いくら結界を張っていても、そのバリアを超えて、中に入っていく方法はあります。
たとえば、ドラキュラはニンニクや十字架が苦手です。
そのニンニクや十字架を張り巡らされた家があったとしても、そこにドラキュラが入っていく一つのエレガントな方法があります。
それが、家人に招待されるということです。
ドラキュラを自宅招待するのも悪くないのですが、招待する以上はきちんとその相手を知っておきましょう。
余談ながら、ドラキュラもまた多くの悪魔同様に、良く言えば情報空間で進化した存在であり、悪く言えば恐怖だけがインフレしています。
そもそもドラキュラはヴァンパイアの代名詞ですが、ヴァンパイアは吸血鬼ですが、ドラキュラはルーマニアのドラキュラ伯爵の通称です(当時のルーマニアには伯爵の称号もなく、小説の設定です)。
そもそもこのヴラド3世は父のドラクルの子という意味でドラキュラと自称しており、ドラクルとはドラゴンであり、ドラゴンとは悪魔学でも学んだように悪魔のひとつです。ですから、ドラキュラとは悪魔の子という意味に取れないこともありません。ただそもそもは竜の子であり、ドラクルという父の子というのが本来の意味です。
父が「ドラクル=竜」と呼ばれたのも、十字軍・竜騎士団に所属していたためとされます。
とは言え、ドラゴンは聖書によって最終的には立派な悪魔に昇格します。「また、もう一つのしるしが天に現れた。見よ、大きな、赤い龍がいた。それに七つの頭と十の角とがあり、その頭に七つの冠をかぶっていた。」(ヨハネ黙示録12:3)
そのドラゴンは大天使ミカエル(ミケランジェロですねw)と闘って敗れます。
(ミケランジェロの名前が天使ミカエルから、ラファエロの名前が天使ラファエルから来ているのはよく知られています。レオナルドは天使、、、いやライオンという意味です。レオナルドとは、ラテン語 "leo" 「ライオン」とゲルマン語 "harti" 「堅い」の合成名だそうです。
ルネッサンスを代表する三人の芸術家のうち2人が天使、一人が動物というのは彼らの人生を考えても意義深いと言えます。教会が教会であることを謳歌した最後の時代であり、神や天使を否定する最初の人がレオナルドです)
この巨大な龍、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれ、全世界を惑わす年を経たへびは、地に投げ落され、その使たちも、もろともに投げ落された。(ヨハネ黙示録12:9)
ですので、そのドラゴンの子供とは悪魔の子という意味につながるのです。
とは言え、15世紀ルーマニアの他愛もない名称が悪魔の子、そして吸血鬼となったのは、もちろん吸血鬼ドラキュラという小説ゆえです。この小説は1897年にアイルランド人作家ブラム・ストーカーによって書かれました。
ドラキュラの来歴はさておき、ドラキュラが招かれざる客のときは、ニンニクの結界にも効果がありますが、家人がドラキュラを招くと十字架もニンニクの結界も効果が無くなります。
招かれれば、入ることができるのです。
我々も悪魔を招くのであれば、悪魔についてよく知る必要があります。
*かわいらしい悪魔くん
悪魔について、我々の共通見解は(寺子屋「悪魔学」でも共有しているように)悪魔とは◯◯です!
たとえば、古代悪魔学にはこうあります。
(引用開始)
サタンの基本的役割は「敵対すること」である。ヘブル語のstnもギリシア語のdiabolosもともに、英語のopponent〔敵対者〕にきわめて近似した語源的意味をもっている。行く手をさえぎる物もしくは人物、すなわち「つまづきの石(プロスコムス)」(ロマ一四・一三他)の意である。(略)
われわれが、サタンは「敵対者」として機能するという時、それはロシアの構造主義者ウラジミール。プロップ(一八九五ー一九七〇、ロシアの口承文芸研究家)が先鞭をつけた種類の物語分析において、われわれが「英雄(ヒーロー)」、「贈与者(ドナー)」、「同行者(コンパニオン)」について言及するのと同じ意味合いを持っている。しかしながら機能と名称を混同しているために、サタンという名は矛盾をはらんでいると同時に悲劇的である。それは依存的にしか存在し得ないものの定義なのである。アウグスティヌス(三五四~四三〇年、ローマのキリスト教会最大の教父)とミルトンが明らかにしているように、サタンは自分が独立した存在であると夢想するときに、最も致命的な誤りを犯す。語それ自体の意味から言ってサタンの特質は虚構(フィクション)ということなのである。(引用終了)(N・フォーサイス著「古代悪魔学」 序章pp.2-3)
重要なポイントは「(サタンは)語それ自体の意味から言ってサタンの特質は虚構」という点でしょう。
そうすることで見えてくることが多くあり、多くの謎が解けます。
たとえば聖書の中でイエスから名指しで「サタン」と呼ばれているのは、多くの人が予想するようにユダではなく、初代教皇であるペテロです。
このくだりは寺子屋はじめとして繰り返し取り上げられています。
しかし、イエスは荒野の誘惑でサタンと対決したことはマルコ、ルカ、ヨハネで描かれています。
その舌の根も乾かぬ内に「サタンよ、引き下がれ」と言います。
イエスは振り向いて、ペテロに言われた、「サタンよ、引きさがれ。わたしの邪魔をする者だ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている」。(マタイ16:23)
このとき「邪魔をする」というのが、まさにサタンという機能です。
障害になる人やモノということです。
ちなみに古代悪魔学ではこのくだりを興味深く論考されていますが、その次により興味深い話があります。
ヨブのサタンについてです。
(引用開始)
「おまえはどこから来たのか。」
サタンは主に答えて言った。
「地を行き巡り、
そこを歩き回って来ました」
(引用終了)(同p.155-156)
このなぞなぞのような一節についてです。
そもそも全知な神が「どこから来たのか」を知らないはずがありません。この質問はなぜされたのでしょう。
そして、サタンの回答もまた不可解です。
しかし、これはサタン(stn)という言葉とsut(行き巡る)という言葉の語呂合わせであり、そして神のスパイとしてのサタンの役割を示したということです(このくだりは12期「光と闇」でも現況しましたね)。
ダジャレかっ!と突っ込みたくなりますが、ダジャレのようです。
(しかしヨブ記には、もっと複雑な考えを暗示する、巧妙な言葉遊びがあることにわれわれは気がつく。p.155)
ヴァンパイアを招くときは、ヴァンパイアについて知る必要がありますし、ドラキュラを招くときは、ドラキュラについてよく知る必要があります。
悪魔を召喚するときも、悪魔をよく知りましょう。
悪魔をディナーに招くにも、マナーが必要なのです。
というわけで、いろいろとこのテーマで書くつもりでしたが、もう少しでセミナーが始まりますので、このへんで!
*闇と世界を突き破る知識と身体を身につけましょう!!
【参考書籍】
古代悪魔学―サタンと闘争神話 (叢書・ウニベルシタス)/法政大学出版局
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The Old Enemy: Satan and the Combat Myth/Princeton Univ Pr
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*Old enemyというタイトルがいいですね!!
今日のシークレットセミナー(と「光と闇」)で紹介したのがこちらです。
カバラの解説本です。いわゆる薔薇十字団を引き継ぐ秘密結社(黄金の夜明け団)の理論のイントロダクションとして良いと思います(というか、イスラエル・リガルディは黄金の夜明け団の秘技を公開してしまったのです)
世界魔法大全3 柘榴の園/国書刊行会
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悪魔をディナーに招待するときのマナー、ドラキュラはドラゴンの子、ウロウロするサタン
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