Quantcast
Channel: 気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ
Viewing all articles
Browse latest Browse all 3544

蛇が草の香に惹き寄せられた [それは水から]出てきて、草をとった もどって来ると抜殻を生み出した

$
0
0

空の数学的定義をしっかり行ったあとですら、自分自身の実体が「空」であることは認め難いものです。

しかし、我々の構成要素は原子であり、素粒子であるように、超弦であるように、生命素粒子であり、そしてそれらの存在は全て「空」に包摂されていきます。

ですから、空なる存在が(と言って良いのかは別として、空は存在ではないので)、空なる世界に機能を持たせようとして、生み出すのがこの現実です。

そしてその根拠となるのが、超情報場の最小単位である(超情報場のプランク定数とも言うべき)生命素粒子ということになります。

 

その上で、その生命素粒子のオーダーでドミノを倒しましょうという無茶な話が今回のテーマでした。1プランク長サイズのドミノから倒すようなものです。

 

もちろんこれは実現不可能なものですが、気概だけは持って、そのサイズからスタートしようと意図することです。限界まで小さくしようとします。

 

なぜドミノを小さくしたいかと言えば、そこにはウロボロスの蛇があるからです。

 

寂しいから創った宇宙というのは、ビッグバンをビッグクランチが創ったというウロボロスの蛇構造があります。終わりが始まりの原因であり、始まりは終わりの原因となります。宇宙は閉じた系なのです(ただし決定論ではなく、もちろん非決定論です。永劫回帰しても毎回、量子ゆらぎのために変わってしまうのです)。

近視眼的に見ると、宇宙は因果律に従っていますが、俯瞰してみると、宇宙は双方向的であり、そして原因と結果がウロボロスの蛇のように連なっています。

 

輪廻の蛇とはプレデスティネーション。

 

 

ビッグバンという(インフレーション宇宙論はさておき)宇宙の開闢を誰が観たのかと言えば、私が観たというのがT理論です。

 

昨日の自分と今日の自分には明らかな断絶があります。次元の断層があり、連続性はありません。ただ情報的なコピー関係があるだけです。スター・トレックのBeam me upのように我々は情報を読み取られて、他の世界へ転送されているだけの存在です(それが時間の離散性です)。

でも、僕らはなぜか縁起が継続するゆえに、昨日の自分と今日の自分、今日の自分と明日の自分を同じ自分だと考えるようになっています。

であれば、宇宙最後の自分も縁起が継続しているがゆえに、それもまた自分です。

そして我々の身体の原材料となる放射性廃棄物を放出した星たちも我々自身です。

だからこそ、現在の私とビッグバンと宇宙最後の私は、カジュアルに昨日の私、今日の私、明日の私というくらいの軽やかさで同じと言えます。

 

ただ、その帰結を敷衍させるとプレデスティネーションも真っ青になるほどに、登場人物は全部自分となりますが。

 

最も巨大なドミノが最も小さなドミノを倒して、宇宙をまたゼロからスタートさせるのです(途中でアップルパイも創っちゃいます)。

 

 

このウロボロスの蛇のように始まりと終わりがつながっている円環の理なドミノの列を考えると、我々はいつが始まりでいつが終わりか分からなくなります。いや、そうじゃないのです。始まりも終わりもなく、永遠の現在があるだけです。ドミノは倒れており、かつ倒れていないのです。それをネッカーの立方体のように同時に2つ観ることが肝要です。

ですから、理想の未来のゴールをすでに達成したと思いなさいとか、アファメーションは現在形で書けというのは、理にかなっているのです。すでに、達成しているのです。


理論は面白いですし、多くの謎が解けると思いますが、それよりも大事なのは、そして真に大事なのは実践です。

 

 

たとえば、ドミノというのは逆ベクトルを時間軸方向に並べた表現型でしか無いという話を導入しました。上がって下がってを繰り返しながら、一歩一歩上がっていくイメージです。

ピストン運動を繰り返し、永遠の静止をしながら(ファインマンのロケット)、行きたい方向へにじりよっていきましょう。

 

小指に対して、たとえば仙髄ドミノを仕掛けるときに、意識的に小さくします。いや、小さくというか、ゼロにします。完全にゼロにした状態から、1.1倍していきます。ゼロに何を書けてもゼロですが、気にせずに掛けてください。

それはゼロではなく、最小単位だと思えば、急に大きくなります。

110%ずつ拡大していくのは、10%だとホメオスタシスのチェックをスルーできるからです。徐々に変化すると、茹でガエルになるのです。

1.1のn乗です。ここにも指数関数が登場します。我々の世界はたかだか2つの数式で記述されます。一つはベルカーブ(ガウス分布)、もう1つがべき乗則です。ロングテールですね。ただ、ロングテールにブラック・スワンが住み着いています。

 

この小指に対する仙髄ドミノがうまくいったら、自分に対してきっちり逆ベクトルを仕掛けながら、習得することです。

大事なのは理論ではなく、実践です。

実践ができて初めて、理論が入ってきます(そうなじゃない場合もありますが)。

 

 

今回はグノーシス神話を生命素粒子と空から検討し直しました。

そうすると非常に示唆に富んでいます。

 

 するとギルガメッシュは水が冷たい泉を見た

彼は水のなかへ降りて行って水浴をした

蛇が草の香に惹き寄せられた

[それは水から]出てきて、草をとった

もどって来ると抜殻を生み出した 

そこでギルガメッシュは坐って泣いた

彼の頬を伝って涙が流れた

[彼は]船頭ウルシャナビの[手を取って言った]

「だれの[ために]ウルシャナビよ、わが手は骨折ったのだ

だれのために、わが心の血は使われたのだ

私自身には恵みが得られなかった

大地のライオンに恵みをやってしまった

(ギルガメッシュ叙事詩285-295、ギルガメッシュ叙事詩pp.135-136)

c.f.ギルガメッシュとディアーナは水が冷たい泉を見た 水のなかへ降りて行って水浴をした

c.f.【追加開催決定!!】寺子屋「シュメールの奇跡」は圧倒的なボリュームで開催します! 2016年05月18日

 

 

 

切々たる内容であり、これで幕切れなのですが、実はこれは予想されたことで、実はギルガメッシュ叙事詩の冒頭はギルガメッシュ王がどれほど賢いかが書かれています。

ということは、フレーザーのバナナ神話を思い出すまでもなく、最初のドミノから最後のドミノは決まっていたことが分かります。

智識の実を選んだものは、不死の実を食べれません。
頭の良いギルガメッシュは不老不死は手に入らないのです。

 

冷たい泉にディアーナを思い出し、水の中に降りて行って水浴ををするところは、鏡の国へ入っていくアリスのようです。

 


そして蛇は輪廻の蛇だけではなく、ウロボロスの蛇でもあります。仏教では神様のお使いであり、仏説の冒頭は蛇の書です。
西洋では龍となり、ドラゴンとなり、悪魔の化身です。哺乳類は蛇に丸呑みされていた恐怖が遺伝子に刻印されているので、蛇のカサカサ音でギャーッと逃げるように脳がデザインされています。

 

エデンの園では、イブをそそのかし、アダムを騙した蛇が、今回は不老不死の草を食べるというのも面白いです。

 

その意味でギルガメッシュ叙事詩は非常に面白いメタファーにあふれているのです。「薔薇の名前」ではないですが、本は本と会話しはじめます。神話は神話と話し合うのです。その感触が掴めたかと思います。

 

とは言え、その面白さを胸に、ひたすらに実践しましょう!

それも小さい小さいものを。


Viewing all articles
Browse latest Browse all 3544

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>