Echoの感覚が良くわからないと、ヒーラー/メンター養成BootCampで質問がありました(あ、ちなみに今日だけでも3名のヒーラー/メンターでしたので、今日ブログがアップされているemmiからの質問ではありません。悪しからず)。
Echo(エコー)というのは、音が響くことを指しますが、「まといのば」では相手の発話した音を脳内で繰り返し再生させることを「Echo」と読んでいます。
脳内で繰り返しエコーさせるので、Echo(エコー)です。
そのままです。
*そもそもEcho(エコー)とは、ナルキッソスに恋をしてしまった可哀想なニンフ(妖精)の名前です。ナルキッソスは水面に映る美しい自分の姿に恋をしてしまい(神様によって水仙=Narcissusにされてしまいます。だから、水仙は今でも水面に映る自分を見つめています)、あまりにやつれてしまい、身体の厚みが1プランク長よりも小さくなったので、今でもEchoの声は聞こえるけれど、姿は見えないのです。
語学学習におけるシャドーイングのようなものです。リピーティングとシャドーイングは似て異なるもので、リピーティングはまさにRepeat after meで、先生が言ったあとにその言葉を繰り返すように、発話を繰り返します。ですから、イメージとしてはセンテンスごとに追いかけていきます。
シャドーイングは文字通り影のように寄り添って、片っ端からEchoさせていきます。
僕らは大学のころの英語の授業の一コマでやらされました。同時通訳の人の訓練のように、聴いたものを素早く口に出していくようにと教わりました。その訓練を続けていくと、同時通訳の方々は、勝手に脳が聴いたものを素早く脳内に記憶&再生していくので、意識では通訳のみを行い、無意識で耳を開き(シャドーイングし)、口を開く(通訳する)というイメージだったように記憶しています。
そう言えば、Dr.Tも同時通訳者でした。そして同時通訳のブースでベテランさんが同時通訳しながら、編み物をしていたという話をよくされていました。全て無意識でやるので超並列的に可能なのです(とは言え、すごい話)。
Echoのコツはと言えば、シンプルです。
ある意味でモノマネです。相手の特徴量をつかみ、それを再現しようと思って聴くイメージです。
言葉の意味ではなく、音にフォーカスします。
だからこそ、「あまりに集中して君の話(音)を聴いていたので、何を言っていたか全然分からなかったよ」という世界線がありうるのです(とは言え、Echoを正確にしていると、巻き戻して会話を再現できるようになるので、何を言っていたかは意識的に確認することができます)。
今回のYoasobiの「アイドル」もそうですが、凄い曲が出ると(そうではなくても)それをカバーする人たちが出てきます。
先日のブログの枕もそんなカバーの紹介からでした。
c.f.♫そう淡々とだけど燦々と見えそうで見えない秘密は蜜の味〜マニ教の「ミール」の音訳「密(蜜)」 2023年06月12日
いわゆる「歌ってみた」ですが、僕が強く惹かれるのはモノマネの方々です。
ほぼ職人の粋ですし、素晴らしいと思います。
たとえば、かなり以前に紹介したこともある荒牧陽子さんは16人ものまねをされています(内3名ほどはロボット?)。
c.f.楽しんでいる人がいちばんすごい。才能やセンスなんて楽しんでいるかに比べたらどうということはない 2020年02月16日(荒牧陽子さんを紹介)
ちなみにこのブログのタイトルは奇しくも「線は、僕を描く」の一節。
そして、「よよよちゃん」さんは10役です。
これもすごい。
荒牧陽子さんも瞬発力もすごいですし、分析も凄いと思います。
分析と言えば、よよよちゃんは自分の歌い方の分析を公開しています。
たとえばAdoさんの歌い方の分析をしており(それも御本人からも評価されています!)、そしてIkuraさんも!
これがEchoの究極の姿の一つです。
感覚的というよりは(感覚は大事ですが)、論理的なのです。
そして音に執着するのです。
僕らもEchoでは音に執着しましょう。
同じセミナーを幾度も聴けないという人であっても、好きな音楽は繰り返し聴きます。
たとえば、Yoasobiの「アイドル」を一聴して、「これはアイドルの二面性についての歌であり、『推しの子』のまとめですね」などとまとめたところで、何もならないのです。
そのような圧縮をしている限りは僕らは生成AIの足元にも及ばない知性となってしまう。
音に執着し、音を楽しみましょう。
余談ながら、今日、ヒーラー/メンター養成BootCampでも五感(感覚)の鍛え方について質問があったのですが、それも同様です。
五感というモーダルチャネルから入ってくるのは情報ですので、情報の感度を上げるしか、五感を鍛える方法はありません。
僕らの知っているある専門家は、味覚と嗅覚を鍛えるために、同じものを口にしながら、そこにある味をいくつもいくつもいくつもいくつも書き出していらしたそうです。ひたすらにメモを取るのです。そういう作業を何年も続けていくと、何を食べても、アタマの中に味と香りが脳に広がるのです。それも論理的に。
ブルース・リーが言うように「考えるな、感じろ」はその通りなのですが、感じるためには圧倒的な「作業」が必要なのです。たとえばEchoという作業が。
ああ、そう言えば、忘れていました、、、、、Orz.
このEchoの話を枕にして、エミネムの「ゴジラ」の話を書くつもりでした。
そんなわけで、タイトルはエミネムの「ゴジラ(Godzilla)」からの一節(歌詞と対訳はUniversal Music Japanから)。
When you twist the top of the bottle, I’m a
Monster
You get in my way, I’ma feed you to the monster (yeah)
よく「歌ってみた」チャレンジがらみで、(セミナー等で)僕はエミネムの「ゴジラ」を例に出すのですが、ほぼ誰からも共感を得られないので、ここに紹介します。
まずはエミネムの「ゴジラ」から。
で、エミネムが自分の高速ラップに挑戦してみろと「ゴジラチャレンジ」を提唱しました。
2020年のことです(これって記事にしていると思っていましたが、していない感じです)。
これに世界中から多くの人が参戦。
かなり面白いことになっていました。
(125%スピードアップした人もいましたが)
優秀者はこちらですが、いずれにせよ本当にすごい。
僕は「歌ってみた」を観るときに、いつもこの「ゴジラチャレンジ」を思い出します。
自分が丹精を込めて創った作品をリスペクトを込めて世界中で歌ってもらえるのはある意味で至上の喜びではないかと思います。
と、ここでビリー・アイリッシュが自分のカバーについてコメントする動画を紹介して終わろうと思ったのですが、その動画を引用したブログ記事の一節を少し長いですが、引用します。
c.f.♬でも見てよ今の僕を クズになった僕を 人を傷つけてまた泣かせても なにも感じ取れなくてさ♬ 2020年08月16日
(タイトルは「香水」の一節ですね。最近、とある有名な女優さんが瑛太さんは一発屋ではなく、次の作品もとても良いとおっしゃっていました)
(そして奇しくもYoasobi初登場のブログ記事でした)
(引用開始)
というか、カバーなり「歌ってみた」ってとても大事ですね。素晴らしい文化です。
ピカソも自分のパクリをするやつにこう言います。そのパクリで収益も上げているので、画商からその贋作を裁判で訴えるように言われます。それに対してピカソはこう返答します。
(引用開始)
「どうしてそんなことを? 私にはできない。どういうことになるかわかりきっている。私が予備裁判に行ったら、犯人が手錠をはめられて入ってくるだろうが、それは私の友人のひとりだろう」(pp.158-159)(引用終了)
c.f.こうして我々の虚栄心、我々のうぬぼれが、天才崇拝を助長する(ニーチェ) 2017年01月03日
ピカソの贋作者はピカソにとって「友人」なのです。
(ちなみにこれに関連して僕が深く感動するのはビリー・アイリッシュが自分のカバー曲に対して感想を言うシーンです)
[Billie Eilish Watches Fan Covers on YouTube | Glamour - YouTube]
(社会に背を向けて、命を削っている同士でしかシェアできない世界があるのです)
(引用終了)
自分の好きなものに集中して、圧倒的な高みに(それを卓越性と言うかはともかくとして)到達している人々を眩しく見上げながら、僕らも徹底的に深めていきましょう!
それがEchoでもクンダリーニでも!
明日はいよいよ「ゴーラクシャ・シャタカ」(「まといのば」講座)
ヨーガの源流に迫ります!!