情報空間に対してメタファーとして、位置エネルギーとか重力という物理空間の用語を使うことはよくあります。
物理空間は情報空間を包摂するのに、なぜ物理空間のことを情報空間のメタファーに使うのでしょう。
これは単純な理由によります。
すなわち、物理空間のことを僕らは良く知っていると思っているので、逆に情報空間のことを何も知らないと思いすぎているので(もしくは勘違いして、知っていると妄想しているので)、物理空間をメタファーとします。
位置エネルギーや重力場をどう情報空間のメタファーとするかと言えば、たとえば抽象度が高いと物理空間という地面にまで落としたときにポテンシャルエネルギー(位置エネルギー)が運動エネルギー、そして熱エネルギーに変わるという話です。すなわち、抽象度の位置エネルギーですね。抽象度が高ければ高いほど、情報空間のエネルギーが大きいのです。情報空間のエネルギーとは、情報場の移動のエネルギーです(かつてであれば書き換えのエネルギーと言われていたものです)。
近視眼的になっている人よりも俯瞰している人のほうが問題を解決できることがあります。これが情報空間の位置エネルギーです。
また、重力というメタファーもよく使います。
情報空間で置き換えると重要性関数です。
ただこれも重力ということをしっかり理解していないと厄介です。
まだ第一段階はニュートンです。すなわち、万有引力としての重力です。
第二段階はアインシュタインです。すなわち、空間の歪みとしての重力です。
ダンボール箱のようなものにゴム膜を張ってその上にビー玉を置くというのは、かつて寺子屋でもやりました。
2つの物体がフラットな平面上で近づくのは「不思議な遠隔力」ですが、ゴム膜であれば、それぞれの空間のゆがみが必然的に2つの物体を近づけます。
これが直感的な「重力とは空間のゆがみ」ということの説明です。
もし点と線で描こうとするならば、空間をまずは1次元で描いてみると良いかも知れません。
と言葉で書いても、なかなか意味不明なところがあるので、昔の寺子屋(というセミナーシリーズ)で使った模型とかを探そうと思ったのですが、、、、、きっと誰かがYoutubeで解説してくれると思って、検索したら良い動画がありました。
Youtubeより
ただ、このゴム膜の説明はよく用いられていますが、より本質的な問題をはらんでいます。すなわち、重力を重力で説明しています。ゴム膜がゆがむのは重力のせいなので。
重力で重力を説明するという自家撞着をはらむのがこの問題の深刻な点です。
まあ、そうであっても空間を膜として考え、空間が歪むということを鮮やかに説明はしているのですが。
ですので、ここまで理解できたら、第3段階に移動したいのです。
それが量子力学というか、量子電磁気学というか、ファインマン先生です。
ファインマン先生は幾何学のみを用いて、この「不思議な遠隔力」がいかに不思議ではないかを説明されています。
こんな説明です。
たとえば、ある任意な点から双子の兄弟が直角の方向に向かって歩き始めるとします。山を超え、谷を渡り、海も渡って旅をしていきます。
すると、二人は最初はどんどん離れていきます。
当然です。片方は東へ、片方は南へ向かっているようなものなので(直角の方向)、離れていきます。
ところが、旅の後半になると二人は「不思議な遠隔力」によって、引き付け合っているかのように近づいていきます。二人は真っ直ぐに歩いているのに、引き寄せあってしまうのです。
そして最後には、スタート地点と真反対の場所で落ち合うことになります。
なぜかと言えば、これは地球が閉じた空間だからです。正確には地表面は閉じた空間(平面)だからです。境界はないのですが有限の閉じた空間です。ですから、空間がゆがんでおり、そのような歪んだ結果がもたらされます。
空間の曲率がそのような不思議な現象を起こします。
でもこれは直感的にも理解しやすい話です。
北極からそれぞれ東経0度と東経90度の経度に沿って歩き始めたら、赤道までは双子は離れていきますが、赤道を通過してからは、お互いに近づき始めます。これも図を描いて理解すると良いと思います。
これをより正確にファインマン先生はこう書かれています。
いわゆる「重力とは見かけの力」という議論です。
(引用開始)
我々がみんな2次元の世界に住んでいて、第3次元で何が起こっているか何も知らないと想像してみよう。我々は平面の上にいると思うだろうが、実は球面の上にいるとしよう。更に、地面に沿ってある物体を打ち出したとし、それには力がはたらいていないとする。この物体はどこへ行くか?それは直線を進んでいるように見えるだろうが、物体は球面をはなれることはできない。球面の上では2点間の最短距離は大円である。それで物体は大円に沿って進む。他の物体と同じように、ただしちがう方向に打ち出すと、これもまた別の大円に沿って進む。我々は平面の上にいると思っているのだから、この二つの物体は時間がたつにつれてだんだん離れていくだろうと考える。しかしよくみると、いったん遠くに離れたあとは、こんどはまた近よってきて、互いに引きあっているようにみえる。しかし、互いに引き合っているわけではないーーこの幾何学には何か”不思議”なものがある。上に述べた例では、ユークリッド幾何学のどこが”不可思議”であるかを正しくあらわしていないが、それでも我々が幾何学を変えれば、引力はすべてなんらかの意味で見かけの力と結び付きうることはわかる。引力に関するアインシュタインの考え方はまずこういったことなのである。(ファインマン物理学 Ⅰ 力学 pp.178-179)
(引用終了)
c.f.それでも我々が幾何学を変えれば、引力はすべてなんらかの意味で見かけの力と結び付きうることはわかる 2014年03月31日
重力とは「空間の歪み」であるという子供の頃から馴染みのある議論をもう一歩拡張すると、「我々が幾何学を変えれば、引力はすべてなんらかの意味で見かけの力と結び付きうることはわかる」となるのです。
すなわち、地球を例に考えれば(そして地表面に成立する非ユークリッド幾何学を考えれば)、重力とは「不思議な遠隔力」ではなく、必然的であることがわかります。
光もモノも測地線を通っているだけなのです(光には重さがないことに注目)。測地線を通るということは、止まっているのと同じ等速直線運動の世界です。
この理解を正確にすれば、重要性関数という情報空間の重力が見えてきます。
重要性関数とは情報空間の歪みなのです。そしてそれは現象としては引力として機能するのです。
我々はその歪みをどう設計するかが課題です。それを「まといのば」ではドミノに喩えます。
その裏にあるのがエントロピーであるとしたら、マクスウェルの魔である我々は一瞬だけエントロピーを逆転させ、抽象度方向に駆け上がることができます。
そうするとバランスホイールが「太陽がいっぱい」に見えてくるのです(そうなのか?)。