エネルギーというのはギリシャの神々のように次々と姿を変えていきます。
白鳥になったり、牡牛になったり、忙しいのです。
*白鳥に化けて、レダを誘惑するゼウス。
「現存していないレオナルド・ダ・ヴィンチの絵画(1515年 - 1520年)のチェザーレ・ダ・セスト(Cesare da Sesto)による模写」だそうです。
ゼウスがいろいろな姿に変わるようにエネルギーも次々と姿を変えます。
女神や人間と交わるときのゼウスはしばしば変化したとされ、ダナエーのときには黄金の雨に、レーダーのときには白鳥に、アンティオペーのときにはサテュロスに、エウローペーのときには白い牡牛に、カリストーのときにはアルテミスに、イーオーのときには雲に変身したといわれる。Wikipedia
位置エネルギーは運動エネルギーになり、運動エネルギーは音になったり熱になったり、弾性エネルギーになったり、物体の形状を変えたりします。
高いところから落としたものは、加速してスピードを増し、最後に地面で壊れます。
落下の最中は、位置エネルギーはどんどん運動エネルギーに変換されます。スピードは上がるのですが、高さは低くなります。位置と運動のトレードオフです。
これが繰り返されるのが振り子です。
もしくはブランコとか。
高いところから降りてくるときは運動エネルギーが増大し、最下点で最も速くなり、最も低くなります。逆にそこから高くなるにつれ、運動エネルギーが小さくなり、一番高いところで位置エネルギー(ポテンシャルエネルギー)は最高となり、運動エネルギーは0になります。静止します。
この振り子に弾性エネルギーによる衝撃波の伝導を加えたのが、ニュートンのゆりかごと呼ばれる振り子です。
この力学的エネルギーの感覚がわかり、力学的エネルギー保存則が分かり、そしてエネルギー保存則が破れて、情報量の保存則に拡張されると、エントロピーという無知の拡大が分かり、そのころにはマクスウェルの偉大さが分かったりします。
(そうすると宇宙の歴史が最終段階に来て、宇宙の熱的死のあとには、ビッグバンならぬビッグクランチが始まるって思えてくるかもしれません。振り子やブランコのように。すべての構造は複雑な形を持っていてもフラクタル構造なのかも)
そうやって抽象度の階段を登っていくと、とても楽しい風景が眼前に広がっていきます。
「これを踏まえると、エネルギーの散逸という概念は、我々の知識の程度しだいということになる。取り出せるエネルギーとは、望ましい経路ならどんなものにでも導くことのできるエネルギーだ。散逸したエネルギーとは、手に入れることも、意のままに導くこともできないエネルギーで、たとえば、我々が熱と呼ぶ、分子の混沌とした運動状態がそれにあたる。ところで、この混沌とは、相関名辞と同様、物質自体の属性ではなく、それを認識する心との相関によって規定される。」
「散逸したエネルギーという概念も、自然界のエネルギーをまったく利用できない者や、どんな分子でもその動きを追いかけて、適時に捉えることのできる者の頭には浮かばないはずだ。両者の中間にいて、うまく利用できるエネルギーも、指の間を擦り抜けていってしまうエネルギーもあるような者にとってだけ、エネルギーは取り出せる状態から散逸した状態へと必然的に移ろうように見える。」(寺子屋「熱力学」で紹介しました)
c.f.PとCに(順列と組み合わせ)ビックリ!(階乗)しないでエントロピーを考える。 2013年09月22日
c.f.混沌とは、物質自体の属性ではなく、それを認識する心との相関によって規定される(マクスウェル) 2017年06月02日
c.f.これを踏まえると、エネルギーの散逸という概念は、我々の知識の程度しだいということになる 2019年11月22日
c.f.この混沌とは、相関名辞と同様、物質自体の属性ではなく、それを認識する心との相関によって規定される 2019年11月30日
当時(というか今でも)、ここらへんのガイドブックとなるのは、ユーザーイリュージョンと「宇宙をプログラムする宇宙」ですね。
ただここらへんは僕が直接解説しますので(寺子屋やスクールやパーソナルセッションを通じて)、そのあとに書籍に入ったほうが良いかもしれません。
ゲシュタルトを作ってから、書籍で確認するイメージが良いと思います。
書籍でコツコツと学んだらおそらくは10年かかっても大変なことを、セミナーならば数時間で達成できます。ですから、古来、何かを学ぶときはマンツーマンなのです。
ゼウスの息子と信託されたアレクサンダーも、父と崇拝していたアリストテレスが家庭教師でした。
*アレクサンダーとアリストテレス
ちなみに、アリストテレスの先生はプラトンでした(アテナイの学堂の中心がプラトンとアリストテレスです)。プラトンの先生はソクラテスです。
中央にプラトンとアリストテレスがいます。
プラトンの顔はラファエロの師匠であったレオナルド・ダ・ヴィンチです。
*モナ・リザは自画像とも言われますが。
脱線しました。
何が言いたいかと言えば、古来より何かを学ぶときはマンツーマンだと言うことです。
ただ世界がメタバース化することで、復習が容易になり、イメージを最初に作るのが容易になったのは事実です。それは良いことです。でもコアの部分は変わりません。人工知能を作るのは人工知能なのです。脳から脳への無意識の伝達があるのです。
また、ほとんどの重要な情報は書籍には乗りません。それは書籍という乗り物の限界でもあります。非言語情報が多いということもありますが、単純に言語に写像させるとナンセンスに見えるからです。
たとえば、フェロモン革命の受講生の方から、性科学に関する参考書籍についてセッションで聞かれたのですが、フェロモン革命でやったようなコアのコンテンツに関する参考書籍がもしあるとしたら、セミナー前にすでに紹介しています。「まといのば」はその点でかなりオープンなので(僕自身はアカデミックだと自認しているのですが)、参考書籍はほとんど公開します。というのも、それを読んでおいてもらったほうが先に行けるし効率的だからです。
でも、おそらく参考書籍について聴いてくれたメンバーさんが期待していたような性科学の著作はまだどこにも無いのです(たとえば以前に紹介したTEDの動画は役に立つと思います)。
c.f.花見酒と三途の川という気功技術について解説が欲しい!〜桜姫東文章や四谷怪談や森鷗外やら〜 2022年03月27日
というわけで、本題に入ります!
このご質問に対する回答でした!
(引用開始)
こんばんは!
質問させてください!!
情報空間のエネルギーというのは、どういった定義がなされるのでしょうか?
ここが私の中で曖昧なため
気=情報
と
使いすぎると生来のもっている気が枯渇する
↑
この関係がよくわかりません。。。
(引用終了)
情報空間のエネルギーは、抽象度の高い概念を抽象度の低い世界に落とすときに生まれる運動エネルギーでした。ですので、抽象度の高い概念は情報空間のポテンシャルエネルギーがあるとみなせるわけです。
また、「気は情報である」というのは、ひとつの大原則です。
情報というのが曖昧ならば、アルゴリズムであると考えても良いでしょう。
アルゴリズムというのは、計算規則というような意味ですが、どちらかと言えばプログラミングという程度に理解しておいてください。
たとえば、「概念は部分関数」ですが、部分関数というのは宇宙を2つ以上に分けるプログラムであるということです。
「自我は重要性関数」と言った時も、自我というのはプログラムであり、そのプログラムは雨中にある要素を自分の重要性によって並べ替えるというものだということです。
そして誤解されがちですが、プログラムではない情報はその意味では存在しないのです。
すべては計算機なのです。情報空間に浮かんでいるのは計算機なのです。
ですから、気はプログラムであると言い換えることもできます。ただしそのプログラムというのは情報空間というプログラミング言語(それが何かは良く分かりませんが)で書かれた情報ということになります。
と、長くなったので、とりあえずここまでで。
また気が向いたら書きます!
ここらへんは深堀りすると面白い話がたくさんありますので、知的好奇心の赴くままいろいろと考えたり、学んだりしてください!!(かつての教養を身に着けようシリーズの寺子屋などもおすすめです)