自分に対しては裸で向き合うことです。
建前を一つ一つ剥がしていって、自分は何が好きなのか、この仕事の何に惚れ込んでいるのかをしっかり見据えるのがポイントです。
近代解剖学の父とも言えるヴェッサリウスという人がいます。
解剖学者ですね。
人体解剖に基づいて解剖学を提唱し、それまでの他の動物の解剖に基づく解剖学を駆逐した天才です。ガレノスの医学が長年支配的でした。
ガレノスはローマ帝国のギリシャ人医師です。
ガレノスは人体を解剖せず、猿の解剖を通じて人間を理解しようとしていました。ですので、ズレが生じていたのです。とは言え、これはガレノスの非とも言えず、当時のローマ帝国が人体解剖を禁じたのがその理由です。
長年支配的と書きましたが、長年ってどのくらいを想像しますか?
正解は1500年。
15世紀に渡ってってすごすぎ。
(引用開始)
ガレノス(希: Γαληνός, 129年頃 - 200年頃)は、ローマ帝国時代のギリシャの医学者。臨床医としての経験と多くの解剖によって体系的な医学を確立し、古代における医学の集大成をなした。彼の学説はその後ルネサンスまでの1500年以上にわたり、ヨーロッパの医学およびイスラームの医学において支配的なものとなった。(引用終了)(Wikipediaより)
ガレノスからしたら、15世紀もの間、何していたの?って話です。
自分は自分の仕事をしたのだから、お前たちもお前たちの仕事をしろと考えるのではないかと想像します。ガレノスの仕事をコピペするばかりの1500年。
そこに風穴を開けたのが、若きヴェッサリウスでした。
ヴェッサリウスはもちろんガレノス医学を学校で学んでいます。
ヴェッサリウスの解剖書である「ファブリカ」はとても美しく、今でも鑑賞に耐えます。
彼がその後の医学の進歩に大きく貢献したことは間違いありません。
その意味では人類の足を引っ張っていたのは皮肉なことにガレノスとアリストテレスでした(そう言えば、ニュートンもアリストテレスから決別してプリンキピア・マテマティカを書き上げました)。進歩史観からすれば、ガレノスは悪者ですw。
でも、ヴェッサリウスは解剖を通じてそれまでの長年支配していたガレノスの誤った身体観を払拭して、医学の進歩に貢献したい!!!!と思ったわけではないでしょう。
結果的にそういう夢を描くこともあったかもしれませんが、彼はひたすらに死体解剖をするのが好きだったのです。その気持ちは分かります。
忙しすぎる病理解剖などは分かりませんが、研究のための死体解剖というのは(ホルマリン漬けされていないので、時間との勝負、腐敗との勝負でしたでしょうが)、非常に素晴らしいものがあります。
死体のイメージが全く嘘であり、人間の身体とはここまで美しいものかと感動します。
ヴェッサリウスはその美に仕えたのであり、その喜びにハマったのです!(多分!)
(いや、真面目な話をすると、エビデンスもある程度あって、この話しをしています。そしてこれは長年の「まといのば」のセミナーネタですので、受講生にはおなじみですよね。もっとひどい紹介の仕方をしていますがw)。
僕らも自分のWant toから建前部分をそっと外していきましょう。
裸の特異点ならぬ、裸のWant toを自分にだけは見せることです(よほど信頼できるコーチかメンターにはシェアしましょう。そうすると進化がブートします)。
間違っても名声をゴールにしてはいけません。それはコーマック・マッカーシーの言うように幻想の世界だからです。他者はその意味では存在しないのです。
c.f.世界を実際以上に暗いように言いたくないが、世界が闇に沈んでいく時、世界というのは結局自分自身だ 2022年04月04日
称賛や名声を欲しければ、自分が自分に与えることです。自分が自分を評価していないから、他人の評価で代償しようとしてしまうのです。でもそれは代償にはならず、喉が渇いて海水を飲んでしまうのと似ています。どこまでも乾きが止まりません。
c.f.俺は心の中で一日に十億回も自分に声援を送っている。俺にとって最大のファンは俺でしかない。 2021年01月31日
乾きが止まらないと言えば、Never enough(満足できない)ですが、「Never enough」の中の人がついにBGTに出たそうです!
c.f.♪あなたがくれた夢がどんどん大きくなっていく。その夢がエコーしているのがあなたには聴こえる?♪ 2018年04月16日
4年前のブログからちょっと引用します。
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グレイテストショーマンの楽曲『Never Enough(決して満足できない)』も同じでしょう。
喝采も、何万個のスポットライトも、渇望を癒やしはせず、渇きを潤すことはないのです。
「わたしは、かわく」(ヨハネ19:28)
*これがリップ・シンクというのは驚くべきことです。
*もともとはもちろんレベッカ・ファーガソンが歌う予定でしたが、アシスタント的に(ガイドボーカル的というか)に入ったローレン・オルレッドの歌声が素晴らしくての本編起用となったそうで(レベッカが世紀の歌姫を再現できる自信がなかったというのもあるそうです)。
ジェニー・リンドの役を演じたレベッカ・ファガーソンはジェニー・リンドと同じくスゥエーデン人。レベッカはスゥエーデンなまりをアメリカ人の歌手のローレン・オルレッドに教え、オルレッドの歌い方をジェニー・リンドは完全にシンクロさせて、奇跡の共演が成立したそうです。
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c.f.♪あなたがくれた夢がどんどん大きくなっていく。その夢がエコーしているのがあなたには聴こえる?♪ 2018年04月16日
そのローレン・オルレッドがBritish Got Talentに登場しました。
「多くの人がその声を知っているけれど、顔は知らない」存在として。
*上は本家のYoutube動画ですが、日本語訳版はこちら!
このNever enoughは決して砂上の楼閣のような喝采ではなく、踊る喜び、歌う喜び、いや声を出すだけで嬉しい、身体を動かすだけでそれが嬉しいというような裸のWant toであるべきなのです。
そしてそれを心から楽しみ、誰からもその喜びを奪われたくないようなものであるべきです。いや、あるはずなのです。
音楽とは音を楽しむと書きますが、まさに言い得て妙です。音を心から楽しむことです。それを聴くことを楽しみ、奏でることを楽しむことです。純粋に。
その意味では、学問は楽問(がくもん)と書いて、「問うことを楽しむ」とでも再定義したらどうでしょう(いや、悪ノリです)。
最後に「才能革命」でも引いたアランを紹介します!
能力の輪がいかに才能につながり、Crazy onesに繋がり、天才に繋がり、そして幸福に繋がるかが見えてきます。それは結果ではなく、最初の最初から同時的に起こるものなのです。
(引用開始)
幸福はいつもわれわれの手から逃げて行くといわれている。人からもらう幸福については、それは正しい。人からもらう幸福などは、まったく存在しないからだ。しかし、自分でつくる幸福というのはけっしてだまさない。それは学ぶことだから、そして人はいつも学んでいる。知ることが多くなればなるほど、学ぶこともますます多くなるのだ。そこからあのラテン語を学ぶ楽しみが生まれる。それには終わりがない、否、むしろ知識の進歩によって楽しみが増大している。音楽をやる楽しみも同じである。だからアリストテレスはあの驚くべきことばを吐いている。真の音楽家とは音楽を楽しむ者のことであり、真の政治家とは政治を楽しむ者のことである、と。「楽しみは能力のしるしである」と彼はいうのだ。これはすごいことばだ。このことばは表現の完璧さのゆえに鳴り響き、学説をよそにしてわれわれの心を捉える。幾度否認してもついに無駄であった、この驚くべき天才哲学者を理解しようとするならば、この点をこそよく見なければんらない。何事をやるにしても、ほんとうの進歩をあかしするのは、人がそこでどんな楽しみを感ずることができるかである。そこからわかるのは、仕事は唯一のよろこび、それだけで満たされたよろこびであることだ。わたしが言っているのは、自分で自由にやる仕事のことで、それはつまり、能力を示すわざであると同時に、能力が出ている源でもある。くりかえすことになるが、人にやってもらうのではない、自分でやることだ。(引用終了)(アラン『幸福論』)