シンプルに楽しんで気功をやり、それを請われた人に対して丁寧に教えるだけです。
その楽しさを教え、つまづきポイントで手を差し伸べ、相手の成長を一緒に喜べば良いだけです。
それをひたすらに繰り返していくと、なんとなく「完成形を想像する回路」ができてきます。
気功を実践していくと、ゴール設定の能力は上がっていきますし、ゴール設定の能力を鍛えて、夢を叶えていれば、気功の能力も上がっていきます。そういうものだからです(というか、繰り返しますが、両者は同じものだからです)。
ゴールが最近叶わないなーと思ったら、せっせと気の球を狂ったように作れば良いんです。
僕の先生は「お前はバカなんだから、頭じゃなくて、手を動かせ」と言っていました(その直後に「頭を使え」と怒鳴られるのですがw)。
まあ、シンプルなことをシンプルに!