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Channel: 気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ
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私たちは自分が思っている以上に多くの事を知っている。言葉で表せる以上にずっと多くの事を知っている

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メンター生から、「情報空間って何ですか」と質問された時には「記憶のことです」と最近は返すようにしています。

物理空間と情報空間があって、、、という話は百も承知で、臨場感がわかないから質問しているわけで、新しい切り口で理論を理解してもらいたいと思っています。

 

今回のレミニセンススクールも新しい切り口、新しい補助線で、古いぶどう酒を新しい革袋に入れようと思っています。

 

 

情報空間とは記憶というのは、情報とは脳内にある記憶ということです。

 

これは内部表現原理主義的には正しい理解と言えます。すなわち、歴史的には脳内の内部表現と脳外の外部世界が存在すると考えられてきました(そしてその対立構造は乗り越えられました)。

 

外部世界とは物理空間ですし、内部表現とは情報空間です。

 

物理空間と情報空間がどこかで結びついているかもしれないというのがグランディング問題で、スピリチュアリズムではいまだにその境目がクォンタム(量子)であるなどと言っていますが、もちろん間違いです。クォンタムもクォークも目の前にありふれた存在です。

自分が分からないことを、自分が知らないことで埋め合わせて、知らないであろうと自分が想定する人に語る癖をつけると、いつか足元をすくわれます。

 

ご承知のとおり、物理空間と情報空間は地続きで、何が違うかと言えば、レイヤー(階層)が異なるのです。抽象度が違うということが分かりました。これがグランディング問題の解決でした。

 

抽象度の定義は、包摂関係にある情報に関する情報量の大小でした。

(この定義をなぜか勘違いして、情報量が少ないと抽象度が高いと考える人が多いのですが、ひとつ制約条件が抜けています。「包摂関係」がなければ、比較のしようがないのです)

 

階層が異なれば、全く違うものですので、違うとも言えますし、包摂関係にあることで同じとも言えます。

 

哺乳類と犬は同じものと言えば同じですし、違うものと言えば違います。哺乳類は犬を包摂しますが、犬と哺乳類という抽象度は異なります。

 

 

で、内部表現が情報空間で、物理空間が外部世界であると考えれば、そして情報空間が物理空間を包摂するということが分かれば、脳内にある情報は明らかに物理宇宙を包摂するのです。

 

我々の思考(情報空間)は物理宇宙を超越するというのが大前提ということです。

 

(引用開始)

しかし、宇宙が彼を押し潰すときも、人間は彼を殺すものよりも高貴であろう。
なぜならば、人間は自分が死ぬこと、宇宙が力において自分に勝ることを知っているからだ。

宇宙はそれを知らない。

だから我々の尊厳は考えることにある。
(引用終了)

 

 

 

 

とは言え、全てが自分の思い通りになるわけでもなく(なるわけもなく)、頭の中が外部世界(というかこの宇宙全体)より大きいとはにわかには信じられません(だから、信仰の問題ではないし)。

(「三体」を読むと良いかも)

 

 

 

 

 

最初の話に戻ると、情報とは記憶であるというヒューリスティックな命題は非常に有効です。非常に便利です。

一方で、記憶には2つあると思ってください(いや、3つかなw)。

過去の記憶と未来の記憶です。

 

ただ過去の記憶はレミニセンス化されて、どんどん美化されていきます(美化の中には酷くなっていくことも含みます。美化の基準はホルモンと重要性関数です)。

 

一方で意識に上らない記憶(ホメオスタシスに関わる記憶)は正確に踏襲されるようです(「三つ子の魂百までも」というやつですね)。というか、以前、女性レーサーの話を紹介しました。我々のホメオスタシスは驚くほどべったりと現状維持的なのです。とても正確で厳密なのです。

一方で我々は知らないことを思い出すことができるのです(言葉の制約が大きすぎて、比喩的にしか書けません)。

 

 

 

我々は自分が知らないことを知っているのです。いや、無知の知という意味ではありません。我々の意識は知らないけど、無意識が知っていることはよくあるという意味です。

 

私たちは自分が思っている以上に多くのことを知っている。言葉で表せる以上にずっと多くのことを知っている。(ナシーム・ニコラス・タレブ『反脆弱性』)

 

 

 

 

記憶と言ったときに狭義の記憶に囚われると、問題の全体像を見誤ります。

 

記憶といったときは、意識的に知っていることでは無いことも含みます。

また記憶といったときは、過去ではなく、未来の記憶も含むのです。

 

「夢は未来の記憶」というと爽やかな感じがしますが(もしくは予知夢的な感じ)、科学的に考えるとオカルトチックです。でも、過去の記憶だけでは我々は進化できません。未来にもアクセス可能なのです。それをゴール設定と呼んだり、瞑想と呼んだりします。

 

記憶について、もしくは情報について、もう一言付け加えるならば、それは芋づる式であるということです。芋づる式に記憶は引き出されます。お洒落に言えば縁起のネットワークが広がっているのです。そのネットワークをたどっていけば着実に未来にたどり着けます。アリアドネの糸を見失わなければ良いわけです。

 

*包摂半順序束を水戸納豆で説明する方法は復習しておいてください。このネバネバ感が縁起ネットワークの手触りです。

 

 

そんなスクールをこの週末に開催します!

 

お楽しみに!!!

 

 

【レミニセンススクール 〜情報と物理の間(はざま)、リアルと夢の懸け橋〜】

【日時】 10月16日(土)13:00〜18:00

     10月17日(日)13:00〜18:00

【場所】 四ツ谷のセミナールーム(丸ノ内線四谷三丁目駅、都営新宿線曙橋駅が最寄り)
【受講料】  230,000円(PayPal決済可能です。請求先アドレスを記載してください)

*Zoomによるライブ受講あります!!

*動画教材(当初はZoom版、その後高画質版)によるヴァーチャル受講もあります!
【受講資格】 「まといのば」のセミナー受講生、メンター生・修了生
【持ち物】 情熱とゴールと筆記用具、動きやすい服装
【お申し込み】お申し込みはこちら!!(フォームメーラー)

STORES 予約 から予約する

(↑Coubicによるネット予約も可能です!)

 

 

 

 


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