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「しあわせだから笑っているのではない、笑うからしあわせなのだ」というのはフランスの哲学者アランの代名詞とも言うべき言葉です。
このアランの直観(もしくは経験知)は科学的にも正しいようです。
たとえば、鬱を発症すると暗い顔をします。
そのとき皺眉筋(しゅうびきん)を使います。皺眉筋というのは文字通り眉をひそめる筋肉です。
その筋肉を微生物の毒素で使えなくしてしまうと、、、(ここでもまた微生物が働きます)、鬱が改善します。
すなわち、鬱だから暗い表情になるのではなく、暗い表情になるから鬱になるのだ、ということです。
セロトニンが原因なのか、それとも皺眉筋が原因なのでしょうか。
これはどちらも原因ではないのかもしれません。
地震のP波とS波と同じです。
地震にはグラっと来てから、実際の揺れにまで時間があります。
雷も同様です。
ピカッと光ってから、ゴロゴロまでは落雷地点からの距離で変わってきます。
ピカッとゴロゴロまでの時間が長ければ長いほど遠くに落ちているということです。
地震も同じです。PrimaryのP波が先で、SecondaryのS波が後です。
そこで誤って安易な推論をすると、P波がS波の原因に感じ、ピカッがゴロゴロの原因と感じます。
過去が未来の原因と感じやすいのです。
しかし、P波はS波の原因でもなく、ピカッ(光)はゴロゴロ(音)の原因でもありません。
どちらも結果です。ただ現れ方に時間差があるだけです。
セロトニンや皺眉筋もまた単なる結果であり、そこには因果関係は無いのかもしれません。
じゃあ、その原因はなにかと言えば、答えに窮するのですが、それはたとえばざっくり言えば「情報」であり、古い言葉で言えば「魂」とか「霊」とか言われるようなものでしょうか。
(まあ、まだ分かりようもない原因など探らないで、仮の原因を想定して、我々は結果の果実だけを手にしましょう。豊穣に)
少なくともここで言いたいのは、「しあわせだから笑っているのではない、笑うからしあわせなのだ」ということです。
皺眉筋に対するボトックス注射(ボツリヌス菌の代謝物=毒による筋弛緩)を利用することで、眉をひそめることができず、暗い表情が作れず、鬱が治癒に向かうのです。
でも、これって姿勢によって心を変えるというシステムのシリーズと同じです。
*追試ではネガティブな結果が出ているそうですが、まあパワーポーズがどうというよりは、姿勢は心に大きな影響を与えるという点は認めて良いと思います。
ここでも、「しあわせだから笑っているのではない、笑うからしあわせなのだ」かと思います。
アランに言わせれば、デカルトは情動を哲学史の中ではじめて肯定的に取り上げました。
それまでは情動を滅しよ(アパテイア)でしたが、デカルトは情動を乗りこなせと言いました(そして身体の状態や呼吸が血流や栄養や休息が情動に大きな影響を与えると考えました)。
平たく言えば情動は生理現象です。
暑くて喉がかわけば、水を飲むのと同じです。
いま、自分が喉を乾くことの根本原因を地球温暖化に求めるのはナンセンスですし、親の子供の頃の虐待に求めるのも、祖先の罪と罰に求めるのもナンセンスです。
我々は個人という幻想を共有し、心や自我を想定したことによって、機能不全に陥りました。
いわば、そもそも存在しないものを想定して、解決どころか問題をグチャグチャにしています。
範馬勇次郎に言わせれば、「上等な料理にハチミツをブチまけるがごとき思想」なのですw(多分)
もっとアリストテレスに戻って、人は政治的な動物であり、群れるものであり、共同体から外れた人間というのは神か獣であると一刀両断してしまえば良いのです。
individualの語源はin(否定)とdividuus(分割)であり、シンプルに言えば個人とは分割できない存在です。そのような虚構を設定したからこそ、迷宮に迷宮を重ねてしまうのです。
我々は群れる存在であり、人も群れ、体細胞も群れ、細菌叢も群れます。
群れ単位で共同体単位で考えれば、いろいろがシンプルになります。
自分がどの群れにいるのかを察知しながら、気に入らなければ違う群れに移動すれば良いのです。
違う群れへのワープを内部表現書き換えと言います。その群れはいくつあっても良いのです。
そして、群れにアジャストすることを、ホメオスタシスと言います(だから「努力は不要」なのです。「働いたら負けかなと思ってる」をもじるならば「努力したら負けかな」と思った方がいいのです。たとえ傍から見て努力であっても、本人は好きなことに熱中しているだけです)
デカルトは情動が善も悪も生み出すと言いましたが、この物言いは魔術の大成者であるエリファス・レヴィを思い出します。
天国も地獄も人間が自分で作り出すものであって、われわれの狂気以外に悪魔はいないのである。(p.324エリファス・レヴィ『高等魔術の教理と祭儀 祭儀編』)
群れという視点を採用するならば、成功したければ、成功している群れに入るだけです。
ノーベル賞受賞者がある組織や地域に偏るのは当然です(ノーベル賞受賞が成功かどうかはともかくとして)。
同様に群れという視点を採用するならば、我々は我々を超えるものによって操られているようだという直観は正しいと言わざるを得ません。
細胞数で考えると我々の身体(というシステム )を構成するのは10%が自分のもの、9割は細菌叢です。遺伝子で言えば自前は1%もなく、残り99%は細菌叢です。
これもindividualの呪いにかからないように、自分の細菌叢は単に自分のものではなく、共同体で共有しているものですし、食べ物で変わり、地球環境で変わります。
その意味では境界が曖昧で、Ontological Networkと似て、その網の目は宇宙大に広がります(宇宙は大げさでも、少なくとも太陽の影響は受けます。地球環境はもちろんのこと)。
とは言え、まずは足元から。
(引用開始)
幼な子がはじめて笑うとき、その笑いは何ひとつ表現していないのだ。しあわせだから笑っているのではない。むしろぼくは、笑うからしあわせなのだ、と言いたい。幼な子は笑って楽しんでいる。ちょうど食べて楽しむのと同じように。しかし、まず食べる必要がある。(引用終了)(アラン『幸福論』)
「しかし、まず食べる必要がある」のです。
まず笑い、まず動き、まず計画を立てましょう。
まず背筋を伸ばして、顔を正面に向けましょう。
気分を無視して、立ち上がって歩きましょう!
そこからです!!
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僕は読まなくて良いと思います↓
ただデカルトがウィリアム・ハーベイの血液循環論を支持したのは有名で(それまでは末端で血液が消え、心臓で造血されると考えられていました)、そのあたり用いて、情念について哲学的に考察しているのは面白いです。でも、依って立つ科学が間違っているので、議論も誤りです。
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