人生には不可能の壁というべきものがあります。
具体的に物理的に目の前にそびえ立つかのように、私たちの前に立ちはだかります。
登るには高すぎ、迂回するには遠すぎる壁です。
その先へ行きたいのに、それを阻む巨大な壁があります。
そこで人生を終わるしか無いのかなと思わせてくれるような、、そういう圧倒的な壁が突然に出現します。
もちろんこれは比喩なのですが、ヒーラーにとって比喩は存在せず、それは具体的で物理的なものです。
たとえば、今サラリーマンだけど、脱サラしてプロのヒーラーとして尊敬されながら、バリバリと奇跡のようなヒーリングを起こしたい、とか。
長年、別なところで気功を学んできたけど、「まといのば」で心機一転して、本気でプロを目指したいとか。
ダンサーとしてプロで踊ってきて10年、もう一花咲かせたいとか。
でもこれまでにもたくさん努力をしてきたし、命がけで取り組んできた、、、、その結果として、不可能の壁が出現するわけです。
我々が使う苫米地理論もしくは認知科学の用語で言えば、現状の外側です。
努力もしてきたし、奇跡も起こそうとしてきたし、十分な時間も注いできたのに、、、、ここまでやっても無理か、、、という絶望をした人にはじめて現れる壁です。
その壁を見つけた人は幸いです。
壁が現れたのであれば、あとはそれをクリアするだけだからです(いや、それが難しいのですが。でも、現れない人生よりははるかに健全です)。
その前の段階でぬるま湯に浸かりながら、何事かをしているつもりになって時間を浪費している人がどれほど多いことか(もちろんそれは外からは分かりませんし、神のみぞ知るですが)。
壁が出現して、幾度もその壁に挑み、自分の無力さを痛感して、何度も一人で夜に涙した人にしか見えない風景があります。
その人にむけたアドバイスはシンプルです。
「Want toを生きろ」ということです(いや「生きろ」が命令形のニュアンスがあるので、ルー・タイスはロジカルにHave toをやめよと言いますね)。
たとえば、ペットボトル気功がうまくいって、気に入ったとします。
ペットボトル気功で「はじめて気功が分かった」というメンター生は少なくありません。
(実際は気功というより、気功における臨場感の重要性ですね)
凡庸なヒーラー志望の生徒であれば、学校のお勉強のように次のカリキュラムに進みたくなります。腸腰筋のワークを習熟したい、チャクラって何だろう、丹田を鍛えたい、、、センターや軸を強化したい、、、と。
いや、それ自体は悪いことではないのですが、、、そしてそれがWant toから来ているのであれば、どんどんやれば良いのですが、でも気功の学校は魔法の学校であって、文科省の管轄の学校ではないのです。一教科どころか一教科の中の一単元だけでも卓越したら、十分なのです。
すべての教科を平均点取ることが大事なのではなく、好きな技術、お気に入りの技術、結果の出る技術を一つ見つけることが重要です。たとえば、こちらからアドバイスするのは、ペットボトル気功と心中するくらいに、とことん使って、全ての症例をペットボトル気功でやることです。
そう言うと「ペットボトルがいくつもあっても足りません」などと言ってくるアホは「まといのば」にはいませんが(笑)、それを創造的回避と呼ぶのです。
たとえ毎回ペットボトルを買うのだとしても、ペットボトル1本を買うことで、難しい症例が治るのであれば、プロのヒーラーだったら1グロスでも買います。
ヒーリングは人の人生を左右しかねない重大な仕事の一つです。その意識があれば、ぐちゃぐちゃ言う自分の心のオシャベリは一蹴できます。
それにそもそもわざわざペットボトルを買わなくても、ゴミ箱を漁ればいいですし(そんなことができたのは昭和の時代までかも)、いやそもそも同じペットボトルを使い回せば良いです。というか、100回、1000回とやってくると、「あ、ペットボトルはいらない」と気付きます。頭の中のリアルなペットボトルをグシャッと潰せば良いということが分かります。
そして「自分はこのペットボトル気功しかできません。でもペットボトル気功を使ってのヒーリングなら誰よりもやってきました」という自負を持てることには、しっかりとしたプロになっています。
「1万通りの蹴りを1回ずつ練習してきたやつは怖くないが、1つの蹴りを1万回練習したものとは闘いたくない」というブルース・リーの名言をPoopin’John本人の口から聞いたことがあります。
結局はそういうことなのです。
一つの技術に卓越すると、不思議なことが分かります。
全く異なると思っていた技術同士がつながっていることが分かります。それは頭で分かるというような浅はかなものではなく、身体で知っているというような暗黙知のレベルです。
そしてそのような人が不可能の壁を超えることができるのです。
プロのセラピストになるまでは厳格なルールに従い、ある水準を満たす必要があります。
しかし、プロになったら、自分のWant to、自分のゴールに厳格に従う必要があるのです。
全く違うゲームのルールで闘わなくてはいけません。
自分のWant toに従うのは簡単と思うかもしれませんが、それほど簡単でもありません。言われたことをやるほうがはるかに楽ですし、責任がないので気楽です。
でも、圧倒的に楽しいのは、自分のゴールやWant toに従う道です。茨の道であり、狭き門であり、「人の行く裏に道あり」ですが、生きている実感も達成感も(絶望も怒りも焦燥も)多い道です。
そんな道をもくもくと進む仲間と共に、これからも「まといのば」は場として機能していきたいと思います。
そんな仲間の一人からのフィードバックを最後に紹介します!
(引用開始)
昨日は、オイルトリートメントの施術を有り難うございました。
今朝はまず、首がラクなことに気付き、ああこれは、肩甲骨が貼り付いていないからだ…と気付いて、うきうきしてしまいました。
肩甲骨が柔らかい、軽い、というのは、実感してみると、なるほどそう表現するしかない感覚ですね。動かして軽さを味わっては、その度、心の中でおおー!と感動しています(^o^)
地面に対する足の設置感が軽いのも、朝から嬉しい発見でした。膝から下がほぐれて、足の連動がよくなっているのを感じます。
身体の変化はもちろんですが、昨日の施術で一番印象が強烈だったのは、背中へのオイル塗布からエフルラージュへの流れでした。
情報場への介入感、不思議な心地よさと、委ねる相手への安心感、…オイルトリートメントの奥深い世界が一気に広がった感覚がありました。
オイルの吸い込み方の半端なさにもびっくりでした。オイルの扱い方、変わりそうです。
(引用終了)
昨日の講習会でも話したように、Facial Proの成功(そして講習会までその水準が維持され、そして更新したこと)は皆さんにとって大きなヒーラーとしての飛躍と成功を約束するものです(多分w)。Facialにとことんハマり、そして全身のオイルトリートメントにもハマってください(というか、できる限り自分でも体験して、そのポテンシャルを身体で感じてください)。
そのことで飛躍的に成長できます。
一緒に壁を超えていきましょう!!