使徒パウロはローマ人への手紙の中でこう書いています。
わたしは自分のしていることが、わからない。なぜなら、わたしは自分の欲する事は行わず、かえって自分の憎む事をしているからである。
パウロとはイエスの使徒パウロのことであり、事実上キリスト教を創った人のことです。
もうひとりの立役者はペテロ。
*これはペテロ。
使徒パウロと自称していますが、彼はイエスの12人の弟子の一人で無いどころか、リアルに会ったこともありません(情報空間では出会っています。パウロがローマ市民のユダヤ教徒として、キリスト教者を迫害するので、イエスが憐れんで、目を潰して盲目にします。そのあたりのくだりは「目からウロコ」に詳しいです)。
c.f.するとたちどころに、サウロの目から、うろこのようなものが落ちて、元どおり見えるようになった。 2020年04月21日(サウロとはパウロのことです)
脱洗脳のプロセスの中で、パウロのようにつぶやきたくなることが幾度もあると思います。
わたしは自分のしていることが、わからない。なぜなら、わたしは自分の欲する事は行わず、かえって自分の憎む事をしているからである。
と。
欲することをWant toと読み替えれば、憎むこととはHave toでしょう。
なぜ自分はWant toを行わずに、Have toを行ってしまうのか。
パウロによれば、
そこで、この事をしているのは、もはやわたしではなく、わたしの内に宿っている罪である。(ロマ書7:17)
と、罪に原因を求めます。
我々はそこに洗脳を認めます。洗脳に原因を求めるのです。
すなわち、わたしの欲している善はしないで、欲していない悪は、これを行っている。
もし、欲しないことをしているとすれば、それをしているのは、もはやわたしではなく、わたしの内に宿っている罪である。
そこで、善をしようと欲しているわたしに、悪がはいり込んでいるという法則があるのを見る。
(ロマ書7:19)
再び強引に読み替えるならば、Want toをしようと欲している私に、洗脳が入り込んでいるという法則があるのです。
自分に入り込んだ洗脳ゆえに、我々は自分がやりたいことではなく、やりたくないことをしてしまうのです。
その上、「なぜ自分はHave toをしてしまうのだ」とますます自分を責めます。
自分がHave toをするのではなく、自分の内に宿っている罪がHave toをさせるのです。
厄介なのはそれが善や正義の仮面をかぶっていることです。常識や定言立法のカタチを取ることもあります。
そしてその仮面が見抜けないのは、我々の認知そのものにも悪が入り込み、その認識をする主体自体も「もはやわたしではなく、わたしの内に宿っている罪」なのです。
認識の枠組みをハッキングされ、認知システム自体もハッキングされていたら、もはや改善の見込みはなさそうです。
支配者の提示する美しい悪夢の中から抜けられなさそうです。
でも、希望はありますw(多分)。
いや、絶望も希望も虚妄ですが。
抜け道はあるのです。
世界がメタ化され、網膜(Retina)と同じくらいに有機EL化したヘッドセットの中でレディ・プレイヤーワンのように住まわされるとしても、、、、いや、脳内そのものを書き換えているので、もっとすごいですが、、、少なくともVRには隙間が必要です。
VRのヘッドセットでも眼鏡でも、下は空いています。
これは初期の研究者たちが発見した(そこにはDr.Tもいます)VR酔い解消のための隙間です。
決してあなたの頭が大きいわけでも(小さいわけでも)ありません。
我々の動きに反応して、たしかにVRは反応します。
しかし、それは膨大な計算機の計算によるものです。計算には遅れが生じます(瞬時に計算できるわけではないので)。
リアルとは違い、少しだけ遅れるので、観測者の我々としては気持ち悪いのです。これがVR酔いです。ですので、脳としてはVRに没入しつつも、リアルな現実の床をいつもモニターしておかないとVRの遅れに敏感に反応してしまうのです。遅れへの反応が意識に上ったのが、VR酔いです。
代表的な症状には、一般的な不快感、頭痛、胃の自覚、吐き気、嘔吐、蒼白、発汗、倦怠感、眠気、見当識障害、無気力感などがある。その他に、姿勢不安定やむかつきなどの症状がある。Wikipedia
(僕らが見せられている世界のあり方とリアルな世界の差による不快感にすら感じます)
何が言いたいかと言えば、僕らの脳も身体もハッキングされ、認知や認識の枠組みも、何を見るかも(その重要性関数ごと)変更されているとは言え、僕らはわずかに「酔う」のです。不快感があるのです。頭痛や吐き気や嘔吐や蒼白や発汗、倦怠感が生じるのです。
ほんのわずかな隙間から見えそうで見えない本物のリアルな世界、リアルな感情、リアルな感触がゴーグルの下に覗いています。
そのわずかな隙間を丁寧にそして素早くこじ開けていくことでしか、Have toからWant toへとはいけないのです。
そうでないと、
わたしは自分のしていることが、わからない。なぜなら、わたしは自分の欲する事は行わず、かえって自分の憎む事をしているからである。
とパウロのようにつぶやくことになり(パウロは異なる生涯を経ましたが)、我々はメタ化された世界をうっすらと酔いながらこんなものかと慣れてしまいながら、生涯を終えることになります。