目というような精密なレンズが漸近的に突然変異と自然淘汰でゆっくりと長い時間をかけてできたとは到底思えない、という意味のことを書いたのはチャールズ・ダーウィンでした。
ああ、でも、僕らは最後まで文章を読む癖をつけないといけません。
僕がこの一節を聞かされたのは、たしかChurch of Jesus Christの若きPriestたちからだったように思います。
彼らもそうですし、そして一部の科学者であってもそうですが、彼らは政治的に目が不自由なのでしょう(とある方がダーウィンですら、眼の完成度と複雑性には音を上げて、弱音を吐くと書いていて腰を抜かしました)。その極端に完成度が高く複雑な器官をきちんと文字を読むことに費やせばそんな恥を書くこともなかったのに。
ダーウィンは弱音を吐いてはいません。代弁をしただけです。それはスピリチュアリズムや宗教者たちの批判を先んじて代弁して、即座に反論しているのです。
目が突然変異と自然淘汰でできたと考えるのは、「率直に言ってしまうと、この上なく非常識に思える。」と言った舌の根も乾かぬうちに、ダーウィンはその考えを批判した上で、
完璧で複雑な眼が自然淘汰の作用によって形成されると信じることは、想像しがたい点はあるにしても、それほど非現実的なこととは思えない。これは理性的な判断なのだ。
と書き募っています。
きちんと本文を読みましょう。
そして、本は本とEcoSystemを形成するのです。
ある一節を理解するためには、その段落全ての読解が必要であり、その段落を理解するためにはその章全体の理解が必要であり、その章全体を理解するにはその本全体の理解が必要です。
そしてある一冊の本を理解しようとしたら、他の本が必然的に必要となるのです。
『薔薇の名前』からお馴染みの一節を引きます。
c.f.薔薇の名前(Il Nome della Rosa) 2015年02月15日
「なぜですか? 一巻の書物が述べていることを知るために、別の書物を何巻も読まなければいけないなんて?」
「よくあることだよ。書物はしばしば別の書物のことを物語る。一巻の無害な書物がしばしば一個の種子に似て、危険な書物の花を咲かせてみたり、あるいは逆に、苦い根に甘い実を熟れさせたりする。アルベトゥスを読んでいるときに、後になってトマスの言うことが、どうして想像できないであろうか?あるいはトマスを読んでいるときに、アヴェロエスの言ったことを、どうして想像できないであろうか?」
「そうですね」私は関心してしまった。そのときまで書物はみな、人間のことであれ神のことであれ、書物の外にある事柄について語るものだとばかり思っていた。それがいまや、書物は書物について語る場合の珍しくないことが、それどころか書物同士で語り合っているみたいなことが、私にもわかった。 (p.52 『薔薇の名前』下巻)
いやEcoSystemとはネットワークであり、それは弱肉強食のネットワークでもあります。そこで勝ち残ったのが古典です。
弱肉強食と言えば、戦争。
戦争と言えば地政学。
地政学と言えばマッキンダー。
c.f.今も残る陰陽師の行事としての節分(追儺)とマッキンダーから観る微生物の均衡関係 2017年04月08日
c.f.名古屋に「くるみ割り人形」を観に行きます!! 〜第3次世界大戦の足音〜 2015年11月28日
A balanced globe of human beings. And happy, because balanced and thus free.
(全人類の生活が均衡に達したとき、はじめて幸福な世界が生まれる。均衡(バランス)こそ自由(フリーダム)の基礎である。)(マッキンダー)
ちょっと話が逸れました。
最初に戻りましょう(何度でも繰り返しましょう)。
目というような精密なレンズが漸近的に突然変異と自然淘汰でゆっくりと長い時間をかけてできたとは到底思えない、という意味のことを書いたのはチャールズ・ダーウィンでした。
ああ、でも、僕らは最後まで文章を読む癖をつけないといけません、と上記に書きました。
実際に、この文章のあとに「しかし」が続きます。
ルー・タイスもそうですが、「しかし」の後には注目しなくてはいけません。逆に「しかし」の前は読み流すべきです。そもそも逆説ですし、「しかし」の後が主張なのですから。
で、しかし、それはそうなのだ、とダーウィンは言っています。
目の前駆器官ですら、それは役に立つのです。盲目の国では(頭頂眼などであっても)光が少しでも感じられれば王なのです。
同様にダーウィンの晩年の最後の研究と著作から一節を引きます。
こう言っています。
鋤は人類が発明したもののなかで、もっとも古く、もっとも価値のあるものの一つである。
しかし、これを文字通り受け取ってはいけません。なぜなら、この直後に「しかし」が出てくるからです。
鋤は人類が発明したもののなかで、もっとも古く、もっとも価値のあるものの一つである。しかし実をいえば、人類が出現するはるか以前から、土地はミミズによってきちんと耕され、現在でも耕され続けているのだ。(チャールズ・ダーウィン『ミミズと土』)
ダーウィンがそこまで意識していたかは不明ながら、結論はシンプルです。
土を耕作しつくした文明は消滅する。
四大文明という古い言い方の跡地は全て砂漠です。
ちなみに、こちらのドキュメンタリーには、その砂漠(黄河文明)の一つを緑地化した素晴らしいプロジェクトが紹介されています。
なぜなら文明が砂漠化をもたらすというよりは、耕作が砂漠化をもたらし、文明を消滅させるからです。
おおまかに言って、多くの文明の歴史は共通の筋をたどっている。最初、肥沃な谷床での農業によって人口が増え、それがある点に達すると傾斜地での耕作に頼るようになる。植物が切り払われ、継続的に耕起することでむき出しの土壌が雨と流水にさらされるようになると、続いて地質学的な意味では急速な斜面の土壌侵食が起きる。その後の数世紀で農業はますます集約化し、そのために養分不足や土壌の喪失が発生すると、収量が低下したり新しい土地が手に入らなくなって、地域の住民を圧迫する。やがて土壌劣化によって、農業生産力が急増する人口を支えるには不十分となり、文明全体が破綻へと向かう。同様の筋書きが孤立した小島の社会にも、広大で超地域的な抵抗にも当てはまるらしいということは、本質的に重要な現象を示唆する。土壌侵食が土壌形成を上回る速度で進むと、その繁栄の基礎ーーすなわち土壌ーーを保全できなかった文明は寿命を縮めるのだ。(『土の文明史』)
農業革命が詐欺だとか何とか言うまえに、僕らは自分の目の梁を取り除かなくてはいけません。
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c.f.
ちなみにそこからするとIT革命の立役者である一人の天才は、テクノロジーに嗜癖しすぎなのか、浅はかなのか、それとも大きな陰謀の絵の中にあるのか。