「まといのば」では前屈を薦めています。
いわば「前屈のすゝめ」です。
*「まといのば」では、これ以上の深さで前屈ができる人が多くなっています。この状態は、二つ折りがあまりに綺麗なのでガラケーと呼んでいます。
余談ですが、福沢諭吉の著書(というか短文集)に「学問のすゝめ」があります(リンクは青空文庫。以下の引用も同様)
*1984年からは、学んだ結果として彼のブロマイドを集めることが日本の流行となりました。
「学問のすゝめ」を一言で言えば「人は生まれながらにして貴賤・貧富の別なし。ただ学問を勤めて物事をよく知る者は貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人(げにん)となるなり。」ということになります。
もちろんそこで言われる学問とは、「ただむずかしき字を知り、解げし難き古文を読み、和歌を楽しみ、詩を作るなど、世上に実のなき文学」ではないとされます。いわゆる「実学」こそが学問とされます(実学こそというのは言い過ぎですね。まずは実学を優先すべきということです)
(引用開始)
されば今、かかる実なき学問はまず次にし、もっぱら勤むべきは人間普通日用に近き実学なり。譬たとえば、いろは四十七文字を習い、手紙の文言(もんごん)、帳合いの仕方、算盤そろばんの稽古、天秤(てんびん)の取扱い等を心得、なおまた進んで学ぶべき箇条ははなはだ多し。地理学とは日本国中はもちろん世界万国の風土(ふうど)道案内なり。究理学とは天地万物の性質を見て、その働きを知る学問なり。歴史とは年代記のくわしきものにて万国古今の有様を詮索する書物なり。経済学とは一身一家の世帯より天下の世帯を説きたるものなり。修身学とは身の行ないを修め、人に交わり、この世を渡るべき天然の道理を述べたるものなり。(引用終了)
*初版本!
非常に納得の行く議論ですし、まさにその通りです。
(我々もようやく地理学、歴史を学ぼうとしているところですw)
人は生まれながらに自由だが、自由自在と唱えて分限を知らなければ、ワガママ放蕩に陥ると警告しています。そして分限とは「天の道理に基づき人の情に従い、他人の妨げをなさずしてわが一身の自由を達すること」と定義しています。自由とワガママの境は「他人の妨げをなすとなさざるとの間」にある、と。
(引用開始)
学問をするには分限を知ること肝要なり。人の天然生まれつきは、繋つながれず縛られず、一人前(いちにんまえ)の男は男、一人前の女は女にて、自由自在なる者なれども、ただ自由自在とのみ唱えて分限(ぶんげん)を知らざればわがまま放蕩に陥ること多し。すなわちその分限とは、天の道理に基づき人の情に従い、他人の妨げをなさずしてわが一身の自由を達することなり。自由とわがままとの界(さかい)は、他人の妨げをなすとなさざるとの間にあり。譬(たと)えば自分の金銀を費やしてなすことなれば、たとい酒色に耽(ふけ)り放蕩を尽くすも自由自在なるべきに似たれども、けっして然(しか)らず、一人の放蕩は諸人の手本となり、ついに世間の風俗を乱りて人の教えに妨げをなすがゆえに、その費やすところの金銀はその人のものたりとも、その罪許すべからず。
また自由独立のことは人の一身にあるのみならず、一国の上にもあることなり。わが日本はアジヤ州の東に離れたる一個の島国にて、古来外国と交わりを結ばず、ひとり自国の産物のみを衣食して不足と思いしこともなかりしが、嘉永年中アメリカ人渡来せしより外国交易(こうえき)のこと始まり、今日の有様に及びしことにて、開港の後もいろいろと議論多く、鎖国攘夷(じょうい)などとやかましく言いし者もありしかども、その見るところはなはだ狭く、諺(ことわざ)に言う「井の底の蛙かわず」にて、その議論とるに足らず。日本とても西洋諸国とても同じ天地の間にありて、同じ日輪に照らされ、同じ月を眺め、海をともにし、空気をともにし、情合い相同じき人民なれば、ここに余るものは彼に渡し、彼に余るものは我に取り、互いに相教え互いに相学び、恥ずることもなく誇ることもなく、互いに便利を達し互いにその幸いを祈り、天理人道に従いて互いの交わりを結び、理のためにはアフリカの黒奴(こくどにも恐れ入り、道のためにはイギリス・アメリカの軍艦をも恐れず、国の恥辱とありては日本国中の人民一人も残らず命を棄すてて国の威光を落とさざるこそ、一国の自由独立と申すべきなり。(引用終了)
自由独立を一身のみならず、一国の上にも考えているのが福沢諭吉らしい、抽象度の上下運動です。まさにジェットコースターのように乱高下します。
まずは非常に高い抽象度から、あたかも大気圏外から地球を眺めるように、こう語ります。
「日本とても西洋諸国とても同じ天地の間にありて、同じ日輪に照らされ、同じ月を眺め、海をともにし、空気をともにし、情合い相同じき人民なれば、ここに余るものは彼に渡し、彼に余るものは我に取り、互いに相教え互いに相学び、恥ずることもなく誇ることもなく、互いに便利を達し互いにその幸いを祈り、天理人道に従いて互いの交わりを結び、理のためにはアフリカの黒奴(こくど)にも恐れ入り、道のためにはイギリス・アメリカの軍艦をも恐れず」
「ここに余るものは彼に渡し、彼に余るものは我に取り」とはまさに経済そのものです。
過剰生産物を交換することです(まさに剰余価値w)。
この視点というのは、まさに世界地図ダウンロードの視点です。その視野から見れば、世界は一望できます。世界を一望する視点から、世界を眺めない限りはどれほど整合的な地図であっても「井の中の蛙」になってしまいます。世界地図ダウンロードの視点はあまりに大雑把ですが、有効です。
というわけで、なかなか本題に入れないのですが、福沢諭吉の文体というのはまさに音読するための文体です。
そう思うと日本語も音読の言語であったと思い出します。
たとえば森鴎外の「舞姫」。主人公が舞姫エリスに会う美しいシーンです(リンクは青空文庫)
(引用開始)
今この処を過ぎんとするとき、鎖(と)ざしたる寺門の扉に倚りて、声を呑みつゝ泣くひとりの少女(をとめ)あるを見たり。年は十六七なるべし。被(かむ)りし巾(きれ)を洩れたる髪の色は、薄きこがね色にて、着たる衣は垢つき汚れたりとも見えず。我足音に驚かされてかへりみたる面(おもて)、余に詩人の筆なければこれを写すべくもあらず。この青く清らにて物問ひたげに愁(うれひ)を含める目(まみ)の、半ば露を宿せる長き睫毛(まつげ)に掩(おほ)はれたるは、何故に一顧したるのみにて、用心深き我心の底までは徹したるか。(引用終了)
*森鴎外自身は、エリスを選ばず、自分が支えなければ簡単につぶれてしまう国、家という共同体を選んだことをどう思っていたのでしょうか?「森林太郎」という墓碑銘は、森鴎外として生きて、個人として死ぬという意味かとも取れます。
これもまた声に出して読んではじめて、その響きに言葉の美しさと意味が浮かび上がります。
そもそもは読んで聞かせるのが、日本における文学の形式でした。
我々もまた音から日本語を学ぶほうが良いのかもしれません(英語と同様に)。
たとえば平家物語。暗唱した方も多い冒頭部分です。
(引用開始)
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず。ただ春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。
(引用終了)
これも高らかに音読してこその文章です。
*現在の祇園精舎です。「祇園精舎の鐘の声」とはいえ、祇園精舎には鐘はありませんでした(最近寄贈されたそうですが)。
ちなみに平家物語の新解釈として面白いのがかわぐちかいじさんの「ジパング 深蒼海流」です。
太平洋戦争中にイージス艦がタイムスリップした「ジパング」も相当に面白いですが、こちらの平家物語ジパングも面白いです(僕は前作との関係で、自衛隊が平安時代にタイムスリップするのかと思っていましたw)。
という話はさておき、前屈のススメです。
前屈を薦めるのは、前屈が関節の一部、筋肉の一部ではなく全身の筋肉と関節の協力が必要な運動だからです。
股関節がやわらかいから前屈ができるわけでも、腰がやわらかいから前屈ができるわけでもなく、前屈をしてみるとよく分かるのですが、大げさに言えば頭の先からつま先まですべての筋肉と関節が参加します。
*前屈は全身の筋肉が参加する非常に良い簡易な体操法です!!
ですので、身体のレベルが上ったかどうかを素早く測定する装置としては、非常に簡易で結果も分かりやすいのが前屈テストです。
それに前屈は嘘がつけません。
もちろん硬い振りをすることは可能です。柔らかい人が硬いフリをすることは可能ですが、硬い人が、柔らかいフリはできません。ですから気功によるヒーリングが効いていないのに、効いているフリをすることが全くできないという意味でも非常に役立ちます。
気功の効果というのは主観的なものが多いので、催眠術なども同じですが、被験者が協力することが可能です。
逆に前屈のような整形外科的テストは、全く協力ができません。
その意味で前屈によるテストは非常に有効です。
それに結果のフィードバックもチェックしやすいので(「まといのば」では写真を使うことをすすめています!)、自分の主観とのズレも確認できます。写真で見てみると、思ったより柔らかくなっていたということは往々にしてあります。自分の目を信じず、カメラの目を信じましょうw
フィードバックを得るという目的以外にも、前屈それ自体が非常に有効な全身のストレッチとなります。日常生活ではなかなか動かすことのない大きな筋肉や、深いところの筋肉をきちんとストレッチします。前屈が気持ち良いのは、前屈によって、多くの筋肉がストレッチして休まるからです(筋肉は適切に使い、適切にストレッチしないと休みません)。
そして前屈の何が良いかと言えば、前屈はほかの柔軟体操やストレッチと同じで、なかなか変わらないものであることを我々は体験的に知っている点です。
そう簡単には身体は柔らかくなりません。
ホメオスタシスという身体のシステムは強烈です。体温や酸素濃度やpH濃度と同じく、柔軟性にも強烈なホメオスタシスが働きます。柔らかくしようとすると、身体は硬くなろうとするのです。
毎晩、お風呂あがりにストレッチをしても、そう簡単には柔らかくなりません。
しかし気功によって、内部表現を書き換え、脳を書き換え、その結果として全身を書き換えると、驚くほど目に見えて結果が得られます。
気功で柔らかくなった人は、その柔らかさを維持しつつ、もっとレベルを上げていきましょう。
オススメなのは、普段の生活での動きを改善することです。
たとえばバレエダンサーが靴紐を結ぶ時、しゃがむことはありません(いや、全くないわけじゃないので、反例を出されても困りますw。ポイントは全体の傾向としての身体の操作法です)。キリンの水飲みのように、膝裏を伸ばしています。
靴紐を結ぶだけではなく、何か床に落ちたものを拾うときなども同様です。このときに前屈を期せずして行うのです。
普段我々は日常生活の中で、前屈を多く行なっています。そのときに膝を曲げてしまうと、前屈にならないので、伸ばすように心がけるだけで、前屈は訓練されます。
というわけで、前屈のすゝめでした!!
全身の筋肉を適切にストレッチして、日常では休まらない筋肉を深く休める前屈というアーサナ(もしくはムドラー)を多用して美しい身体を目指してください!!
*逆立ちもオススメです!
【参照書籍】
ジパング(1)/講談社
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イージス艦がミッドウェー海戦直前にタイムスリップし、そのことで歴史が大きく動きます。
太平洋戦争史を頭に入れたいという方にも最適かと。
ジパング コミック 全43巻完結セット [マーケットプレイス コミックセット]/作者不明
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僕はキンドルで読むのが好きですが、子供に教育効果をなどと考える場合は、リアル本が絶対に良いです。
ジパング 深蒼海流(1)/講談社
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タイムスリップしないのですが、面白いです!!
平家物語です!!
かわぐちかいじさんと言えば「沈黙の艦隊」もオススメです!!
沈黙の艦隊(1)/講談社
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沈黙の艦隊 全16巻完結(文庫版)(講談社漫画文庫) [マーケットプレイス コミックセット]/講談社
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漫画だろうが、アニメだろうが、映画だろうが、小説でも、教科書でもアタマの中に物語を流し込んでしまえば、あとはアタマの中でその物語が発酵し、タネが芽を出し、雪だるまは大きくなっていきます。
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前屈のすゝめ 〜前屈がなぜ気功にとって有効なのか〜福沢諭吉と森鴎外のストレッチ〜
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