コロナ前なのでずいぶんと前になりますが、解剖実習に熱心に通っていたころの話です。
最終日の最後の時間に、解剖実習を引率されたカイロプラクター医の先生から、声をかけられました。
「ほら、これが動脈硬化だよ」と。
修了証授与式が近く、もうハワイ大学の中庭へ移動しなくてはいけないギリギリの時間あたりだったと思うのですが(ほぼ解剖実習が終わりというタイミングですね)、そのときに大腿動脈だったかと思うのですが、それを指差しながら、これが動脈硬化だよ、と教えてくれました。
そして、「へーーー」ってなっているところに、「触ってごらん」とおっしゃいました。
触ってみると、硬いのです。
続けて「強く触ってごらん」とその先生がおっしゃいます。
恐る恐る強く握ってみると、パリンと割れました。
感触としては、乾煎りした唐辛子のようでした。
乾煎りした唐辛子は手でパリンと割れます。そんな感じです。
これは柔らかいはずの動脈が本当に硬くなり、そしてもろくなる、、、、これは恐ろしいことだと思いました。
そして、解剖学というのは本当に名は体を表すので助かると思いました(医学用語かな、むしろ)。
動脈硬化とは、文字通り「動脈が硬く化ける」のです。
たしかにこれは少し強く周囲の筋肉が押しただけで、割れてしまったり、ヒビが入るのではないかと素人考えながら、思いました。
動脈というか、血管はもちろん筋肉(平滑筋)です。
↑非常によくまとまっています!
動脈硬化とは、簡単にいうと、動脈の壁が厚くなり、硬くなることです。中高年の人に生じる病態と思われがちですが、実は小児期から徐々に進行し、さまざまな病気の原因となります。そのため若いときから動脈硬化が進むのを予防することが大切です。(知っておきたい動脈硬化)
*ここでも「(中高年の人に生じる病態と思われがちですが、)実は小児期から徐々に進行し」とあることに注意!
我々はNO(一酸化窒素)をめぐる議論で、血管内皮からNOが産生され血管が拡張するという話をヴィム・ホフがらみでさんざんしました(そして気功技術を介して我々は実践しました)(NO系サプリいらずどころか、無限増殖させられるのです。無限は言い過ぎか)。
そのNOもまた「血管の欠陥」には為すすべが無いのです。まずは血管の欠陥の修復をしてから、NO系気功技術を使うべきです。
いや、話がずれました。
今年10月に開催するハワイ大学医学部解剖実習はオススメですよ、という話です。
(動脈硬化を幸運にも触れるかは分かりません〜)。
(ちなみに数名でしたら、まだお申し込み可能です!どうしてもという方はご連絡ください!)
ハワイ大学医学部解剖実習に関して言えば、これはMATLASスクールでも(特にGoodRayMATLASの方で)繰り返し言いましたが、解剖実習の経験は素晴らしいもので良いことしかありませんが、懸念点が少しだけあります。
それは、解剖実習をすることで、解剖学の世界に触れ、その常識が内面化することで、身体が悪い意味で動かなくなることです。
ここから先の話は、解剖実習をする人にしか関係ないのですが、解剖実習生たちにとっては死活問題なので、ここでも確認します。
解剖学というのは素晴らしい学問ですし、特にハワイ大学医学部の先生方は医学部の先生たちであるだけではなく、アスレチックトレーナーですので、身体を使うことにも特化しています。解剖のための解剖ではなく、身体をより良く動かし、ハイパフォーマンスを達成するための視点でも解剖学をされています(先生方の身体はとても綺麗です!サーファーでもありますし)。
で、あったとしても、「まといのば」は特殊です。
「まといのば」の特殊性というよりは、バレエやダンスの特殊性と言うべきでしょう。もしくはMATLAS整體(整体)の特殊性です。
椎体を触ったり、上肢帯を肋骨から外したり、腸腰筋をダイレクトに抜いたり、小転子から大腰筋や腸骨筋を調整したり(トムゆずりに)というのは、やはり一般的にはまだまだ異常なのです。常識外なのです。
そして身体操作に関しても、メンバーのほとんどが綺麗にI字に上がり、ガラケーに前屈ができ、前後開脚ができます。そこに異常な肋骨の操作まで加わります(肋骨で脚を上げるとか)。
何が言いたいかと言えば、解剖学の世界に没入しつつ、ダンスや整体の世界にも軸足を置いておきましょうということです。むしろ解剖実習をすることで、身体の臨場感が一気に上がり、ダンスやバレエが上手になるという相乗効果が理想です。
解剖学の素晴らしさに魂を奪われて、脳と心と身体を固まらないように気をつけて!!
(まあ、固まったところで、本人が望む限りは、僕等が引き戻しますけどー)(でも、気をつけて、知っていれば免疫になります)(ちなみに本気で心配しています。こればかりはやってみないと皆さんの化学反応は分からないので)。
One more thing!
解剖書がなぜ簡単に読めるようになるかと言えば、それは特徴量をつかめるから。
特徴量というのは補助線とか、アリアドネの糸のようなもの。
そのポイントだけを押さえればあとはスルスルとついてくるのです。
その特徴量が何かをMATLASBootCampでは懇切丁寧に教えます。それが見えるようになるまで、徹底的に(というか、すぐに見えると思いますが)。
その特徴量が捉えられると、MATLASBootCamp生は解剖書がすらすらと読めるようになります。面白いほどに。
より難しい解剖書も楽しめるようになるでしょう(中身にもよりますが)。
そのときの心象風景としては、以下のようなものとなります。
すなわち、あまりに抽象度を上げると、複雑な解剖図も点と線で構成されるものとなります。MATLAS図そのものです(MATLAS図はその後も着々と増えていっています)。
そして、解剖書を読むときもその抽象化された図から認識できるのです。しかし、これは抽象化ではなく、厳密さを増しているだけです。MATLASBootCamp生はすべて付着部で理解するようになります(起始停止の付着部の合理的な覚え方はまたBootCampの中で全部やります!!)。
多くの場合、付着部と神経支配と機能を覚えます。特に機能は必須な感じがしますが、機能はあえて覚えません(神経支配は覚えます、しかしそれは特定の神経を操作できるようになるのと同時に覚えます。これが一番強烈に記憶に残るからです)。
機能は起始停止から毎回、演繹するのです。
そうでないと、がんばって覚えた機能に逆に縛られることになります。
たとえば、中殿筋。
機能を単に外転と思ってしまうとミスリードします。
実際に中殿筋は外転筋なのですが、実際の機能は内転しすぎた大腿骨を正常な位置に戻すことにあります。その作用はたしかに外転なのですが、いわゆる外転とは違います。
たとえば、アラセゴンに脚を上げるときに使うのは大腰筋であって、中殿筋で上げたら中殿筋が壊れます。
ですので、起始停止から面倒でも毎回演繹することです。
これが「覚え方を覚える」です。
人体の内側(皮膚の奥)というのは通常は見ることはできませんし、触ることもできません(外科医などでなければ)。
ですから、人体の筋肉や骨の臨場感というものを(それが主戦場の一つであるにも関わらず)解剖書に頼ることになります。それが絵であれ写真であれ、それは二次情報です(僕が「まといのば」以前に使っていた解剖書はすべてが写真で構成されていました)。
ですが、実際に解剖実習に参加して、自分でメスをもってご献体を切る経験をすると、すべてが一変します。
「人体の筋肉や骨の臨場感」を目の前のリアルなご献体を通じて得ることができます(これは解剖実習生には口を酸っぱくして言いますが、ともかく見るだけではなく、良く触ることです。手の感触がすべてだと思うことです。手に目をつけておくようにー)。
そうするとどうなるかと言えば、解剖書の絵なり写真というのは、それはMATLAS図と同じでリアルな解剖のトリガーでしかなくなるのです。
絵から想像するのではなく、絵をもとに自分の記憶にアクセスできるようになります。
これは強烈です。
どんなに素晴らしいヒーラーでも、身体の中をさわる経験はできません(同様に外科医でも検死官でも自由にすべてを見ることもできません)。
その分、大きなアドバンテージとなるのです。
その臨場感をもとに解剖書を見て、旅行してきた街の観光ガイドを再度読むような感慨に囚われると思います。旅行前は良く分からなかったことが、旅行後はファミリアになります。その上で観光ガイドを読むと、より記憶が立体的になります。
同様に解剖実習を経てから、お気に入りの解剖書を開くと、全く違う相貌が見えてきて、本当に楽しいのです。
そして、その楽しさをスプリングボードにもっと我々は飛躍しましょう!!
今月末まで若干名追加募集中です!