先日のRay式「はじめての気功」講座の(講座後の)質疑応答で「能力の輪」と「卓越性」の関係について、ご質問をいただきました。
これは良い意味で面食らいました。
というのも、僕らから観たら全く違う概念なのですが、たしかにある程度の抽象度から考えると、これは関係していると考えた方が概念の導入として、スムーズかもしれないとも思ったからです。
「能力の輪」とは、これは「まといのば」の定義ですが、やはり「能力の輪」なのです(意味不明)。能力とは他者との関係性の中で定義される概念です(極論ですが、卓越性に他者は不要なのです)。
ウォーレン・バフェットが言うように、能力の輪が見つかったら、その内側にとどまりたいのです。そしてその輪の境界が見えていることが大事です。
c.f.自分の能力の輪がわかっているなら、そこにとどまっていればいい(ウォーレン・バフェット) 2019年08月06日
痛いなと思うのは、大概は自分を過大評価しすぎて、能力の輪の外に出ていることに気付かずにおしゃべりし始める時です。能力の輪の外では一切発言しないというマインドセットが大事です。
自分が分かっていること、分からないことの区別がついていないというレベルではなく、自分の能力の輪がどれだけ小さいかが分からないからこそ起きる悲劇です(自戒をこめて)。だから一歩でも(能力の輪の)外に出たら、僕らはトンチンカンなのです。そのトンチンカンなことを偉そうに言ってしまうので、鼻白むのです。
自分の得意領域の中だけで、考え行動しましょう。
そして、それ(トンチンカンな発言)は一度でもやってしまったら、(ブランディングの)終わりだという危機感は欲しいのです。
ですから多くの成功している方はきわめて謙虚です。謙虚に見えます(でも、心持ちとしての謙虚さではなく、場所の関数としての謙虚さなのです)。
それは、大衆が自分を見做しているような「自分は多くのことに対して、普通に大人としての判断力を持っている」というたぐいの傲慢さから最も遠いところにあります。
これについて、たとえば、ここでオルテガの「大衆の反逆」から適当な引用しても良いかもしれません。
(引用開始)
つまり、われわれはここで、愚者と賢者の間に永遠に存在している相違そのものにつきあたるのである。賢者は、自分がつねに愚者になり果てる寸前であることを肝に銘じている。だからこそ、すぐそこまでやって来ている愚劣さから逃れようと努力を続けるのである、そしてその努力にこそ英知があるのである。これに反して愚者は、自分を疑うということをしない。(引用終了)
c.f.つまり、われわれはここで、愚者と賢者の間に永遠に存在している相違そのものにつきあたるのである。 2020年07月24日
「能力の輪」という概念はとても大事ですが、あまりに大きいのです。
僕らは「能力の輪」などは使わず(というか、説明原理として用いますが、実際に自分を律する方法論としては用いません)、ひたすらに卓越性を磨くことにフォーカスします。
ただ、「卓越性」に関しては、時の始めから言い続けてきたのですが、最も無視されることの多いアドバイスなので、手を変え品を変え、様々な表現でアドバイスし続けています。
「卓越性」がつかめれば(これも「はじめての気功」講座でも言った気がしますが)、抽象度の階段を上がる瞬間は明確に分かるのです。そしてそれはまさに別世界です。そして、言い添えるならば、そこにしか人間の真の喜びはありません(それはまさに共有困難なものであり、一人一宇宙なものですが、でも確かな喜びです)。
卓越性を極めていくための方法もシンプルな方法論があります(皆が良く知っているとおりです)。ひたすらにやりたいことをやるだけです。テレビゲームに熱中する子供と本質的には同じです(ここで、リルケを引くのも良いでしょう)。
c.f.もしあなたが書くことを止められたら、死ななければならないかどうか、自分自身に告白して下さい。 2023年05月21日
c.f.アウトプット以前にインプットが全く足りない(;・∀・)と「神のみ」 2012年09月09日
c.f.あなたがまだ本当の〇〇でないために、日常の富を呼び寄せることができないのだと自らに言い聞かせよ 2018年08月07日
自らの内へおはいりなさい。あなたが書かずにいられない根拠を深くさぐって下さい。それがあなたの心の最も深い所に根を張っているかどうかをしらべてごらんなさい。
c.f.「楽に儲かる」という動機で始められるビジネスは、情報がオープンである世界では過剰な競争を発生させ
やりたいことが分からないという人々にとって、能力の輪という概念は非常に有効です。
でも、やりたいことが分かっている人にとっては、卓越性こそがふさわしい概念です。
ドリルのように深く掘っていくと、底が抜け、異世界に転生します。
c.f.人間は繰り返しおこなっていることの結果である。したがって、卓越性とは行為ではなく習慣なのだ。 2023年05月26日
*バチカンでこの階段を観た時はちょっと感動でした。