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Channel: 気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ
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狂っているのは我々自身ではなく集団。 しかしその狂気を内面化してしまったら、我々も狂う。

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機会の通り道というのは狭く朧(おぼろ)げで、通ることは不可能なようなものです。

 

でも、我々はそれ以外の道は存在せず、その頼りない、闇へ真っ逆さまに落下しそうな細い道、細い糸こそが、我々の生きる場所です。

 

やり方見つかったらそれは現状の中というのは事実です。なんとなくこれならうまくいきそうだけど、冷静に考えたら、絶対無茶に思える、針の穴をラクダが通るようなものこそが、機会の通り道です。

(逆に、良いやり方が見つかったら、それを秒で実践していき、そしてずっと実践していくという習慣は大事です)

 

*我々が砂漠を愛するのは、プラトン的だからです。それは単調であり、複雑さがなく、シンプルです。でも、それはカントの言う「永遠の平和」(墓場)です。

c.f.無から何を引いても無である。しからば。。。0−4=0である。。。のか? 2014年09月26日

    

あのアプリオリを定義したカントですら「永遠平和のために」という書物のタイトルは単なる風刺であったことを想起すべきでしょう(この「永遠平和のために」という言葉がオランダの食堂にあった看板のタイトルであり、その挿絵は墓場であったことをカントは言及しています。洒落ています)。

 

 

僕らは怠惰なので(←褒めています)、やり方が見つかっただけで安心して、そこに居座ってしまう傾向がありますが、やり方が見つかって安心したら、ゴールを更新しましょう。

 

ちなみにゴールに関しても、我々の直感と理論はいつもながらあべこべです。真逆です。

 

天動説と地動説の話を毎回持ち出して恐縮ですが、我々の直感は太陽が動いていると考え、理論は不動の大地こそが宇宙空間をダンスしていると考えます。

 

これがパラダイムシフトであり、パラダイムシフトとは天と地がひっくり返ることを指します(←比喩です)。我々の物事の考え方が真逆であることを知るのが多くのパラダイムシフトの特長です(パターンとまでは言いません)。

 

ゴールに関しても、一つのゴールを定めて、そこに一意専心するのが良い気がしてしまいます。

 

集中せよ


Focusせよ

と自分を鼓舞してしまうでしょう。

 

 

「まといのば」でもFocusというのは繰り返し使っています。ただ、一つのゴールに執着せよとは言っていません。いや、言葉で言うのは難しいので、グラフ(図)を用いたくなります。

 

シンプルなアドバイスは「複数のゴールを持て」ということです。

コーチングの元祖であるルー・タイスの教え通りです。これは目標でも、偉大なソビエトの五カ年計画でもありません。

「止められてもどうしてもやりたいこと」を複数持てということです。

 

我々の脳はナシーム・ニコラス・タレブが指摘するように、プラトン的です。イデア論的です。

c.f.感謝祭には七面鳥ならぬブラック・スワンでもいかが? 2016年06月27日

    
前に、私たちは生まれつき、やたらとプラトン化しがちで、研究の進んだところに頼ってものごとを考える傾向があると述べた。レンガ職人でも自然哲学者でも、この傾向から簡単に逃れられる人などいない。偉大なガリレオだってそうだ。ほかの場面では間違った考えを叩き潰した彼でさえ、こんなことを書いている。

 自然が書いた偉大な本は、私たちの目の前ずっと開かれている。まことの哲学がそこに述べられている・・・(中略)・・・しかし、まず使われている言葉や文字を学ばないと、読むことはできない・・・(中略)・・・使われている言葉は数学であり、文字は三角形や円といった幾何図形である。

 ガリレオは、法的に目が不自由な人だったんだろうか? あの偉大なガリレオでさえ、あれだけ独自の考えを持てる人だと言われいるのに、母なる自然をはっきり見ることができなかったのだ。彼の家にも窓があっただろうし、彼はそこから四六時中外を見ていたに違いない。自然の中に三角形なんて、そうあるもんじゃないとわかったはずだろうに、と思う。これほど私たちは簡単に洗脳されてしまうものなのだ。
 私たちは見るのに不自由か、読むのに不自由か、その両方かのいずれかだ。自然の幾何はユークリッドの幾何ではない。こんなにはっきりしているのに、誰にも、ほとんど誰にも、それが見えない。
 こういう(物理的な)見えてなさは、ランダム性と言ってカジノを思い浮かべるお遊びの誤りとまったく同じだ。
(pp.156-157 ナシーム・ニコラス・タレブ「ブラック・スワン」下巻)

 

 

 

だから、一つのゴールを追い求めることを自分に課して満足します。

でも、それは意識の上での話です。

我々の主戦場というか、我々の本当の(情報空間を移動する)モーターは無意識です。

意識は意図することにフォーカスしましょう。実際に機織りをしてくれるのは、開けてはいけない襖(ふすま)の向こうです。もしくは靴屋のこびとたちが真夜中に。それをある哲学者は「その仕事を地下で続けよ」と言いました。ただ、意識で徹底的に考え抜いたあとに。

c.f.ものすごく集中的に数時間ないし数日間考え、その期間の終わりに「この仕事を地下で続けよ」と命令する 2022年04月07日

 

たとえば、私がある相当むずかしいトピックについて書かなければならないとする。その際、最上の方法は、それについて、ものすごく集中的に――それこそ私に可能なかぎりの集中力をもって――数時間ないし数日間考え、その期間の終わりに、いわば、この仕事を地下で続けよ、と命令することである。何か月かたって、そのトピックに意識的に立ち返ってみると、その仕事はすでに終わっているのを発見する。

バートランド・ラッセル 『ラッセル幸福論』

 

自然は複座系であり、脳もまたその自然の一部です。そして脳という臓器は他の臓器と同様に、いや他の臓器以上にネットワーク化によってブートするようにできています。人はパンのみに生きるにあらずなのです。自分の身体のスペアを作っておこうと思い、in vitro(試験管の中)で自分のクローンを培養しようとしても、受精卵はできても、何年も成長させることはできません。ネットワークに接続し、そのスペアが自我を持たないと、健全な肉体として成長できないのです。

 

c.f.狂気は個人にあっては稀有なものである。だが集団、党派、国家、時代にあっては通例である(ニーチェ) 2019年03月01日

 

    

これらが受け入れられるか否かではなく、慣れることです。

未来からのプレッシャーはもっと大きく、これくらいを試金石にしていてはいけないと迫っていると

本人たちの自由ですし、当然ながら同性婚などは政府のシステムとして可能になるべきなのです。

 

それ以上に受け入れるのが難しいけれども、受け入れなければいけないであろう未来はクローンです。セミナーでも紹介した映画です。

 

クローンとして、オリジナルの人間の臓器提供者として育てられる子どもたちの物語です。

正しいか否かではなく、倫理的にどうこうではなく、まず慣れてしまって、そのあとに考えるべきです(システム1で拒絶したら、システム2で考えようがないので)。

 

そして、もし我々がこのクローンの物語を拒絶するならば、その向こう側では、実際に人身売買があり、臓器売買が公然と行われているにもかかわらずそれを認めることを拒絶しかねません。

 

 

狂っているのは我々自身ではなく、集団なのです。

しかしその集団の狂気を内面化してしまったら、我々自身も狂うのです。

 

人間がネットワークという複座系の産物であり(自然の一部なので当然ですが)、脳がそうであるように、ゴールという情報空間の複座系の産物もまた複座系の申し子なのです。一つだけではブートしないのです。

 

これで終わるつもりでしが、蛇に足を書き足します。

 

ゴールが複数であることに良さは、他のゴールで外れたスコトーマがこちらのゴールの機会の通り道を示してくれることが往々にしてあることです。というか、それしかないのです。


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