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Channel: 気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ
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聖なるものを犬にやるな。また真珠を豚に投げてやるな。

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マタイ福音書の7章6節に印象的な聖句があります。


聖なるものを犬にやるな。また真珠を豚に投げてやるな。恐らく彼らはそれらを足で踏みつけ、向きなおってあなたがたにかみついてくるであろう。


良いものは良いのだから、あまねく広めねばならぬという常識的(?)な考え方に対する強烈なアンチテーゼです。

もちろん歴史を振り返ると、「良いものは良いんだ~」と叫ぶ側のほうがマジョリティになりがちです。良いものはその価値が分かる人にのみ伝えるという密教的な立場は滅び行くことが多くありました。
たとえば、初期仏教は滅びて、完全にバラモン教に先祖返りしましたし、キリスト教もキリストの教えではなく、パウロのユダヤ教に先祖返りしたものが広まりました。

我々自身に引き寄せて考えると、ヒーリングを友人や家族に頼まれたら、断りましょうということです。

同じく聖書に『よく言っておく。預言者は、自分の郷里では歓迎されないものである。(ルカ4:24)』と述べています。

Rayまといのばでも先日、気功整体師養成スクールが無事に終りました。
自画自賛の謗りをまぬがれませんが、これまで「まといのば」からも優秀なヒーラーが多く羽ばたかれました。Rayも同様に、かなりレベルの高いヒーラーが誕生しましたし、今後、本人が望めば高いレベルで活躍が可能だと思います。Rayまといのばの主宰のヒーリングのレベルは非常に高いと思いますが、出藍の誉れとなる可能性はあります(まだ可能性にとどまりますが)。

ただ、彼らが間違っても、人の良さを発揮して、友人や家族へのヒーリングから始めないことを祈っています(アドバイスを受けながら、もうすでに家族に対してスタートしていて、成功しているヒーラーさんはその限りではありません。誤解のなきように(^^))。

そもそもヒーリングというのは、お互いにゴールがない限りは始まらないものです。たとえば、治る気がない者に、どれだけ最先端の治療をしても、ざるで水をすくうようなものです。

それが理由ではないでしょうが、外科医が近親者を手術することはありません。

友人や家族同士はスコトーマが巨大すぎて、ヒーリングが始まりません(正確には始まりにくいというべきでしょう)。

ヒーリングは知的な作業です。

ヒーリングは修理ではありません。身体はその意味では機械ではありません。


聖なるものを犬にやるな。また真珠を豚に投げてやるな」とは言え、何が「聖なるもの」で誰が犬か豚かを事前に判断するのは困難です。というか無理です。
何が「聖なるもの」かに関しては、自分がそれは「聖なるもの」(重要な概念)であると確信する限り、それに殉ずるつもりでいれば良いと思います。間違えたら間違えたで修正すればいいのです。完全に正しいことなどない以上は、不完全情報とわずかな時間での決断で最善を尽くすしかありません。

犬や豚に関してはよりシンプルです。

すべての人が豚でも犬でもないという前提で、聖なるものを広くあまねく差し上げましょう。もちろん求められる限りにおいて。

そしてもし「足で踏みつけ、向きなおって」「かみついて」きたら、その後は「聖なるもの」を差し上げるのをやめればいいことです。

イエスも一度は故郷で試しています。一度試して、「やっぱり前例通り『預言者故郷に入れられず』だな~」と思っているわけです(イエスではない我々は友人や家族にヒーリングを試して、落ち込む必要は無いと思いますが)。

「友人や家族にヒーリングをしたいんですっ!」という方もいらっしゃるとは思います。
その高邁な精神は高く評価しますし、それに異論を唱える気はさらさらありませんが、実情はそんな感じです。

というか、今回はそういう話しではありません。

たとえば、師匠やリーダーや上司がチャンスを与えたり、有効な情報をAさんに与えたとします。

それに対して「足で踏みつけ、むきなおってかみついてくる」人が多いという話しです。

もちろんあからさまにそうするというわけではありません。

たとえば、こんなチャンスがあるし、あなたにふさわしいと思うよ、と伝えると、強硬に否定し、私を侮辱しているのかくらいに怒る人がいます。
わたしはまだまだなんですっ!と怒りださんばかりに主張します。
ほめると、「いやいやいや」と否定する人がいます。
「ここが良くなった」というと、その3倍くらい自分の欠点を披露する人がいます(前段と後段が全く論理的に結合していないのにも関わらずです)。

こういうことを書くとしばしば「じゃあ、ポジティブシンキングですね!」という人がいますが、違いますw

ポイントは「ゴール」です。

ゴールが明確であれば、「こんなチャンスがあるし、あなたにふさわしいと思うよ」と言われたら、「はいっ!がんばります!」となるでしょうし、ほめれば「ありがとうございます」でしょうし、「ここが良くなった」と言われれば、それが自分の観察通りなら、「(なるほど、自分の観察通りだ!)」ということになるでしょうし、それが自分の予想外であれば、「(なるほど、そこが良くなったのか)」と考えるでしょう。

別にポジティブとかネガティブとかではなく、自らのゴールに機械的に照らすだけです。

ホメオスタシスの責任に帰するのをそろそろやめて、我々は自分のゴールの臨場感と更新のみに注力すべきでしょう!



*犬には犬にとっての「聖なるもの」を与えるべきです(^^)
こちらの基準だけでみて「聖なるもの」を投げても無意味です。


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