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分かったよ、ご婦人。僕が有名な作家になっても、僕の出世では1ペニーも目にすることはない。

来週末のレミニセンススクールが近づいてきたので、事前学習的に情報を整理しましょう。
(すでにプロとして仕事をしているヒーラーで、勘の良い人ならば、この記事だけで脱洗脳ができるようになるでしょう)

 

レミニセンススクールにはいくつかの公理というか、大前提があります。

 

たとえば、「記憶が人格を作る」というのもその一つです。

 

記憶とは何か、人格とは何かという定義は必要ですが、とりあえずヒューリスティックにこれを覚えておくと良いです。

ざっくりと言えば、記憶とは脳内の情報状態です。人格とは行動や性格の総体です。

 

論理的に考えると、異なる矛盾した記憶があると、矛盾した人格が生まれるのではというパラドックスが指摘できます。

 

例に出して考えてみると、犬に襲われた記憶があり、犬が怖い人格が作られたとして、一方で犬と遊んで犬に良い思い出がある記憶があるとしたら、その人の人格の統合性はどうなるのでしょう。

 

単純に考えると、犬が怖いかつ犬が大好きという人は矛盾した存在です。

よって、「記憶が人格を作る」自体が間違った仮説ではないかと思いたくなります。

 

この解決策はシンプルで、統合された単一の人格などありません。これが補助線となります。

ですから、犬が怖いかつ犬が好きという人格は存在します。

 

にわかに信じられない人は、人格が時系列上に存在すると考えるとわかりやすいかもしれません。

昨日は犬が怖く、今日は犬が好き、と。

もちろんアンビバレンツな感情を持つこともあります。好きであり、憎んでいる、といような。

 

我々は人格を統合されていると考えません。

じゃあ、どういうことかと言えば、複数の人格が一枚の皮をかぶっていると考えます。

これは解離性人格障害の話ではありません(もちろんこの症状は我々の議論の延長線上にありますが、議論すべきは病気の症状ではなく、我々の日常の話です)。

 

たとえばお酒を飲んで脱抑制したときに出てくる人格があります。

 

MiQでも言いましたが、僕自身の観察によれば、脱抑制して出てくる人格というのは、本当の自分ではなく、なりたい自分です。泣き上戸も笑い上戸もそうありたいのであって、そういう人というわけでは無いということです。

僕が大学にかよっていたころの飲み会では、酔うとJapaneseがEnglishを話し始め、Non-Japanseが流暢な日本語を話し始めるという現象がよく見られました。

(とすると、成長するためには、脱抑制は大事ということですよねー。明日から脱抑制していきましょう!)

 

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*いや、気功技術の花見酒で乾杯しましょう!!

 

親に向き合ったときの顔(人格)と、友達とバーベキューをしているときの顔(人格)と、子供と遊んでいるときの顔(人格)は微妙に異なります。

 

環境との相互作用によって、人格が作られるというラポールモデルはもちろん前提です。ただ、同じ親に向かって接するときでも、そこで無意識に召喚される記憶が変われば、人格が変わります。

 

これが脱洗脳のからくりです。

 

パルプ・フィクションの監督であるクェンティン・タランティーノはお母様に夢を馬鹿にされたことを根に持って、いまだに援助をしていないことを告白していました。

 

 

 

ニュースは新しさが売りの生鮮食品のようなもので、すぐに古くなるので、Wikipediaから引用します。

 

(引用開始)

タランティーノは、ポッドキャスト番組「ザ・モメント」に出演した際、名声を博す以前、出世する夢を母親のコニーにこき下ろされたと明かした。母親はタランティーノに対して指で引用符を表すジェスチャーをしながら、彼の「取るに足りない作家人生」は終わったと言ったという。

「僕はね、『分かったよ、ご婦人。僕が有名な作家になっても、僕の出世では1ペニーも目にすることはない。あなたのための家もない。お母さんのためのバカンスもエルビスが乗るようなキャデラックもない。何ももらえないよ、そんなことを言ったからね』と話したんだ」とタランティーノは回想した。(引用終了)

 

自分の母親に向かって「ご婦人」という物言いは2000年前のガリラヤの青年を思い出しますね〜。

 

お母様にこき下ろされたことで、絶対に有名な作家になってやると思ったのであれば、お母様にはバカンスもキャデラックもプレゼントした方が良いかもしれません。

 

トラウマと呼ばれるような現象はしばしばそのネガティブサイドが強調されますが(それがマーケティングとして有効な人が、それしか無いと言い募ります)、実際はポジティブサイドもあります。

 

ナシーム・ニコラス・タレブが紹介していた精神外傷成長などと言うやつです。

ショックなことがあって、おかげで反脆い精神がより強くなったというやつですね。

ニーチェさまの「俺を殺さないやつが、俺を強くした」というマッチョ宣言みたいなものですね。

 

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それはさておき、記憶が人格を作るのです。

そしてその記憶の重要性は、脳の重要性関数で決まります。

 

たとえば嫌なことを言われて奮起するとしたら、その奮起して行動して、報酬系が刺激されるので、その「嫌なこと」を繰り返し思い出してしまうのです。重要性が付加されるからです。

 

辛い記憶がなかなか忘れられないとはよく聞く話ですが、その記憶の想起によって、ホルモンが分泌され、それが結果的に報酬系を刺激するから、繰り返し思い出すのです。それを「なかなか忘れられない」と表現しています。

 

重要なのは自分(意識)にとってではなく、脳や身体にとってその記憶がどう機能するかということです。

 

タランティーノ監督のその母親とのいさかいがもしもフェイク記憶だったら、、、?

 

自分が夢中になっていたドラマの劇的なワンシーンを脳が自分の経験として、追体験していただけだとしたら、、、、、あわててキャデラックやバカンスをお母様に渡すのでしょうか。いや、渡すべきかもしれません(笑)。

 

いや逆にそれがフェイク記憶でなくて、リアルだとしても「お母様がそんなことを言った」から、成功したのかもしれないからです。

見返してやりたいというような情動は意外と長く続き、そして集中を持続させてくれます。

 

そして、むしろそもそも若い時分にその記憶がなければ、若い日のタランティーノの(監督として成功するための)人格は存在しないかもしれません。

 

そう考えると、記憶をめぐる世界線はそれほど都合良くもなく、単純でも無いことが分かります。

だからこそタイムマシン瞑想は実はある意味でリアルなのです。

 

シンプルな公理(的なものを)を確認しましょう。

これがレミニセンススクールの土台です。

すなわち、記憶が人格を作るということ、そして人は複数の人格を持っているということ。そして人格同士は矛盾していることが多いということ(だから、占い師たちのコールド・リーディングで矛盾した性格を言い当てられて心酔してしまったりするのです)。

 

逆に特定の記憶を消去したり、重要性関数をいじることで、自分にとって有効な人格だけを表に出すこともできるのです。この交通整理をするのが、脱洗脳ということです。

そして面白いことに、記憶はメメントのように身体に刻印されているのです。その刻印が観えるようになれば、、、、脱洗脳はよりやりやすくなります!

 

レミニセンススクールお楽しみに!!!

 

【レミニセンススクール 〜情報と物理の間(はざま)、リアルと夢の懸け橋〜】

【日時】 10月16日(土)13:00〜18:00

     10月17日(日)13:00〜18:00

【場所】 四ツ谷のセミナールーム(丸ノ内線四谷三丁目駅、都営新宿線曙橋駅が最寄り)
【受講料】  230,000円(PayPal決済可能です。請求先アドレスを記載してください)

*Zoomによるライブ受講あります!!

*動画教材(当初はZoom版、その後高画質版)によるヴァーチャル受講もあります!
【受講資格】 「まといのば」のセミナー受講生、メンター生・修了生
【持ち物】 情熱とゴールと筆記用具、動きやすい服装
【お申し込み】お申し込みはこちら!!(フォームメーラー)

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