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Channel: 気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ
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私の絵と映画と私の表面だけを見てくれれば、そこに私はいます。裏側には何もありません。

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時を旅しているとさらさらと時間も空間も記憶も飛び去っていくので、なんとか要石(かなめいし)で封印していかないと、翔び立ったまま永遠に帰ってこなくなります。

 

サクサクと主題だけを並べて、いつかまとめて書く日を期待します(いや、まとめて書くことはたしかにきっと無いのですが、何かの拍子に紅茶に浸したマドレーヌのように出会う時が来るはず!)。

 

 

まず第一にこの異形(いぎょう)が面白いという話しです。

でかすぎでしょ。

僕はかに道楽のカニを思い浮かべます(←失礼)。

 

伊勢神宮は麻ですが、出雲大社は真菰(まこも)と呼ばれるイネ科の植物だそうです。

 

 

異形は大事ですね。


椅子に化身するのもまた異形の1つ。

 

 

で、話はうってかわって、鯉(こい)を見てきました。

恋(こい)ではなく、鯉(こい)。
恋(こい)は見るものではなく(堕ちるもの)、、、、そういえば恋(こい)を孤独で悲しいとしたのが新海誠作品でした。

 

孤悲(こひ)ですね。

 

”愛”より昔、”孤悲(こい)”のものがたり。

 

 

アニメーションのエリアでは、国内外の若者に絶大な影響を与え続けている新海誠監督が2013年に手掛けた、『万葉集』の一篇から始まる“孤悲(こい)”の物語「言の葉の庭」の制作資料や、、、

c.f.「こい・孤悲・恋 ―アニメ「言の葉の庭」~漫画・日本画―」 奈良県立万葉文化館

 

 

鯉を見ながら、思い出したのは、中国故事のこんな話し。

エスニックジョークなのではないかと思うほど、良い意味で中国人らしい!(僕らの半分は中国、もう半分はインドから影響を受けています)

 

 

Aさん:鯉が気持ちよさそうに泳いでいますね〜

 

Bさん:なんであなたは鯉ではないのに、鯉の気持ちが分かるのですか?


という無体な質問に対して、Aさん答えていわく、



Aさん:あなたは私ではないのに、どうして私が鯉の気持ちが分からないと分かるのですか?

 

 

相手の論理を逆手に取っての見事反論!!

面白いです!

 

日本一のお庭を19年連続受賞というこのお庭もまた見事な借景です。

後ろの山も含めてお庭です。

それを意識してか、掛け軸を借景で行うという風流なお部屋も。

 

 

 

出雲で面白かったのは、卑弥呼側の吉備との関係。
先日、伊藤武先生から伺った「土器とは鍋である」という補助線から、神事を考えると非常に面白く、、、と書こうと思ったのですが、またの機会に!
(歴史の過程の中で、吉備は鍋底を抜き、出雲は鍋底を残しました)

 

メモレベルで申し訳ないのですが、ガンガン還元したい面白い話がありますので、揮発する前に小さな要石で封印しておきます!

 

 

ああ、そしてラストに1つだけ(いま書かないと二度とここに書かない気がするので!!)

 

Rayさんがアンディー・ウォーホールの名言を紹介していました!!


If you want to know all about Andy Warhol, just look at the surface of my paintings and films and me, and there I am. There’s nothing behind it.」

「もしアンディー・ウォーホルのすべてを知りたいのならば、私の絵と映画と私の表面だけを見てくれれば、そこに私はいます。裏側には何もありません。」

 

 

横山大観もこう言います!

 

芸術は直ちに鏡に自分の頭を写すよりも明らかに絹の上や紙の上に自分の人格がすっかり出る

 

 

 

*今回見た中で、このリスが本当に可愛かったです!!

 

どうしても根本は人物を作るのが上台じゃないかと思います、是(これ)は美術家ばかりではない政治家であり、商業家であり又軍人であっても皆人間が出来なければ其(その)人は出来ない。そうしなければ其人に適した職業教育は本当に完成しないと思います、芸術は直ちに鏡に自分の頭を写すよりも明らかに絹の上や紙の上に自分の人格がすっかり出るからでございます、

ーー東京美術学校『校友会月報」東京美術学当時の思い出(昭和6年)

 

 

 

秋の時期はこの「紅葉」が飾られるそうで、観てきました。金やプラチナが使われています!

 

 

 

「芸術は直ちに鏡に自分の頭を写すよりも明らかに絹の上や紙の上に自分の人格がすっかり出る」というのが良いですね。

(「鏡に自分の頭を写す」について、最近の記事に関連して、何か書こうと思っていたのですが、忘れました、、、)。

 

横山大観は、同じ意味でこんな風にもおっしゃっています。

富士を描くとは、富士にうつる自分の心を描くこと。

心とは人格のこと。

それは気品、気迫と。

 

富士の名画というものは、昔からあまりない。それは形ばかりうつすからだ。・・・富士を描くということは、富士にうつる自分の心を描くことだ、心とは、ひっきょう人格にほかならぬ。それはまた気品であり、気はくである。富士を描くということは、つまり己を描くことである。己が貧しければ、そこに描かれた富士も貧しい。富士を描くには理想をもって描かなければならぬ。私の富士もけっして名画とは思はぬが、しかし描くかぎり、全身全霊をうちこんで描いている。・・富士の美しさは季節も時間もえらばぬ。春夏秋冬、朝昼晩、富士はその時々で姿を変えるが、いついかなる時でも美しい。いわば無窮の姿だからだ。私の芸術もその無窮を追う。

 

 

One more thingで、中村元先生についても言及したいのですが、それはまた次の機会に!!

 

中村元先生が喜んで座っていたという、お釈迦様の手のひらの椅子!!!

椅子!!

 

*映画「すずめの戸締まり」は「新海誠本2」が特典として配本決定!!

 


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