次にザクロの実を見たら、この物語を思い出すでしょう。
ギリシャ神話の有名な逸話。
なぜ冬があり、なぜ素晴らしい春が訪れるのか、その理由がいま明かされる!!
そこには母と子の哀しい物語がありました。
そもそもその子は近親相姦の末に生まれるというオイディプス王も真っ青な始まりです。
ゼウスは姉に暴行し、生れたのが娘のコレー、のちのペルセポネー(冥府の女王)です。
ゼウスの姉にして、ゼウスの娘の母であるデーメーテールは娘を愛し、大切に養いました。
娘は永遠の処女を誓うも、ゼウスはいたずらしたくなり(なぜ?)、冥界の王であるハデスに誘拐させます。
母親はパニックになり娘を探し、ついに名探偵に望みを託します。
眠りの小五郎、、、ではなく、「見た目は子供、頭脳は大人」(その逆が多すぎ、自戒を込めて)の名探偵コナンです!
*名探偵コナン『ハロウィンの花嫁』
ハロウィンつながりで今だけ再上映中!
この前見た時は、ポップコーンか何かを買っていたら冒頭を見逃しました(CMがもう少し長いと思っていて、、不注意でした!)。
今月5日に再び観に行きます!(また行くのかいっ)。
違います。
名探偵ヘカテー(へカティア)に聞き、ハデスの誘拐を知ります。
しかし、あの優しいハデスがなぜ?、、、、と思ったら、主犯はゼウスだったのです(お前の娘だろ)。
娘のコレーは泣きながら冥府で過ごしますが、とうとうお迎えがやってきます(お迎えと言っても、すでに冥界にいるので、地上に戻るお迎えです)。
「ようやっと帰れる!!」となったときに、いつも優しくしてくれた素敵な(後の夫となる)ハデスがザクロの実を差し出します。
「これ食べるといいよ」
ところがこれが毒饅頭(どくまんじゅう)。
でも、あまりにお腹が空いていたので、4粒だけ食べてしまいます。いや6粒かも。
ようやく母のもとに戻ったときに、娘は告白します。
冥界の食べ物を食べてしまったことを。
「私、渡されたザクロの実をちょっとだけ食べちゃった、、、、ごめんママ」
*うちの母がたしかザクロ好きで、なんでこんなのが好きなんだろうと思った記憶がある。あれ、いちじくのことかな。もはや記憶が。
それを聞いて母、絶望。
「なんてことをしてくれんだ(T_T)」byママ
「当たり前じゃねえからな!この状況」byママ&加藤浩次
(私がどんだけ手を回したと思っているんだ。お腹が空くくらい我慢しろよ。帰れるからって気を抜くなよ。知らないからって、騙されるなよ)
*当たり前じゃねえからな。
当たり前じゃねえからな。この状況。
いつか誰かが、いつかおれ普通に戻れる?
そんなことねえからな。
第一声「すみませんでした」だろ、分れよもう
照れ隠しでなに
ヘラヘラしてんだよ
これ逃したらもうなんにもないんだよ
泣けよ泣いていいんだよ
ほんとのお前じゃね〜だろ、出してんの
しんどかったらしんどいって言って良いんだよ
c.f.親のせいで夢を諦めた人、20代をゆっくり過ごしてしまった「何者でもない人」にチャンスは訪れるの? 2022年10月01日(ちょうど1ヶ月前)
なぜなら冥界の食べ物を食べたら、冥界に属することになるから(皆さんも気をつけて、「まといのば」で配れるものを食べたら、、、、、「まといのば」に属することになります。ましてや同じ釜の飯を食った日には大変!!冥府までも地獄までも「まといのば」です)。
そんなわけで、お母様の訴えも虚しく(娘は食べることを強制されただけなんです!!と強弁)、食べてしまった以上は、強制だろうが何だろうが、結果は引き受けなくてはいけません。
そんなわけで、母子は苛烈にもその4粒分の報いを受けます。
一年に4ヶ月は娘は冥界に戻ります。
その間だけ、ペルセポネーはハデスの后になります。
お母さんであるデーメーテールは娘のペルセポネーがいない4ヶ月を泣き暮らします。
その期間は豊穣の神がいなくなり、その間は冬になります。
お母さんであるデーメーテールは豊穣の神(オリンポス12神の一柱)なので、彼女がこもってしまうと太陽の光の弱い冬になり、作物ができません。
逆に娘が帰ってくるととなると、大喜びで、それが春です!!
ヴィヴァルディの春と共に声に出して読みたい日本語!!!
*ヴィヴァルディ『四季』ローラン・プティ振付(春はここから)
というわけで、次にザクロを見たら、ギリシャ神話を思い出してみてください!!
その哀しい物語を。
そして実を食べる前に身を引き締めて、自分が何を食べようとしいるか意識して、縁起を意識して(どこから来たのか、誰が作ったのか、、釈迦の「黙って喰え」瞑想デスネ)。
そして、霜月から始まるこの冬を(我々にエンタングルメントしているこの状況を)思い出して。
【ギリシャ神話紹介】
(引用開始)Wikipediaより
ペルセポネーの略奪
レンブラント・ファン・レインの1631年頃の絵画『ペルセポネーの略奪』。絵画館所蔵。
神話によると、ペルセポネー(当時のコレー)は、アテーナーとアルテミスのように永遠の処女であることを誓ったため、アプロディーテーはエロースの矢で冥界の王ハーデースを射ることを画策した[4]。ちょうどペルセポネーは、ニューサ(山地であるが、どこであるのか諸説ある)の野原でニュムペー(妖精)達と供に花を摘んでいた[5]。するとそこに一際美しい水仙の花が咲いていた。ペルセポネーがその花を摘もうとニュムペー達から離れた瞬間、急に大地が裂け、黒い馬に乗ったハーデースが現れ、彼女は冥府に連れ去られてしまった。
デーメーテールの怒り
オリュムポスでは、母デーメーテールがさらわれるペルセポネーの叫び声を聞きつけた。そして娘の姿がどこにもないことに気づくと、悲しみにくれながら、松明を片手に行方の分からない娘を探して地上を巡り歩いた。そして十日目に灯火を手にした月神ヘカテーと出会って、ペルセポネーが誘拐されたことを聞いた[6]。そこで二柱の女神は太陽神ヘーリオスのところに行き、ヘーリオスから、ハーデースがペルセポネーを冥府へと連れ去ったことを知る[7][5](一説にはアレトゥーサが教えてくれた[8])。女神はゼウスの元へ抗議に行くが、ゼウスは取り合わず、「冥府の王であるハーデースであれば夫として不釣合いではない」と発言した。これを聞き、娘の略奪をゼウスらが認めていることにデーメーテールが激怒し、オリュンポスを去り大地に実りをもたらすのをやめ、地上に姿を隠す。
一方、冥府に連れ去られたペルセポネーは丁重に扱われるも、自分から進んで暗い冥府に来た訳ではないため、ハーデースのアプローチに対しても首を縦に振らなかった。
四季の始まり
フレデリック・レイトンの1891年の絵画『ペルセポネーの帰還』。リーズ美術館(英語版)所蔵。
その後ゼウスがヘルメースを遣わし、ハーデースにペルセポネーを解放するように伝え、ハーデースもこれに応じる形でペルセポネーを解放した。その際、ハーデースがザクロの実を差し出す。それまで拒み続けていたペルセポネーであったが、ハーデースから丁重に扱われていたことと、何より空腹に耐えかねて、そのザクロの実の中にあった12粒のうちの4粒(または6粒)を食べてしまった。
そして母であるデーメーテールの元に帰還したペルセポネーであったが、冥府のザクロを食べてしまったことを母に告げる。冥界の食べ物を食べた者は、冥界に属するという神々の取り決めがあったため、ペルセポネーは冥界に属さなければならない。デーメーテールはザクロは無理やり食べさせられたと主張してペルセポネーが再び冥府で暮らすことに反対するも、デーメーテールは神々の取り決めを覆せなかった。そして、食べてしまったザクロの数だけ冥府で暮らす(1年のうちの1/3(または1/2)を冥府で過ごす)こととなり、彼女は冥府の王妃ペルセポネーとしてハーデースの元に嫁いで行ったのである[9]。そしてデーメーテールは、娘が冥界に居る時期だけは、地上に実りをもたらすのを止めるようになった。これが冬(もしくは夏)という季節の始まりだという。農作物の消長の原理はこの神話によって説明されている[10]。
また、ペルセポネーが地上に戻る時期は、母である豊穣の女神デーメーテールの喜びが地上に満ち溢れるとされる。これが春という季節である。そのため、ペルセポネーは春の女神(もしくはそれに相当する芽吹きの季節の女神)とされる。ペルセポネーの冥界行きと帰還を中軸とするエレウシース秘儀は死後の復活や死後の世界における幸福、救済を保証するものだったと考えられている[11]。メトロポリタン美術館に所蔵されているアッティカ赤絵式のクラテールでは、地上へと帰還するペルセポネーの姿が描かれている。ペルセポネーはヘカテーとヘルメースの案内で地面の裂け目から地上に戻り、地上でペルセポネーと再会を果たすデーメーテールは大地のサイクルの更新を受け取る[12]。(引用終了)
「冥界の食べ物を食べた者は、冥界に属するという神々の取り決めがあった」、冥界の王と同じ釜の飯を食うとエンタングルメント(量子もつれ)してしまうのです。
デーメーテールはザクロは無理やり食べさせられたと主張してペルセポネーが再び冥府で暮らすことに反対するも、デーメーテールは神々の取り決めを覆せなかった。そして、食べてしまったザクロの数だけ冥府で暮らす(1年のうちの1/3(または1/2)を冥府で過ごす)こととなり、彼女は冥府の王妃ペルセポネーとしてハーデースの元に嫁いで行ったのである[9]。そしてデーメーテールは、娘が冥界に居る時期だけは、地上に実りをもたらすのを止めるようになった。これが冬(もしくは夏)という季節の始まりだという。農作物の消長の原理はこの神話によって説明されている。
「そしてデーメーテールは、娘が冥界に居る時期だけは、地上に実りをもたらすのを止めるようになった。」というのが良いですね。一人の哀しみは世界の哀しみなのです。
逆パターンですが、母を亡くした哀しみが昇華したYesterday、父に失踪された子供の哀しみを表現したJelousy
↑こちらから引用します!
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雨に嫉妬したくなる、、雨粒は君の肌に触れられるから。
風に嫉妬したくなる、、君の身体に君の影よりも近づけるから、、、、むしろ雨になりたい、風になりたい。君のそばで眠る闇夜になりたい、、、、と切々と歌い上げます。
I'm jealous of the rain
That falls upon your skin
It's closer than my hand have been
切ない愛の歌であり、失恋ソングとして有名です。
*Siaのシャンデリアもそうですが、歌うべきことがあり、歌うのが歌の本来のあり方だと思います。
*僕はいつも、宮沢賢治のセロ弾きのゴーシュの一節を思い出します。
トレーニングにおいて軟弱なゴーシュに対して、小さなかっこうが怒鳴ります!
「なぜやめたんですか。ぼくらならどんな意気地ないやつでものどから血が出るまでは叫ぶんですよ。」僕らもいやしくも気功師を名乗るなら、手や目から血が吹き出すほどに気功をやらないとですね。
しかしこの曲もまた幼い頃に蒸発した父に向けた愛の歌です。
あまりに若くして死んだ親友に向けて、この曲をXFactorで歌ったのがJosh Danielです。
突然の死に長いこと鬱に落ち込み、そしてラビリンスのJealousに出会い、鬱から脱出したそうです。
*鬼の目にも涙と言ったら、失礼でしょうが、感動的です。
もしかしたら、僕らの目の前にはシンプルな光景が広がっていて、僕らはそこから目を背けているのかもしれません。
それは単純な、というか無邪気すぎる推論なのかもしれません。
しかし、おそらくは魔法を手にしたければ、まず地獄めぐりをするしかないのだろうという推論です。
オセロは緑色の目をした嫉妬の地獄に食い殺されましたが、ドクター・ストレンジは絶望を生き残り、アラン・チューリングは勇ましく死を選び、インセプションではディカプリオはパートナーの死の呪いから脱出しようともがきます。
ポールもラビリンスも肉親との辛い別れを美しい詩に昇華させ、それに光を見たJoshが僕らにまた感動を与えます。
「地獄は一定すみかぞかし(親鸞)」です。
「Hold back the edges of your gowns, Ladies, we are going through hell.
ご婦人たちよ、わたしたちはこれから地獄を通りすぎるのだ。ガウンのすそをからげなさい」(アレン・ギンズバーグ『HOWL』序文におけるウィリアム・カーロス・ウィリアムスの言葉)
*ギンズバーグ本人による朗読
*ハリー・ポッターのラドクリフがアレン・ギンズバーグを演じている映画『キル・ユア・ダーリン』。
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