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Channel: 気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ
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ひとえに弥陀の御もよおしにあずかりて念仏申し候人を「わが弟子」と申すこと、極めたる荒涼のことなり

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ワールドバレエデーのロイヤル・バレエは今年もオルガ先生でした。

 

世界バレエフェスティバルでも最近はずっとオルガ先生がクラスレッスンを担当されています。

 

*日本からは新国立劇場Kバレエ(いや、あらためKバレエTOKYO)も。

今年は10周年だそうです。もうそんなに経つのですねー。

 

オルガ先生がお変わり無く指導をされる姿に感動します。

 

 

個人的な話で恐縮ですが、以前、オルガ先生がご自身でバーレッスンをしているのを拝見したことがあります。レッスン指導ではなく、セルフレッスンです(そんな言い方があるのか?)。ダンサーがウォームアップするときに、ひとりでバーレッスンをすることがありますが、そんな感じです。

ご自身がレッスン指導される前に、バーレッスンをお一人でなさっていらっしゃいました。

 

その姿が非常に美しかったのを昨日のことのように思い出します。

本当に5番も1番もしっかりとアンディオールして、きちんとポジションに入っていて、たしかにお手本のような脚の美しさでした(当時から胸椎は強く屈曲していました)。

これだけ美しければ、厳しく指導しても仕方ないよねーと当時は思ったりしていました。

 

ヒーリングも同じでしょうが、プロになって思うのは基礎の大事さです。

「基礎の大事さ」と言っても、アマチュアの時の視点とプロになってのそれとは全く違います。いや、言葉の上では同じですが、感触が違うのです。そもそも視点が全く違うのです。

 

よりシンプルになり、より楽しくなり、より難しくなります。

 

複雑さや教条的な感じがなくなり、シンプルにロジックだけになります。

 

この話をするときにいつも思い出すのは、かつての大バレリーナ(おそらくロシア系?)がアマチュアの世界でのバレエの話や規則というかそういうものを聞いて「そんな複雑なこと、、、、私にはできないわ」と言ったとか、言わないとか、そんな逸話を思い出します。

(個人的に思うのは、ある国が政府として戦闘行為に入っていることと、その国のバレエ団の活動は切り分けて考えるべきだと思います)

これに近い感触は「楽譜は読めるかい」です。

c.f.『楽譜を読めるか』って聞くと、『演奏がダメになるほどは読めないよ』って答えるんだ(笑) 2021年02月24日
c.f.『楽譜を読めるか』って聞くと、『演奏がダメになるほどは読めないよ』って答えるんだ。 2021年04月22日

 

その感触をヒーリングでもバレエでも伝えたいと思うのですが、非常に難しいのだなと、ここ10年思っています。

 

だからこそ、いま「まといのば」ではギルドを意識的にレベルアップすることに注力しています。ここ10年くらい注力しています(開業コーチングなどと称していた頃からですね)。

 

師弟関係はきわめて大事ですが、それはきわめて暴力的な内部表現の書き換えとなります。暴力的というのが適切でなければ、介入的と言い換えても良いでしょう。それはそれでとても大切ですし、もちろんギルドにおいても必須です。その感触は映画「All you need is kill」の「死ぬの。死ぬ度にスキルアップする」が近いように思います。命懸けでトライして、そして死ぬ。死ぬたびにスキルアップする、と。

c.f.自分の最大の敵は自分自身〜どんな歩みにも意味がある(ミッション・インポッシブル/フォールアウト) 2018年08月17日

c.f.「このループを抜け出すには?」「死ぬの。死ぬ度にスキルアップする」〜目覚める・戦う・死ぬ〜 2022年08月27日

 

まさに「一粒の麦もし死なずば」です。

 

毎回リセットされてしまうのですから(毎プランク秒ごとに)、その瞬間を全力で生きて燃え尽きて、次世代に(よりホンモノの自分に)理想を受け渡すしかないのです。

c.f.気功師養成スクール9期はアルケミア(錬金術)”一粒の麦もし死なずば” 2015年01月24日

c.f.祝10年!!〜 一粒の麦もし地に落ちて死なずば、ただ一つにてあらん、死なば多くの実を結ぶべし 2020年07月29日

 

本質的には師弟関係というのは特殊なマン・ツー・マンの関係であり、ギルドの基本も親方と弟子が基本です。でも副次的に存在する仲間の存在はありがたいものです(とは言え、「まといのば」のスタンスは親鸞と同じ。弟子は一人も持たずです。なぜなら全てお釈迦様の仏弟子であり、同門という感覚だからです。いや、龍樹クラスですと、お釈迦様もまた先輩となるのです)

 

親鸞は弟子一人(いちにん)ももたず候(そうろ)ふ

 

 

専修念仏の輩の、「わが弟子、ひとの弟子」という相論の候らんこと、もってのほかの子細なり。

親鸞は弟子一人ももたず候。

そのゆえは、わが計らいにて人に念仏を申させ候わばこそ、弟子にても候わめ、ひとえに弥陀の御もよおしにあずかりて念仏申し候人を、「わが弟子」と申すこと、極めたる荒涼のことなり。

つくべき縁あれば伴い、離るべき縁あれば離るることのあるをも、「師を背きて人につれて念仏すれば、往生すべからざるものなり」なんどいうこと不可説なり。(歎異抄第6章)

この親鸞の言葉は祖父が大変に好きで、よく繰り返していた言葉でした。

 

僕らに置き換えるのであれば「弥陀の御もよおしにあずかりて念仏申し」の部分が「T理論の御もよおしにあずかりてメンタリング申し、、、」とでもなるのでしょうか(あ、そう言えばT理論の背景にあるのは釈迦原理主義でした)

 


平たく言えば、教師が言っても伝わらないことでも、仲間から指摘されると伝わるのです。

いや、仲間の姿を観ていると、自分が変わっていくのを感じるのです。厳密には仲間が成長していくの虚心に喜べると(そもそもその空間において、仲間と私に区別はありません)、その成長なるものが自分の中に入り込み、自分の中でも育つのが分かるのです(←またオカルトチックな表現)。

 

平たく言えば、「門前の小僧習わぬ経を読む」です(そうなのか?いや、そうなんです)。

 

そんなわけでもう門は閉まりましたが(いや、だいぶ前から開いていませんが)、トンネル効果を狙って壁をすり抜けてください(すり抜ける方法はシンプルです。2次元方向をひたすらに探し回るのではなく、一つ上の次元へ)。その方法もシンプルです。ゴールを現状の外に設定し、外れたスコトーマから機会の通り道をひたすらに探すだけ。その異世界転生のお供にこのブログは役立つかも。

 


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