かつてコンピューターという名称が女性の職業であったことは有名な話しです。
「彼はコンピューターと結婚した」というのは比喩ではなく、「彼はピアニストと結婚した」と同じようにリアルな事象として記述されていました。
コンピューターとはエンジニアと同じく職業の名称であり、それに従事する人を表す名詞でした。
*手前にいる女性がComputer
(Wikipediaから引用開始)
英語の「computer」は算術演算を行う主体であるが、元々は主体として人間を指していた。この用法は今でも有効である。オックスフォード英語辞典第2版では、この語が主体として機械をも指すようになった最初の年を1286年と記している。同辞典では、1946年までに、「computer」の前に修飾語を付けることで異なる方式の計算機を区別するようになったとする。たとえば「analogue computer」「digital computer」「electronic computer」といった表現である。
計算手は、電子計算機と区別する場合はレトロニムで「human computer」とも呼ばれる。
(引用終了)
かつてメールのことを郵便のメールと区別して、電子メールとかEメールと日本でも言いました(開業当初のJRはE電と言いました。関係ないかw)。電子書籍も今やE-bookなどと言わず、従来の本のことを「紙の本」とかリアル書籍と言ったりします。
(Wikipedia引用開始)
E電(イーでん)とは、1987年(昭和62年)の日本国有鉄道(国鉄)分割民営化に伴い、「国鉄(近郊区間の)電車」の略称である「国電」に代わるものとして、東日本旅客鉄道(JR東日本)が決めた愛称(造語)。英語表記の場合は「INTRA-CITY AND suburban TRAINS」(「都市近郊区間列車」の英訳)。
「E電」の「E」には「East(東、(JR)東日本)、Electric(電気、電車)、Enjoy(楽しむ)、Energy(エネルギー)などの意味が込められている」と説明された。
結局一般にこの愛称が定着することがなく[5]、現在においても「死語」として有名な言葉の一つであるが、一方でJR東日本の社内用語としては残存している。
え?「JR東日本の社内用語としては残存している」???すごい。
繰り返しますが、コンピューターとはエンジニアと同じく職業の名称であり、それに従事する人を表す名詞でした。
これはある意味で隠された歴史ですが、でも事実です。
その闇に光を当てたのが、Hidden Figures(『ドリーム』)という映画です。
*この映画、公開当時にもこのブログで紹介していると思うのですが、、、過去記事が見つからないOrz
で、本稿の結論を出落ちで言えば(タイトルでネタバレですが)、プログラマーという職業もコンピューターという職業と同様に機械の名称というか、ソフトの名称というかそういうものになると言う話です。
プログラマーとはいわば通訳です。翻訳者です。
自然言語をコンピューター言語(プログラミング)に変換する翻訳者です。
しかし、コンピューターが自然言語をある程度理解して、それをプログラミングに変換してくれるのであれば、もはやその翻訳者は不要です。
ドラえもんのひみつ道具の1つである「ほんやくコンニャク」があれば、通訳さんがいらないのと似ています(似ているのか?)。
ですので、気づいたらプログラマーとはコンピューターと同じく機械の名称というか、計算機の名称というか、ソフトというか、そういうものに吸収されていくと思います(もちろん全てではありません。一部は残ります。たとえばハイブランドにおいては、なぜか自動ドアを採用せず、古い時代のように人間が扉を開いてくれます。江戸時代には特定の障子を開けるだけの仕事が代々受け継がれたそうで)。
RaySalonセラピストとしてもおなじみの催眠術師でもあるシュン君が機械にコーチングをやらせることに成功したそうです(いや、もちろんこれは煽りであって、1つのプレスリリースみたいなものですが、とても面白いですね。というか面白がりましょう!)。
でも現実に(先日のシン・手帳講座でも言及したように)、教育のほとんどがAIもどきに補完されるように、人間の労働のほとんどがAIもどきに補完されるように、コーチングも人間の営みである以上は90%ほどは補完されます。
そこで初めて人間は人間性を取り戻せます。なぜなら機械にやらせらることが可能な単純反復を人間がするのは非人間的行為だからです。