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Channel: 気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ
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ギルガメッシュとディアーナは水が冷たい泉を見た 水のなかへ降りて行って水浴をした

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水に映る自分の姿を観て、恋に落ちたのがナルキッソスの物語です。

見目麗しく、好きになるに十分な美しさを持ちながら、しかし水に映るその「対象」とは一目惚れや片想い以上の関係になることは不可能です。

フロイトはナルシシズム(自己愛症候群)という言葉をこのナルキッソスの物語から命名します。


*カラバッジョの「ナルキッソス」。


水に映った自分の姿を観るというのは平たく言えば、水鏡(みずかがみ)です(僕はスイキョウと音読みするより、みずかがみと訓読みするほうが好きです)

水面に姿をうつして見ています。


この水鏡こそが、ヘルメス主義、グノーシス主義を直感的に理解するためのアイデアだと大田先生は書かれています(アイデアという言葉はプラトンのイデアから来ています、もちろん)


これは魅力的なアイデアです。


「ディアーナの水浴」として知られている物語があります(ディアーナはもちろんダイアナの語源)。
(ディアーナはローマ神話であり、ギリシャ神話ではアルテミスと言います。とは言え、いつもどおりローマはギリシャのパクリです)

ディアーナ、そしてアルテミスの物語として知られているのが、女神の水浴とその覗きです。

神話の世界は驚くほど下世話な世界です。

女神は神様なので不可視です。しかしあまりに美しい自分の身体を見せたいと思います。

狩りに来たアクタイオーンは鹿を探しに来たのであって、決してセーラ服を盗みに来たわけではありません。

しかし、女神たちの水浴シーンに遭遇してしまいます!!

そして、狩人アクタイオーンはこっそりと女神の裸を覗(のぞ)いてしまいます。



*『ディアーナの水浴』 (フランソワ・ブーシェ/作, 1742年)Wikipedia
*これだけ美しい光景が広がっていたら、見るなというほうが難しい気もしますが、、、。


ディアーナは怒りに頬を曙色に染め、そしてアクタイオーンに怒りのままに悪態をつきます。

「私の裸を見たと言うが良い。『女神の美しい裸をその目で見た』、と...もし、言えるのであれば」と悪態をアクタイオーンに投げつけると、水をかけます。

ドラえもんにおいて、しずかちゃんの入浴時にいつも行ってしまうのびたくんがいつもやられることです。水をかけられます。

しかし、相手はしずかちゃんではなく、女神様です。
その水をかぶったアクタイオーンはみるみるうちに人間から鹿へと変わります。

水面に映る自分の姿を見てアクタイオーンは嘆きます。

ナルキッソスとは違い、水面に映った自分の姿を愛するどころか、呪わしく思います。
しかし結末は同じです。

ナルキッソスは水に映った自分の姿を愛しすぎて、摂食障害で死んでいきます。
ナルキッソスのなれの果てである水仙の体脂肪は3%を切っています(冗談です)。

一方で悪態をつかれた上に、鹿に化けさせらたアクタイオーンは、耳だけロバにされたミダス王とは違い、悲惨な結末が待っています。

そもそもアクタイオーンは出歯亀ではなく、狩人です。50匹もの猟犬を連れて来ています。獰猛な猟犬たちが50匹です。

鹿に変わったアクタイオーンは、あわれにもその猟犬たちに食い殺されます。

「ご主人様、仕留めました!!」と目をキラキラさせながら、虚しく抵抗する鹿を襲ったのでしょうが、その鹿が「ご主人様」でした(TOT)


触れ合うはずのない女神と人間が、水面を介して交錯すると考えます。欲望の交錯です。

ディアーナは心の奥底で裸を視姦されたいと欲望し、アクタイオーンは狩りというマッチョな行為をしつつ、美しい女性を視姦したいと欲望し、その欲望と欲望が水面で交錯します。

そもそも女神様は不可視です。しかし、水浴びをするときには、不可視の神が水面には映ります(物理学的にはありえませんがw)。

水面(みなも)でディアーナとアクタイオーンの欲望が交錯するのです。
そしてそれは不幸な結末を迎えます。

ちなみにディアーナというかアルテミスのボーイ・フレンドはアクタイオーンと同じく狩人のオリオーンです(オリオーンにアクタイオーンを投影していたのかもしれません)。


*オーガスタス・セント=ゴーデンスが作られたディアーナ像 (メトロポリタン美術館所蔵)Wikipediaより

ちなみに、ディアーナが崇拝されたいたのはネミ湖湖畔のアリキアであり、ネミ湖と言えば金枝が思い起こされます。金枝篇のフレイザーは再びあとで登場します。

ちなみにネミ湖はイタリア半島のちょうど膝の部分。


*膝がローマであり、膝のDotsがネミ湖です。ちなみに蹴られている三角形のボールがシチリア島です(世界地図ダウンロードでおなじみですね!)。

ちなみに、シチリアの紋章。うなされそうなデザインです。メドゥーサです。



エール・クロソウスキーはその著書「ディアーナの水浴」において、なぜ不可視な神と肉体を持つ人間が交わったのかについてこう謎解きしています!
永遠の命を持ち、欲望にとらわれない神と、死すべき定めであり欲望にいつもさいなまれる人間は泉の水面によって交錯するのです。

この謎解きによって、なぜ不可視な女神の裸を見ることができたのかも分かります。それは水面に映ったからということです。

この美しいイメージを基礎として、グノーシス主義、ヘルメス主義を解題していくというのが太田先生のテーマの一つであり、寺子屋「裏の宗教史」でも踏襲しました!

ざっくりと言えば、プラトンのイデア論とは、イデア界が水鏡に映った像が現実界です。

アリストテレスはイデアvs現実界という師の議論に対して、神は属性を持たないとして、不動の動者としての神を設定し、神が自身を思惟することで「イデア」が次々と生まれ、そのイデアが現実解を生むと考えました。

神が水鏡に映った自分を見ることで、イデアが生まれ、そのイデアたちが自然という水鏡を見ることで現実界が生まれるというイメージです。

グノーシスはもう少し複雑になります。
もう数段階増えます。


「ヨハネのアポクリュホン」にはこうあります。
ちなみに「ヨハネのアポクリュホン」とはグノーシス主義では最も重要な神話であり、ナグ・ハマディにも3つのコプト語写本があり、他にベルリン写本が1つあります。

そのナグ・ハマディの2つめの写本から引用します。

(引用開始)
彼は[霊の泉の中に彼の像を見]るとき、それを認識する。[彼は]彼の[水の光、すなわち]、彼を取り巻[く純粋たる水]の泉の中へ意志を(欲求)を働かせる。すると[彼の思考が活]発になって現れ[出]た。それ(「思考」は歩み出て]、彼の光[の輝きの中に]彼の[前]へ[現]れた。(ナグ・ハマディⅡ4)
(引用終了)

至高神が泉をのぞきこみ、そこに自分の似像であるバルベーロが現れる瞬間です。

ここから数段階を経て、人間が生まれます。

(プラトンだとシンプルです。父なる至高神と娘としてのバルベーロの離反と合一(近親相姦)の物語です。父と娘の物語ながら、お互いの男女ですが)

男女と言えば、ヘルマプロディートス(ヘルメス+アフロディーテ)

*ヘルマプロディートス

シンプルに説明すると、、、、

至高神→バルベーロ

バルベーロ→アイオーンの神々@プレローマ界

アイオーンの神々のひとりソフィアが単性生殖(過失!)→ヤルダバオート

ヤルダバオート→アルコーンの神々

ヤルダバオート→アダム

となります。

バルベーロの世界がプレローマ界、ヤルダバオートの世界が現実世界です。ちなみにヤルダバオートは別名ヤハウェです。

至高神が泉に映った自分の姿を見て、そこに意志を働かせて生まれたのが、バルベーロであり、そのバルベーロが至高神の承認を得て、次々とつくったアイオーンの神々がいわゆるイデアたちです。すなわちプレローマ界とはイデア界のこと。

そこの神様のひとりが跳ねっ返りのソフィアで、ペアでの有性生殖ではなく、至高神と同じく単性生殖をしたいと願い、トライして失敗してできたのが蛇とライオンの外見を持つヤルダバオート!
ヤルダバオートはデミウルゴスとも言われますが、デミウルゴスとはそもそもプラトンの用語で造物主です(「ティマイオス」)

これがのちのヤハウェ。


ちなみにヤハウェならぬヤルダバオートは蛇とライオンの外貌を持つとありますが、「裏の宗教史」でも最近のスクールでも頻出のギルガメッシュの最後にはこうあります。

ギルガメッシュの物語は英雄伝説です。
半神半人のギルガメッシュ王の物語です(半神半人は正確ではなく、彼の3分の2は神、3分の1は人間です)。ギルガメッシュ王は冒頭に「すべてのものを国の[果てまで]見たという人、[すべてを]味わい[すべてを]知っ[たという人]」として紹介されています。


そのラスト・シーンが感動的です。
悲劇とはかくも感動的なのかと思います。

ギルガメッシュ王は闘いにあけくれたあげく、連戦連勝でも虚しく、死には打ち勝てないことに気付き、不老不死を得ようとします。
「少しのことにも、先達はあらまほしき事なり」と吉田兼好も言っていますので、ただひとり不死を得たという古都の聖王ウトナピシュティムにその方法を聞きに行きます!

しかしウトナピシュティムはそっけなく洪水伝説の話をして、長生きは神の思し召しなどと煙に巻きます(この洪水伝説自体はほとんどの神話が持つ形式です。そしてシュメールでは実際に大洪水が歴史的にもありました)

そこでウトナピシュティムの奥さんが助け舟を出します。「こんなに遠くまで訪ねてきてくれたのだから、ケチケチしないで教えてあげたらどうだい」と旦那にツッコミを入れます。

そこでしぶしぶウトナピシュティムはギルガメッシュに特別な草の話を教えます。
それを食べると不老不死になる草です。

海底にある草です。ということは多分、昆布ですw

無事にその草を海底にもぐって見つけ、故郷へ帰ろうとしたときに、「ギルガメッシュは水が冷たい泉を」見つけます。

ギルガメッシュがいくら水浴をしても誰も老王の裸をのぞき見たりしませんが、蛇は違います。蛇はやってきて草を食べてしまいますw

恐るべきオチです。

このオチが数千年前に書かれていたということにもまた驚きます。

引用してみましょう!!

(引用開始)
するとギルガメッシュは水が冷たい泉を見た

彼は水のなかへ降りて行って水浴をした

蛇が草の香に惹き寄せられた

[それは水から]出てきて、草をとった

もどって来ると抜殻を生み出した

そこでギルガメッシュは坐って泣いた

彼の頬を伝って涙が流れた

[彼は]船頭ウルシャナビの[手を取って言った]

「だれの[ために]ウルシャナビよ、わが手は骨折ったのだ

だれのために、わが心の血は使われたのだ

私自身には恵みが得られなかった

大地のライオンに恵みをやってしまった


(引用終了)(ギルガメッシュ叙事詩285-295、ギルガメッシュ叙事詩pp.135-136)


人生をかけた冒険があっけなく失敗に終わる瞬間の虚しさが、悲劇的に描かれています。

抜殻というのは不死鳥伝説と同じで、死んで蘇るというメタファーです。永遠の命と永遠の若さを得たということです。

長々と引用してきましたが、ここでのポイントは蛇を「大地のライオン」と言っていることです。


思い出すと、ヤルダバオートは蛇とライオンの外見を持ちます。

蛇は繰り返し、聖書でも悪魔としてネガティブに扱われます(ちなみにこれもよく紹介するネタですが、スッタニパータの最初の書は蛇の書です)。


ちなみに、創世記においてエデンの園(というシュメール)において、中央に生えているのは生命の樹と知恵の樹でした。これは二者択一ということです。
どちらかを選べということです。

そしてどちらかしか選べません。

それをバナナ型神話と定式化したのが金枝篇でおなじみのフレイザーです。


*フレイザー卿。金枝篇の著者。


このバナナ型神話も相当に面白すぎます。

こんな話です。

あるとき神様がやってきて、「プレゼントがある」とマイルドヤンキーなカップルに言います。

2人は喜びますが、渡されたのは何の変哲もない石です。

「いや、石はいらないっす」と突き返します。
石は石でも輝く石とか、炭素を高温高圧で固めたやつなら良かったのですが。

そしたら翌日、また神様がやってきて「プレゼントがある」と言います。
2人は喜びました。なぜならそれはバナナだったからです。
バナナは食べれるし、果糖も豊富で、プロテインも1%程度なら含まれています。
喜んで2人はバナナを受け取ります。

しかし冥界で食べるザクロと同じで、神様が何かをくれるときは天邪鬼が良いのかもしれません。

神様いわく、硬く変質しない石を選んでいたら人は不老不死になれたそうです。
逆にバナナを選ぶと、バナナはすぐに傷むし、すぐに腐ってしまうので、そのようなすぐに死んでしまうし、すぐに傷ついてしまう運命になったそうです。



*バナナの木。いや、こう見えても草です( ー`дー´)キリッ


このパターンというのがほとんどの神話に見られ、創世記におけるリンゴとデーツという(知恵の実か生命の実かという)選択もまた、バナナか石かと同型であると見做せます。


ちなみに不老不死となった賢者ウトナピシュティムの名の意味は「生命を見た者」です。(同p.190)

「すべてを知った人」がギルガメッシュなのですから、知恵と生命はここでもまた両立しないのです。

(ちなみに神話は二者択一ですが、それをアウフヘーベンしたのがプラトンであり、イエス・キリストです。「知識によって永遠の命を得る」という構造です。もちろん釈迦も同じくです。それを「まといのば」では「咒」と読んで概念化しています。)


グノーシス主義の話の途中で脱線したままでしたが、ここらへんで!

以下の構造はなんとなく知っておいてください。至高神がプラプラと歩いていて、泉にうつる自分に執着して生まれたのがバルベーロ、バルベーロが生み出したのがイデア、イデアの一つのソフィアが跳ねっ返りで想像妊娠して産んだ怪物がヤルダバオート。
ヤルダバオートはイデア界(正確にはプレローマ界)を追い出されて、つくったのがこの宇宙ということです。ヤルダバオートは造物主(デミウルゴス)であり、ヤハウェと呼ばれます。

至高神→バルベーロ

バルベーロ→アイオーンの神々@プレローマ界

アイオーンの神々のひとりソフィアが単性生殖(過失!)→ヤルダバオート

ヤルダバオート→アルコーンの神々

ヤルダバオート→アダム

矢印は水鏡に映った自分です。ですからナルキッソスとは、「ナルキッソス⇔ナルキッソス」となり閉じてしまった悲劇です。閉じてはいけないのです。世界に対して開かれていないといけません。




で、今月の寺子屋はそんなわけで全ての鍵をにぎる神秘に包まれたシュメールに迫ります!

これまで学んできた内容とシュメールが強烈な対応関係にあること、そして古代世界の凄さ恐ろしさが明瞭に見えてきます。我々の進歩史観をある意味で打ち壊してくれるかと思います。

セミナーの告知はしていきますが、今月も「はじめての気功」を2講座、寺子屋1講座(おそらく「シュメール」)、そして1Dayスクールは身体系の強烈なものをひとつやりたいと思っています。もう一つは検討中です。かなり面白いかと思います。かなり特殊な言霊系の気功術をやりたいとは思っています。それから通常のスクールも開催予定です。
どの企画も2月に持ち越すかもしれませんが、お楽しみに!!

あ、そして、スクール修了生向けの「まといのば」講座も開催します。一挙3講座です。
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*引用はこちらからです!5冊とも手元に置きたいところです!まずはここから。

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*これは小学生のころに母がよく読んでいた本で、女神ディアーナの裸と自分の猟犬に食い殺されるアクタイオーンのイメージと共に子供心に強烈な印象でした。


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