「エフィカシー」がネックになることというのは多くあります。
練習ではできるんだけど、本番でできないとか、緊張して大事なところでトチるというときの原因はエフィカシーです。エフィカシーの低さが足を引っ張ります。
もちろん特別な場合だけではなく、普段の生活でも、エフィカシーの高さは大きな問題です。
エフィカシーの高さに応じて、見えるものは変わってきます。
チャンスが目の前に転がっていても、それが見えるかどうかはエフィカシー次第です。
エフィカシーというのはコーチングの用語で、自分のゴールの達成に関する自己評価です。現状の外のゴール、すなわち叶いそうにない夢だけど、どうしても叶えたい夢を持っていて、その夢を自分は叶えることができるのだ、という自己評価がエフィカシーです。
ゴールの達成に関する自己評価です。
エフィカシーを上げるようにと言って、「はい、わかりました」と言っているのに、また数日後に「でも、自信がありません」と言う人はよくあります。
この漫画的な構造に本人は気付いていません。
「自信を持ちましょう」という話をしているときに、「自信がありません」と言われたら、全否定です。
AはAですよ、って伝えていて、「なるほど、AはAなんですね!」と納得しているのに、しばらくして「でも、AはBだと思うんです」と言われたら、指導する側はどうすればいいのでしょうか?
そしてこの現象が何度も何度も繰り返すとしたら?
ちなみに、僕ならば「そうだね、AはBかもね。じゃあ、またね(来世で会いましょう!)」と言います。いや、僕もしつこく何度も訂正しますが、あまりに繰り返すときは、まあ本人のそれがゴールなのだろうと思って、諦めます。
自信があるなしについて言えば、僕は「自信には根拠なんて無い」と言うセリフが好きです(アオイホノオという実写化された漫画において「山賀」が言い放ちます)。確かに!って思います。
アオイホノオは以前も紹介しましたが、痛いほどに面白い作品です。
ゲーテが自身の出世作である「若きウェルテルの悩み」を評して、このウェルテルに感情移入できない青春は虚しいという意味のことを言いますが、「アオイホノオ」も同様です(言い過ぎか!)(ちなみにこの作品を模倣して多くの若者が自殺したと言われます)。この「アオイホノオ」の主人公に深く感情移入してしまいます。この痛い青年は自分自身だな~と思わない人はいないのではないかと思います(原作の漫画も最高です)。
自信なんて根拠のないものです。
逆に、根拠ある自信は、根拠のデータかワラントが失われれば、自信が失われるということです。
そんな一寸先は闇な「自信」は嫌ですw
とは言え、もし自信を失った時は、そもそも自信を持つor持たないに関わる主体である自我は存在しないことを思い出すと良いのかもしれません。自信というのは評価関数でしかないので、関数を書き換えれば良いことを思い出すだけで十分かと思います。
もちろんライナスの毛布のように、過去のパラダイムにしがみつくのは重要ですし、別に自信満々が良いと思っているわけでもありません(自信満々の勘違いが「まといのば」のメンバーにいたら、まずその自信満々を打ち砕くことからスタートします。その自信満々がスコトーマになるからです)。
単にエフィカシーを上げることです。それ以前に、ゴールが無い人は、必死になってゴールを見つけることです。
*アルケミア版のプロビデンスの目です。プロビデンスの目を陰謀論という形で思考停止するのはもったいないことです。陰謀は存在しますが、巷の「陰謀論」は愚者の言い訳でしょう(多分w)。
【DVD・書籍紹介】
柳楽優弥さんの怪演がお見事です!
本当に素晴らしい。
昨年、「金閣寺」での熱演にも感動しました。すごい人です。
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若きウェルテルの悩み」は読むべきと思います!
僕の好きな言葉はこちら!
ねえ、きみ。それにしても、こんどの小さな事件でもわかったんだが、世の中のいざこざは、悪意や策謀から起こるというよりは、むしろ誤解や怠慢から起こるのではないだろうか。少なくとも、悪意や策謀なんて場合は、めったにないのだ。
(「若きウェルテルの悩み」ゲーテ著/井上正蔵訳)
寺子屋「悪魔学」の結論と響かせたい言葉です。
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「エフィカシーを高めよ」という教えに対して「私、自信がありません」というパラドックス
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