トゥールミンというのはもちろん人の名前なのですが、トゥールミンロジック、もしくはトゥールミンモデルのことを一般には指します。
「まといのば」でもトゥールミンについては人物というよりは手法なのですが、それでも人物には興味があります。
理論よりもはるかに人物のほうが興味深いからです。
トゥールミンは主著『議論の技法』の中で「アップデート版への序」と題してこんな風に書いています。
(引用開始)
いかなる意味においても、私はレトリックや議論の理論を拡張するつもりはなかった。私の関心事は20世紀の認識論であり、非形式論理ではない。ましてや、コミュニケーション学の学者の間で呼ばれるようになった"トゥールミンモデル”のような分析的モデルを想定していた訳でもない。事実、読者の多くは私を既に歴史上の人物と考えており、それによって私は若くして他界させられてしまっている。(引用終了)
トゥールミンモデルのような分析モデルを想定していなかったし、そして読者の多くは既にトゥールミンのことを歴史上の人物として他界させていると言います。言っているというかぼやいています。
面白いです。
ただ、僕自身はトゥールミンモデルはたしかに認識論であり、そして「情報空間の作法」と考えています。
不完全情報ゲームの中でいかに最適解にたどり着けるかのゲームです。ベイズ推定のようなものです(雑かっ)。
ここに「シン・TENETの物理学」でやったような中間子のキャッチボールが加わることで、本来はバラバラのも陽子と中性子が結びつくのです。絡みつくのはキャッチボールゆえです。
トゥールミンモデルはDebateモデルとして採用されることが多いですが、これは対立ではなく、良い政策を選ぶためのレフリーがいる中での対立構造です。厳密には対立ではなく協調して、素早く最適解へ移動するための作法です。正解など存在しない情報空間の中で、なるべく素早く最適解の近くに移動できれば、次の扉が開きます。
Tulminをシンプルに描けば、(Dataと言っても良いのですが)Factやevidenceという素材自身の空間から、ClaimもしくはConclusionという抽象化された意図の空間への移動です。その移動を媒介するのが、Warrantとなります。そのWarrantを支えるのがBacking。
Claim(Conclusion)を攻撃するのが、(Rebuttalもしくは)Reservation(反論)。
困った時のWikipedia頼みで、Wikipediaを覗いてみましょう。
Claim (Conclusion)
A conclusion whose merit must be established. In argumentative essays, it may be called the thesis.[11] For example, if a person tries to convince a listener that he is a British citizen, the claim would be "I am a British citizen" (1).
Ground (Fact, Evidence, Data)
A fact one appeals to as a foundation for the claim. For example, the person introduced in 1 can support his claim with the supporting data "I was born in Bermuda" (2).
Warrant
A statement authorizing movement from the ground to the claim. In order to move from the ground established in 2, "I was born in Bermuda", to the claim in 1, "I am a British citizen", the person must supply a warrant to bridge the gap between 1 and 2 with the statement "A man born in Bermuda will legally be a British citizen" (3).
Backing
Credentials designed to certify the statement expressed in the warrant; backing must be introduced when the warrant itself is not convincing enough to the readers or the listeners. For example, if the listener does not deem the warrant in 3 as credible, the speaker will supply the legal provisions: "I trained as a barrister in London, specialising in citizenship, so I know that a man born in Bermuda will legally be a British citizen".
Rebuttal (Reservation)
Statements recognizing the restrictions which may legitimately be applied to the claim. It is exemplified as follows: "A man born in Bermuda will legally be a British citizen, unless he has betrayed Britain and has become a spy for another country".
Qualifier
Words or phrases expressing the speaker's degree of force or certainty concerning the claim. Such words or phrases include "probably", "possible", "impossible", "certainly", "presumably", "as far as the evidence goes", and "necessarily". The claim "I am definitely a British citizen" has a greater degree of force than the claim "I am a British citizen, presumably". (See also: Defeasible reasoning.)
これは現状から理想的な可能世界へ移動するために必要なのが適切な「知識」であることと似ています。
Fact,Evidence → Claim
↑
Warrant
ここでDataがFact,Evidenceと呼ばれていることに注目。そしてConclusionよりもClaimが好きです。
FactやEvidenceとは我々に耳馴染みのある言葉です。
その宇宙が、Warrantという船によって、もしくはどこでもドアによってClaim(もしくはConclusion)の空間に移動するのです。
そして少なくとも2人のもしくは2つの立場の異なる人間の間で情報をキャッチボールしながら、不完全情報の中での最適解を素早く探すのです。そうやって移動するのです。
その意味では対立ではなく、協調なのです。移動のためのキャッチボールなのです。
この感触がつかめると、トゥールミンの感触が正確につかめると考えています。
蛇足ながら、上記の引用に続けてこう書かれています。
The first three elements, claim, ground, and warrant, are considered as the essential components of practical arguments, while the second triad, qualifier, backing, and rebuttal, may not be needed in some arguments.
(最初の三要素である主張、根拠、保証は実践的な議論の必須要素とされ、二番目の三要素である修飾語、裏付け、反証は議論によっては不要とされることがある。)
最初の三要素である主張、根拠、保証(claim, ground, and warrant)は実践的な議論の必須要素とされるのです。あとはこれをひたすら繰り返すだけです。
フラクタルの数式のようなもので、ひたすらに繰り返すことが情報空間の作法です。
それを論理とかLogosと表現していたのですが、それは「正しさ」でも、「正しさ」の上に咲く徒花でもありません。そもそも正しさによって踏み固められた土地には花は咲きません。方法的懐疑によって(もしくはトゥールミンによって)掘り起こされ続けた土地に花も作物もできます。
c.f.われらはバビロンの川のほとりにすわり、シオンを思い出して涙を流した。 2016年04月09日
c.f.「己が正しい場所にいるかが全てだ。そこにいれば人は自ずと勝つ」(『嘘喰い』) 2022年01月15日
わたしたちが正しい場所に
花はぜったい咲かない
春になっても。
わたしたちが正しい場所は
踏みかためられ かたい
内庭みたいに。
でも 疑問と愛は
世界を掘りおこす
もぐらのように 鋤のように。
そしてささやき声がきこえる
廃墟となった家が かつてたっていた場所に。
イェフダ・アミハイ「わたしたちが正しい場所」(村田靖子訳)