ユダヤ教のひとつのカルト集団として生まれたイエスとその弟子たちの教えが、なぜかユダヤ人でありローマ人である一介のテント職人に居抜きされてできたのがキリスト教です。
たしかにパウロは使徒と名乗りますが、それは自称でしかなく、イエスの教えを請うたこともなければ、会ったことさえありません。
いやいや砂漠の中ではたしかに会いました。
こんな話でした。
昔、昔あるところに、サウロというローマ市民がいました。イエスが磔刑で殺され(話によると復活し)たのちのことです。弟子たちが必死で活動するも結果は出すけれど、創始者を失い、右往左往している時期です。
このサウロはどんな人だったかと言えば、、、、端的に言えばサイコパスです。
サウロは家々に押し入って、男や女を引きずり出し、次々に獄に渡して、教会を荒し回った。(使徒行伝8:3)
さてサウロは、なおも主の弟子たちに対する脅迫、殺害の息をはずませながら、大祭司のところに行って、
ダマスコの諸会堂あての添書を求めた。それは、この道の者を見つけ次第、男女の別なく縛りあげて、エルサレムにひっぱって来るためであった。(9:1-2)
主(イエス・キリスト)の弟子たちに対する脅迫、殺害に息をはずませながら、、、とはかなりのサイコパスです。
このサウロがキリスト教を惨殺して悦に浸っていたのは、しかしそこまでです。
砂漠の道を急いでいたら、天から光が射し、彼は倒れます(日射病ですねw)。
熱中症も併発して彼は幻想を観ます。
イエスがサウロに話しかけるという幻聴です。
彼は地に倒れたが、その時「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。
そこで彼は「主よ、あなたは、どなたですか」と尋ねた。すると答があった、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。(9:4−5)
「なぜわたしを迫害するのか」と下手に出るイエス様ですが、やっていることは鬼畜です。
まず目を潰し、三日三晩断食させ、転向せよと迫るのです。
そしてサウロが転向すると、目からウロコが落ちます。
するとたちどころに、サウロの目から、うろこのようなものが落ちて、元どおり見えるようになった。
豚に真珠も目からウロコも意外なようですが、聖書の言葉です。
サウロはパウロになります。
しかし、パウロはイエスと出会っていないのです。日射病と熱中症でうなされて幻影を観て、幻聴を聞いたかもしれませんが、、、、、
ただ彼は誰の承認も得ずに(イエスからのご指名は頂いたと確信していたので)、使徒を名乗ります。
ここに2000年続く偉大な宗教であるパウロ教もといキリスト教がスタートします。
イエス・キリストの教えを換骨奪胎して、整理して、わかりやすくして、ユダヤ教化して、大衆化したのがパウロです。
わかりやすさは大事です。わかりやすいがゆえに大衆に広がり、そして迫害していたローマの国教となり、ローマ飲み込みます(時代が下ると力関係は逆転します。神聖ローマ帝国のローマ皇帝の即位を認めるのはローマ教皇です)。
キリスト教にとってはこの世の春であり、世界制覇目前であったときに、ありがちですが内ゲバが起こります。
その四分五裂に乗じて、出てきたのがイスラームでした。
とは言え、当のムハンマドにはその気はなかったのですが。
アラブの砂漠の中から出てきた一人の孤児が不思議なことを語りだしたかと思うと、その新宗教があれよあれよという間に広がります。
シリアを取り、エジプトを取り、メソポタミアを取り、ペルシアを取り、インドを取り、北アフリカを取り、遂にはスペインまで見る見るうちに席巻してしまった(p.18『イスラーム生誕』)
それも百年たつかたたぬうちに、そしていずれもが大文明を誇る重要な地域です。
最後のスペインだけはさすがに取り返そうと怒りの十字軍でレコンキスタ(国土回復)します。でも取り返せたのはスペインだけです。
イスラームの影響は宗教だけではなく、思想や科学、そしてルネッサンスへの影響も大きいのはご承知のとおりです。数字は我々もアラビア数字を使っています。
なぜこの奇妙で圧倒的な宗教が忽然と生まれたのでしょう??
それに対するシンプルな回答が今回の寺子屋新コンテンツの「はじめてのイスラーム」でした。
イスラームは特殊な宗教と感じ、コーラン(クルアーン)に我々は馴染みがないかもしれません。
しかし、一枚神秘のベールを脱がすと、全く違う風景が見えてきます。
ムハンマドはイエスと似ており、モーセやアブラハムと似ているのです。
アッラーはヤハウェそのものですし、アッラーは新約の神であり、旧約の神なのです。
そしてその教義は実際はユダヤ教やキリスト教を純化したものであり、非常に馴染み深いものです。
偶像崇拝の禁止は金の子牛を持ち出すまでもなく、ユダヤ教においてもキリスト教においても禁止です(でしたというべきか)。
唯一神はモーセがエジプトから脱出したときから変わりません。
ムハンマド自身、イスラームは新しい宗教なのではなく、もっとも古い宗教だと言います。
アブラハムはユダヤ教徒でもなかった、キリスト教徒でもなかった。
彼は純正な信仰の人(ハニーフ)、全き帰依者(ムスリム)だった。偶像崇拝者のたぐいではなかった。(『コーラン』第3章60)
アブラハムはムスリムと言い切るところに、イスラームの魅力があります。
そして、イスラームから兄弟子ならぬ兄弟宗教のユダヤ教とキリスト教を見ると、くっきりと見えてきます。そしてイスラームとその前のアラブの騎士道精神とも言えるジャーヒリーヤを観てみると、その共通点からブッダの思想が透けて見えます。
鏡に写すように、そっくりだからこそ、キリスト教はイスラームを憎悪します。我々もまた中途半端にキリスト教文化圏なので、その近親憎悪をひきずっています。でも虚心にイスラームを見ると、魅力的な宗教なのです。