誤解を恐れずに言うと、「まといのば」のかつてのクライアントさんはバレエダンサーばかりでしたので、柔軟性が高く、運動習慣があり(ですので細身の人が多く)、努力をいとわない人ばかりでした。
バレエはとても気功と似ていて、力ではなく、想念で筋肉を操作する感覚があります。もちろんダンサーたちはそれ以外の身体の操作方法を知らないので、想念でサイコキネシスのように動かしている意識はありません。自分たちは普通に身体を操作していると思っています。
逆もまた真なりです。
バレエやダンスの身体の使い方に対して「そんなに力まないで」と言っても、力んでいるつもりがありません。ですから脱力と言われても、ピンと来ないのです。
僕はバレエの世界にどっぷりいましたが、とても中途半端でした。あたかも鳥にもなれず、獣にもなれないコウモリのような感じでした。いや、コウモリとも違い、羽ばたくことも、地を這い回ることもできず、ただ目だけは大きく開いて、いろいろなものを観てきました。
当初のクライアントさんたちはバレエダンサーばかりだったので、僕もクライアントさんもレオタード姿でバレエスタジオでセミナーをしていました(今は昔ですね〜)。それから月日が経ち、クライアントさんの層もどんどん変わりました(当時から変わらず来てくださっている方も多くいます。「まといのバレエ」セミナーとか懐かしいですよね〜。5番とか、バットマンとか、小尻とか)。
ですので、はじめて前屈ができないクライアントと出会ったときは衝撃でした。
誤解を恐れずに言えば、バレリーナに気功を教えるのは簡単でした。
「まといのば」の幸運は初期のクライアントが全員、バレリーナであったことでしょう。
なぜ簡単だったかと言えば、頭の中のイメージを操作して、物理を操作するという気功的営み自体がバレエ的だからです。バレエの言語と気功の言語をうまく橋渡ししてあげれば、あとは勝手にひたすらにバレエを気功に応用してくれます。そしてバレリーナたちはきわめてプラグマティストなので、使えるものは何でも使います。黒猫でも白猫でもネズミを取ってくれれば良い猫です。気功でも魔術でも、自分の身体が変わり、踊りが変わるなら、何でも良いのです。逆にどれだけお墨付きがついていても、自分の身体に合わなければ見向きもしません。
ですので、気功の歴史や科学的な正当性など、わざわざ教える必要もありません。なぜ気功が効くのかを教える必要もありません。理由などどうでも良くて、効けば良いからです。
気功とは何なのかということも興味がありません。効けば良いし、効かなきゃ見向きもしません。
15年以上前になりますが、当時でもプロテインから、加圧トレーニングから、統一棒(高岡先生ですね)から、筋膜リリース、鍼灸、カイロ、整体と何でも試して、自身の身体で彼らは検証していました。
彼らは「1日何分やれば良いですか?」などとも聴きません。
時間があればひたすらにやるというのが身に染み付いているからです。
魂を悪魔に売ってでも、ゴールを達成したいとまで自分を追い詰めているのですから、いわゆる「努力」などは苦にもならないのです。
そんな土壌で「まといのば」は芽生えて、成長してきたので、非常に幸運でした。
しかし、今やバレリーナがメンバーの中でマイノリティーとなり、それ以外の人がメインとなった今のクライアント構成では面食らうことが多いです。でも、これもまた面白いので、コミュニケーションを取りながら、ニーズに答えていきたいと思っています。
最近、衝撃を受けたのは、「瞑想が分からない」「瞑想ができたことがない」という相談というか、質問というか、そういうものでした。その方が正直なだけかもしれません。
何が瞑想かという定義の問題はあるにせよ、自分なりに「これが瞑想」という体感が無い人に合うのは初めてだったので驚かされました。
一方でこれは僕にとって大きなスコトーマかもと思いました。
これまで多くの人がそう思ってきたのに、言えない空気感にしていたのかもと反省しています。
ちなみに、楽器を演奏される方や、スポーツをする方は、一種の瞑想状態に入る必要があります。
たとえば、野球において、投手の手から離れたボールがキャッチャーミットに入る時間というのは、人間が意志力を駆使して判断して筋肉を動かすために必要な0.5秒を下回ります(0.4秒程度です)。ボールを見てバットを振っては間に合わないのです。
テニスや卓球もボクシングも同様です。
科学的には本来は不可能なゲームなのです(もちろんおかしいのはその「科学」の方ですが)。
とすると、違う空間認識、身体操作が必要となります。無意識での反応でなくてはいけません。しかもそれは無意識なのに、意図的なものでなくてはいけないという矛盾したものになります。
逆に言えば、そのような超瞑想的な所作を野球で言えば、草野球から大リーガーまで、普通にやっているのです。他のスポーツでも同様です。
ですから、「瞑想が分からない」というのは、ありえないのですが、本人がそう考えているのでらば、そうなのでしょう。
というわけで、誰でも簡単に瞑想が習得できる方法というのを紹介します!!
と思ったのですが、長くなったので、またの機会にしますw
というのは冗談で、「明日野郎は馬鹿野郎」ということで、ざっくりと書きます。
これは本当はMiQ2期(とレミニセンススクール)のキラーコンテンツにしようと思っていました(とは言え、2期受講生の皆様、ご安心を。文章を読んで理解できる人はごく少数です。そして、実践する人はもっと少ないので)。
*オイルトリートメントを受けるのも、ひとつの瞑想体験にいざなってくれます。
というか、この方法はすごくシンプルです。
仮にロウソク瞑想と名付けます。
分かる人にはすぐ分かるでしょうが、この瞑想は阿字観をベースにしています。ただ阿字観が複雑なのに対し、こちらはシンプルです。でもシンプルであっても、効果があるので、これで良いと思っています。
阿字観というのは梵字のアルファと一体化する瞑想です(←雑か)。空海が日本にもたらしました。
静かで真っ暗な部屋に座ります。結跏趺坐が良いですが、半跏趺坐でも構いません。正座はしびれそうです。半跏趺坐が無理なら、あぐらでも良いです。
背筋を伸ばして座ります。
そしたら、目の高さにロウソクを置きます。
昔ながらの何の変哲もないロウソクで大丈夫です。
真っ暗な部屋でロウソクに火をつけて、それを眺めます。
*ロウソクと言えば、落語の「死神」を思い出しますね。
ロウソクの炎に集中するのではなく(凝視法に入ってしまうので)、ロウソクの火を眺めます。ロウソクの火をつらつらと観察するのです。一瞬一瞬変わる火を眺め続けます。
最終的にはそのロウソクと自分が一体になるイメージを持ちますが、そういうことはあまり考えずに見つめましょう。
他に気が散ったら、またロウソクを眺めましょう。
眠たくなったら、そのギリギリで持ち堪えながら、ロウソクを眺めましょう。
目をつぶっても、まぶたの裏にチリチリと燃えるロウソクの映像が観えるまで、ロウソクを眺めましょう。ロウソクという概念ではなく、炎そのものを観ましょう。
ある瞬間、澄み切った世界に参入します。時間も空間も無い世界です。ただその世界でもロウソクの炎は煌めき続けています。そしたらその体感を覚え、記憶を引き出せるようにしておきます。
そしてその瞬間を長く長く引き伸ばしていくことです。
このロウソク瞑想に入って、瞑想状態に入り、もう限界というところで、火を消したとします。
そのとき時計を見てみると、その時間の経過の短さに驚かされると思います。始まった時間から1分も経っていなかったりします。
これがドラゴンボールの精神と時の部屋です(違うか)。瞑想というのは超並列思考なので、夢見と似ていて、時間の流れ方が変わるのです。一瞬が永遠に感じるのです。
奥義を知ってしまったら、あとはシンプルなロウソクを百均で買い求めて、火事のリスクを下げて、ひたすらにロウソク瞑想の練習です!
自分がいかに瞑想できないかということに気付ければ、半ば成功です。
その短い時間を楽しみながら伸ばしていけば良いことです。
【書籍紹介】
ロウソクと言えば、ファラデーの「ロウソクの科学」は必見です!
科学の面白さ、視点の変化の醍醐味を楽しく見せてくれます。
そしてもうひとつはナシーム・ニコラス・タレブ。
反脆弱性を一文で表すとしたら、以下のようになります(とご本人がおっしゃっています)。
風はろうそくの火を消すが、炎を燃え上がらせる。