誤解されがちなのがゴールです。
2月に予定している次のシークレットセミナーでは、ゴールについて真正面から取り上げたいと思っています(ちなみに数年ぶりに「内なる覚醒2015」もゴールデンウィークあたりに開催する予定です。乞うご期待!)。
ゴールの臨場感がありません、などと言いますが、当然ながら、ゴールにもしくっきりとした臨場感があるとしたら、それは間違いなく現状です。
ゴールはぼんやりしているものです。
誰かと恋に落ちることを考えてみましょう。
恋とは、誤解から始まり理解に終わる、などと言います。
相手のことをよく知らなくても恋に落ちるのです。
ゴールの設定とは恋に落ちることと同じです。ただ盲目ではダメですが。
相手が好きになれば、その相手のことをよく観察するものです。何が好きで、何が嫌いで、どんな癖があり、どんな風に話すのか、何でも観察したくなります。
ゴールも同じです。設定したら、そのゴールの世界のことをもっとよく知りたくなります。
もっともっとです。そしてもっと近づきたくなるものです。
恋もゴールも誤解から始まり、理解で終わるとは思いませんが、ゴールは近づいてくると卒業するものです。
というか、基本的にゴールを達成するのは脳の機能としては簡単です。大変なのは、ゴールを更新することです。ゴールを更新しなくてはいけない時期になると、現状も自我も達成しつつあるゴールもすべてがライナスの毛布になります。手放せないのです。
しかしパラドキシカルに、多くを手放すことで、逆に多くを手に入れることを早いうちに学べば、人生はもっと楽しく豊かになります(うーん、ざっくりとした終わり方ですね)。
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恋は誤解から始まり、理解で終わる 〜間違いだらけのゴールの臨場感〜
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