LINE@で流したとおり、5月のセミナー予定とスクール予定の発表です!
(ただ「まといのば」講座は繰り延べする予定です!)(朝令暮改ですみません!)
まずはセミナーから!!
5月22日(火) はじめての気功
5月29日(火) リニューアル寺子屋「はじめてのコンピューターサイエンス」
5月31日(木) まといのば講座
またスクール日程は既報のとおり、
5月19日(土)、20日(日)内なる覚醒スクール
(ただ終了時間が少し前後します!初日は17時まで、楽日が19時までになる可能性があります)
瞑想が深く深く意識の奥底へ入るテクニックだとしたら、内なる覚醒はそのテクニックを活かして、潜在意識を活用させ、能力を発揮させるための方法論です!
是非、お楽しみに!!
折れない腕という合気道系のワークがあります。
名称はいろいろなのですが、ワークは似ています。
ひとりが腕を差し出し、もうひとりが肘を折り曲げるといういわば力比べです。
術者は肘を曲げようとし、受け手はそれに抵抗して、肘を伸ばしたままにしようとします。
そのバトルであり、ゲームです。
肘を曲げたら術者の勝ちです。曲げられずに終わったら受け手の勝ちです。
ちなみに曲げるコツは曲げようとしないことです。
むしろ肘を真下に押し下げ、テコの原理を用いて手首を上に持ち上げると、比較的に簡単に折り曲げることができます。
肘を曲げようとしないで、肘にぶら下がるつもりで、肘を下に押し下げるのがコツです。
合気道の初心者に対して、気の力とは何かを非常にわかりやすく劇的に教える効果があります。
そしてもちろん気功を教えるときも有効です。
(かつてのヒーラー養成スクールの1期などでは、これを発展させてワークしました。リニューアル版でももちろんやりますw)
なぜなら筋肉の力以外に、気の力があるということを強く体感できるからです。
この「折れない腕」というゲームには3つのフェイズがあります。
まずは力いっぱいでバトルするフェイズ。
被験者が脱力して、気の力だけで腕を伸ばすフェイズ。
そして術者も脱力して、気の力で肘を曲げようとするフェイズです。
術者 v.s. 被験者(受け手)
力 対 力
力 対 脱力(気の力)
気の力 対 気の力
の3つのフェイズです。
最初は猛烈に力を入れて(とは言え、ほどほどにケガしない程度に、そしてさせない程度に)、お互いにがんばります。
そうすると、これはかなり力勝負になり、筋肉量があるほうが勝ちます。
そこで力を抜きます。
力を入れて対抗していたのに、力を抜くというのは不思議な感じがしますが、力を抜きます。脱力ですね。
力を抜いて、腕がホースになったようなイメージを持ちます。
そしてそのホースから水が吹き出すイメージです。
ホースは大量の水が流れているので、硬くまっすぐになります。
そして手の指先から大量に水が放出されます。
すると筋肉にしっかりと力を入れていないにもかかわらず、腕が折り曲がらなくなります。
これが筋肉の力と気の力のバトルです。
これは上手にできるとかなり衝撃的です。
どれだけ力をいれても、うんともすんとも言わないので、驚きます。
そして受け手はほとんど力を入れていないように見えるので(実際に入れていないですし)、もっと驚きます。
一番驚くのは受け手自身かもしれません。自分は疑心暗鬼に力を抜いて、ホースのイメージをしているだけで、相手が必死で曲げても肘が曲がらないからです。
合気道の先生はここで「これが気の力だよ( ー`дー´)キリッ」と解説します。
このホースを流れている水のイメージがまさに気そのものだ、と。
だから「脱力することが大事」「筋肉に頼らない事が大事」と続きます。
これらはもちろん間違っていませんが、しかし、スタートラインに立ったにすぎません。一般化するのは危険です。たとえば「じゃあ力を抜けばいいんですね」「筋肉は無い方がいいんですね」と演繹してはいけないのです。
いや、なんとなく感覚的にそう思うのは良いのですが、理論的にそう考えるのはまずいのです。袋小路に陥るか、クリエイティブアボイダンス(創造的回避)の餌食となってしまいます。
ちなみに、僕は「力」とか「筋肉の力」や「筋力」という風に表現するのが嫌いなので、武術の用語を使って、「ナマの力(ちから)」と呼びます。最初にがんばって力を出すフェイズを「ナマの力」と呼びます。
ですので、バトルの3段階のフェイズはこう表記されます。
ナマの力 v.s. ナマの力
ナマの力 v.s. 気の力
気の力 v.s. 気の力
です。
そしてここがいわば大きな意味で第1段階です。
この次が広い世界です。ここまでが入り口なのです。
気の力を認めたら、これを活用していく段階があります。
そこが我々気功師の主戦場であり、合気道や武術に限らず、スポーツ選手やアスリートの主戦場です。
よく脱力がコツとか、力を抜くこと、緊張しないこと、リラックスすることなどと表現されますが、それはたしかに奥義ではあるのですが、入り口でしかありません。基礎の基礎です。
ホースに水を流すようにというアドバイスも入り口です。
大量の水を流せば流すほど強くなりますが、たとえば受け手の小指に触れるだけで、それを無効化できる技があります。
術者は受け手の小指に触れます。甲の方から軽く触れます。触れて指先に向かって軽くなで上げます。それだけでホースの水の向きが変わります。受け手のホースの水の向きが変わったら、肘と手首を持って曲げて上げると、簡単に曲がります。
これは自爆のようなもので、自分自身の(受け手自身の)気の力によって、曲がってしまうのです。
受け手もこの技を何度かやられると、無意識が学習して小指に触られても、ホースの水の向きを変えないようにイメージします。水が指から大量にまっすぐ吹き出すイメージを維持できるのです。
そしたら術者は今度は小指を同じように軽く触れて、なで上げたあとに、物理的に小指を折ります。そのときに小指の付け根(MP関節)ではなく、あえて指先の関節から(DIP関節、PIP関節の順に)折ります。軽くで良いのです。
するとあえなく気の流れが変わります(水平方向に流れていた水が、上方向に向きます)。
気の流れが変われば、腕を曲げるのは簡単です。
これは小手調べのようなもので、膨大にテクニックがあります。
そしてその一つ一つがきわめて有効です。
そしてこの総体が「内部表現書き換え」とダイレクトに結びつきます。
気功の代名詞でもある「共感覚による内部表現の書き換え」は(いや、気功こそが代名詞ですね)、曖昧なものでもなく、抽象的なものでもなく、非常に具体的なものです。具象的なものなのです。
目の前にある机と椅子とビールジョッキと同じくらいに具象的なものなのです(ヒルベルトに敬意を表して)(彼もまたきわめて抽象的な公理系がきわめて具象的なものに感じる抽象度を持っていたのではないかと夢想します)。
*ヒルベルト
*The elements, such as point, line, plane, and others, could be substituted, as Hilbert says, by tables, chairs, glasses of beer and other such objects.
情報空間というきわめて主観的で、きわめて曖昧で、きわめて「言ったもの勝ち」的な空気がありますが、それは偉そうな素人たちが知ったかぶりでやっているお遊戯での話です。
お遊戯レベルのヒーラーでも、そのお遊戯レベルすら知らない素人相手にはビジネスができてしまうのが(機能は果たせるので)、この業界のレベルの底知れぬ低さゆえです。
情報空間というのは、もっと具体的で、測定可能であり、間主観的なものです。共有可能なものです(そもそも共有可能ではない概念でどうやってヒーリングをするのでしょう)。
ですので、「確信」とか「臨場感」というのは大事なのですが、それはきわめて「客観的」な土台があっての確信や臨場感であるべきなのです。
本人の独りよがりな思い込みや、勝手なイメージの暴走ではなく、客観的な土台です。
使えない妄想なのか、それとも使える臨場感なのかを主観的に判別するのは困難なので、現実世界のフィードバックを用いるのです。
情報は物理に落ちてきます。
影のように落ちてきます。
情報空間でのアルゴリズムの変更は(さきほどの小指の先であっても)、物理空間に必ず影を落とします。そしてその影を見れば、情報空間での書き換え(アルゴリズムの変更)の成否はある程度判別できるのです。
そのようなワークを積み重ねていけば、情報空間がいかに厳密な論理の世界であるかがわかります(ぼんやりと主観的な世界だと思っている人は、頭が弱いだけです。本人の理解力がぼんやりとしているだけであって、情報空間の現実とは違います)。
ただ気をつけたいのは、どれほどくっきりと厳密な世界であるとは言え、それを表現する言葉が限られているので、表現はぼんやりとせざるを得ないのです。
力を抜いて、、、脱力して、、、、筋力を使わないで、、、、
という表現しか無い場合もあるのです。
いやより正確には、その抽象度にいない人に説明しても分からないので、説明できないのです。
体験していないことは説明できない(知らない人は知り得ないからです)。
釈迦が「目の見えないものに赤という色をどう説明しようか」と言ったことを思い出します。舌が無いものに砂糖の甘さを説明することはできません。
悟っていないものに悟りを説明することも導くこともできないのです。
自分の悟ったところを、人々に話して聞かせることはむだである。自分の悟った法は、あまりにも深く、あまりにも微妙であって、愛欲に盲いた人々のよく理解するところではない。説法することは、むだな努力であり、いや、聖なる法を、それにふさわしくない方法で取り扱うことにもなる。このまま沈黙をまもり、ただちに涅槃にはいるに如くはない(仏伝)
*マシュマロを食べたことが無い人にマシュマロの柔らかさや甘さを伝えるのは困難(^o^)
気功や内部表現書き換えも同じです。
できない人にできる人のロジックを説明する言葉がないのです。
(だから宗教指導者はメタファーを使い、パラドックスを使います。「内なる覚醒」スクールでもテーマですが、メタファーやパラドックスという虚構によって、真理に至る道しか無いからです)。
瞑想スクールの受講生が体感したように、情報空間というのはかなりクリアな世界です。そしてその結果もクリアなものです。それは思い込みとか、確信度合いみたいな話とは全く別世界にリアルなものです。間主観的(≒客観的)なものです。
その手触りが手に入ると、同じところでずっと足踏みすることがなくなります。
飛躍的な成長のルートに乗ることができます!
*壁を突き破りましょう!!
*その壁の向こう側にもっと具体的な方法論ともっと具体的な理論が(高度で抽象的ですが)膨大にあるのです。そしてそれをしっかりと学ぶ方法論も!
というわけで、そんな内容をガツガツやる内なる覚醒スクールをお楽しみに!!!
【『内なる覚醒』スクール 〜肉体の牢獄からの解放、エロスとタナトスのローズガーデン〜】
【日時】 5月19日(土)13:00~18:0017:00(確定ではないのですが、初日17時で終了し、翌日19時終了する可能性があります!)
5月20日(日)13:00~18:0019:00
【場所】 まといのばセミナールーム(四ツ谷)
【受講料】 230,000円(PayPal決済可能です。請求先アドレスを記載してください。またPaypalでの10万円以上の決済はPayPalでの本人確認が必要です)
【受講資格】 「まといのば」セミナー受講生(もしくはそれに準ずる方、他で「まといのば」の主宰のセミナーを受けている方もOKです)
【持ち物】 筆記用具と動きやすい格好
【お申し込み】お申し込みはこちらから。
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