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Channel: 気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ
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諸君、これは断じて奇跡などではない! われわれの強固なる意思が わずかな可能性を現実としたのだ

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ヒーリングにしても、メンタリングにしても、我々がやろうとしているかつて「内部表現の書き換え」と呼んでいたものは、個人プレーではなくチームプレーです。個人プレーのように見えますが、実際はチームプレーです。

たしかに個々の事象を観れば、そして個々のセッションのことを考えると、ヒーラーなりメンターなりコーチがそれぞれのクライアントとマン・ツー・マンで向かい合っているので、個人プレーに見えます。個人が個人に向き合って、施術をしたり、書き換えをしたりして見えます。しかし実際はチームプレーです。

 

まず第一にクライアントさんとの関係は超長期的です。一回のセッションで終わるわけでもなく(半年の契約で終わるわけでもなく)、その関係は理想的には生涯に渡ります。

第二に、自分の手の負えないケースを自分の仲間や自分のメンターに相談したり、引き継いだりするケースがあります。

 

第三に、、、

 

いや、そういうことじゃないんですよね。

 

関係が長期的とか、チームでカンファレンスするとかじゃなくて、、、、

 

ヒーリングとかメンタリングが効果を発揮するのは、マン・ツー・マンでセッションするからではないのです(いや、別にグループコーチングとか、グループカウンセリングをしろということでもなく、それも悪く無いのですが)。

 

結局、クライアントが見えないギルドに加入すること、もしくはコミュニティーに入るからこそ、クライアントにコミットができて、クライアントが変化するのです(我々の言葉で言えば、転生するのです)。

 

共同体が書き換えるのです。というか、ある人の加入と、その人のゴールによって、共同体そのものが書き換わるのです。そして双方向的にその構成員も変わるのです。

 

One for all, All for one(一人は皆のために、皆は一人のために)

 

の精神です(そうなのか?笑)。

 

(内向きのメッセージですが、RaySalonにおいて、その精神を端的に表しているのが、カンファレンスであり、アジェンダです。「なるほど!」と納得できるセラピストがいると思って書いています)

 

もう少し整理しましょう。

 

あるクライアントが自分では到底成し遂げることができないと感じる圧倒的なゴールを見てしまったとします。そのクライアントさんはそのゴールに魅入られてしまい、その現状の外のゴールをどうにかして叶えたいと思って、あなたのセッションの門を叩きます。

そして、もちろんあなたはセッションをするわけです。

そして、もちろんその人はほどなくして、そのゴールを叶え、そしてまた次のゴールをあなたと一緒に設定します。

 

そのときの奇跡や魔法の源泉とは、狭義にはあなたのセッションですが、広義にはあなたが所属しているコミュニティーにあなたのクライアントが接続されたからこそ、あなたのクライアントはBoot(起動)したのです。そして、我々個人というのは幻想にしかすぎず、我々は共同体というリヴァイアサンの影の1つでしかないことに気付きます。

 

気功技術がなぜか効くのも、なぜか難しい理論を解説できるのも、これまでできなかった奇跡ができるのも、共同体という不可思議な存在がそのカラクリの中心です。それを臨場感空間と言い換えても良いでしょう。

 

だからこそ、施術というのは孤独な個人プレーに見えて、その実、仲間と協力しあうチームプレーなのです。チームプレーと聞くとなぜか脊髄反射に「社会的手抜き(リンゲルマン効果)」が発火してしまうという人はチームの外です(←これ大事、これ警告)。

 

これらはなかなか直感的ではないでしょうし、なかなか理解できないでしょうから、そのままEchoして欲しいと思います(そのまま文字通りまずは受け取って欲しいと思います)。

 

その上で、本題は何かと言えば、このようなチームプレー(正確にはCorrective Efficacyにおいて)、明らかに邪魔なのはエゴであり、競争のような古いパラダイムです(ピーター・ティールを参照して)。

競争が存在しないところで、勝手に競争し、個人が存在しないところで勝手に個人を主張し、エゴが邪魔しかしないところで、Echoではなくエゴを全面に出すのは、チームプレーの逆です。平たく言えば、敵対的行為です。正確にはネガティブラポール。

 

オーケストラを演奏している舞台本番に、「私は本当は別な曲を弾きたかった、なぜなら、カクカクシカジカの理由による」と長々と話し始めるようなものです。

 

僕らは多細胞生物の細胞の1つのようなものであり、ホッブズの言うリヴァイアサンの構成員の1つです(そう言えば、「沈黙の艦隊」ではリヴァイアサンがテーマでした。潜水艦と海の怪物=神としてのリヴァイアサンという連想は非常に面白い。もちろん表向きは国家が、特にアメリカがリヴァイアサンなのですが、裏には「Yamato」がリヴァイアサンです)。

 

諸君、これは断じて奇跡などではない!

われわれの強固なる意思が
わずかな可能性を現実としたのだ。

(今回の映画には出てこないセリフですが、原作の有名なセリフ)

 

 

そのときに同じ志を共有し、チームの仲間を助け、そのときのリーダーに絶対服従するというのが最低限のルールです(「そのときのリーダー」という表現に躓いて欲しいのですが、これは大昔から言っている米軍型、アメーバ型というものです。「全員がリーダー、しかしリーダーは一人」というなぞなぞを解いてください。本当に全員がリーダーだったら、「船頭多くして船山に登る」状態に陥ります)。

 

 

そのようなチームにあって、構成員がエゴを発揮し、自分を押し出し、わざとネガティブラポールを試したくなるような幼児性(もしくは悪魔性)を発揮される場合は(もしくはそれを意図するなら)、それは排除せざるを得ません。

そういう火遊びはご自身の水たまりでやってください。

その火遊びをやり続けた人生で、周りが見て見ぬふりしてくれたからこそ、いまだにのびのびとやっているのでしょう。そして見て見ぬふりしている周りの人間も次第に一人また一人と離れているから、今の人生があり、そしてそのまま人生のチャンスも周りの人間の数と熱意も減衰していきます(でも、本人は茹でガエルのように気付かない。そして、もちろん誰も火中の栗を拾わないので、指摘しない。僕のように役割として指摘すると「飼い犬に手を噛まれる」←これは不適切な表現なのかな)。

 

これは比喩ではなく、教訓でもなく、警告です。

 

これすら読解できないならば、我々と別な道を歩けば良いと思います。いや、別な道へ行かざるを得ないのです。我々は「行かなかった道」(The road not taken)を歩きますので、お好きならば、踏みならさられた道をどうぞ。


c.f.【バレエ】先生からそれはダメだと言われました。 2012年05月17日
c.f.森の中で道が二つに分かれていた。そして私は人があまり通っていない道を選んだ。そのことがどれだけ 2018年09月06日
c.f.ずっとずっと昔、森の中で道が二手に分かれており、私は踏みならされていない方の道を選んだ(フロスト 2019年10月01日

 

私はいま、昔のことを思い出し、ため息をついた

ずっと昔、森の中で道が二手に分かれていた

そして私は、人が通らない道を選んだ

そのためにどんなに大きな違いができたことか(ロバート・フロスト『行かなかった道』)

(*わからないものだね、この詩は人生を振り返っているようで、未来に視点を移動して、現在を見詰めていると読めるということも)

 

 

【ランキング御礼】
今度はMくんとワンツーフィニッシュでした(記事ランキング2位、総合ブログランキング5位)
1位はMくん。お見事です!
c.f.あんなに残酷じゃなくてもいいんじゃないか、あんなに騒動ばかり求めなくてもいいんじゃないか 2023年10月12日 テーマ:講座案内 公式ジャンル記事ランキング:整体・リラクゼーション2位

1位はMくん!
c.f.【フィードバック】自分がとても魅力的に見えます。〜「あなたは、光の中で大人になっていく」〜 2023年10月11日 テーマ:気功ブログ 公式ジャンル記事ランキング:整体・リラクゼーション1位TMダイエット


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