「手のひらを太陽に」の作詞がアンパンマンのやなせたかしさんだということに軽く衝撃を受けています。
手のひらを太陽に すかしてみれば
真っ赤に流れる ぼくの血潮
♬ぼくらはみんな 生きている
生きているから 歌うんだ
ぼくらはみんな 生きている
生きているから かなしいんだ
手のひらを太陽に すかしてみれば
真っ赤に流れる ぼくの血潮
ミミズだって オケラだって
アメンボだって
みんな みんな生きているんだ
友だちなんだ♬
(作詞:やなせたかし 作曲:いずみたく)
子供の時分に、実際に手のひらを太陽に透かしてみたことがあります。
そのときの衝撃は非常に大きかったことを覚えています。
ここで、このブログを読むのをやめて、実際に手のひらを太陽に透かしてみましょう(太陽が昇っていればですが)。
そうすると、たしかに「真っ赤に流れるぼくの血潮」が観えます。
血潮というか、血管と血流が真っ赤にあるのを観察できます。
そして思いの外に、太陽光が身体を通過することに驚かされるのです。
自分が不透明だと思っていた身体は実は有色透明であったということが明白になる瞬間です。
恐るべきことです。さすがやなせたかしさん!!
生きているから、生きとし生けるものはすべて友達なんだという論理構成はさすがに子供でも無理があると思いましたが、血潮に関してはショックを受けました。
試してみないと分からないし、知らないと試せないけれど、知ってしまえば後戻りのできない知識ってたくさんあります。
これまで複雑怪奇に見えていたことが、あっさりと別の視点、別の補助線を引くことで、シンプルに見えたり、不可能が可能になったりします(謎解きとか、智慧の輪などと呼んでいます)。
MATLASもこの精神で行きます!
MATLASの背景にあるのは(いや背景ではなく、まっすぐに)解剖学です。
でもその解剖学は「知らないです 人類が」というものかもしれません(まだ知らないだけ。多くの未解決問題と同じく、未来においては知ることになります。ヒルベルト様の言うように「我々は知らなければいけない、我々は知るであろう」なのです)。
しかし、それは解剖学の父であるヴェッサリウスに先祖返りするものだと思っています。
もしくはダ・ヴィンチに!
*ヒルベルトとヴェッサリウスの『ファブリカ』!
「知らないです、人類が。」はヨビノリさん!!!
いよいよMATLASⅢ(オカルト編、密教ヒーリング編!)開催!!
p.s.最近お気に入りなのは、すみでさん!!
20万人おめでとうございます!!!